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自分探しの旅 ってなに?


いや、それを批判したいんじゃなくて。
本当にわからないのだ。
自分はそういう経験がないから。

以前Twitterにも書いたことがあったのだが、「旅行で世界観や価値観が変わった」という話をよく聞くけど、それがまったく理解できない。
そのことについて、エクアドルに入る前あたり(2015年9月くらい?)からずっと考えていた。

暇で。
パソコンが壊れて、暇すぎて。


で、自分探しとはなんぞや? という話をブログに書こう書こうと思いつつ、
一向に答えが出なくて書けずに今までズルズルと先延ばしにしてきた。

「こうかな」という憶測がいくつか立ってきたので、ちょっとここに書き出してみたい。




1、適当な理由づけ



「自分探しの旅」なるものをしている人は、いったいどのような意図でその言葉を使っているのだろうか。


まず考えたのは、自分の立場での目線。

自分はなんの脈絡もなく世界旅行に行こうと決めた。

そこに理由はない。


じゃあ、もしかしたら、「自分探しの旅」も実はそうだったってこと、ない?

理由などない。
理由など、いらない。

それでも周りからは「どうして旅行しているの?」なんて野暮な質問が飛び出てくる。
「そこに、旅があるから」などと意味不明なことを言うわけにもいかない。

そこで、その場をあしらうために使う言葉が、「自分探しの旅」。
どう? 当たってるかな。



これが、憶測一つ目。


あと考えられるのは、
「やりたいことを見つけたい」とか、
「今までの自分から脱却したい」あたりがありがちかと思う。

ひとつひとつ見ていってみよう。



2、やりたいことを見つけたい


これはつまり、゛未来の自分探し”ということか。
なにがしたいのか、どんな職業に就くのか、それを見つけたいということだろう。

たしかに、海外へ行って現地の人々にふれ、そこからボランティアをしたり、土地柄が気に入って言葉を覚え働く人もいる。
自然保護のために奮起したり、日本人宿のような他の旅行者のためのサービスに就いた人もいるようだ。


ただね、そういう人って、たぶんほんの一握り。
やりたいことを見つけられる人のほうが少ない。

ってことを、まずは言っておきたい。


とある旅行者は「導かれたい」という言葉で「自分探し」を表現していたけど、実際導かれる人は少数なのです。


だってさ、たとえば、各地の遺跡を見に行きました。

有名だから。
みんな見てるから。
テレビでやってたから。
ガイドブックに載ってるから。




……で? 


ってなるでしょ。


もしあなたが考古学者や人類文化学者、はたまた地質学者になりたい! って思えそうなら全然いいと思うんです。




なる気ないでしょ?


結局忙しく観光スポットを見てまわって疲れたーって帰ってきて寝て起きたらそこはもう日常。
普段と変わらぬ日々が待っているのです。

そこんとこお忘れなく。




ただ、将来を考える方法のひとつとしては十分ありだとは思う。
なにもしないよりは、ずっといい。
もしかしたら何かしらの発見があるかもしれないし。
体をうごかすと脳が活発になると言うし。


それが自分探しとして本当に正しい行動なのかは、自分にはちょっとわからないけれど。

それだったら日本でいいから色々やってみたらいいのに。
料理教室や乗馬、楽器演奏、ほかにも絵画とかスポーツとか、とにかくがむしゃらに経験を積んでみたらいいじゃない。

その中で旅があるなら何も言うことはありません。
いいと思うよ。




3、自分を変えたい



これは、どういうことだろう。

知らない自分を見つけたいということ?

それなら才能の発掘ということだろうか。

それとも、
多くの人に出会って、自分の内面や人生を見つめ直したいということ?



才能を見出したいというのであれば、さきほどの「やりたいことを見つけたい」と似たようなことだ。
なので割愛。


内面や人生を変えたい、という人は、
とりあえず現状の環境から離れてみたかった
というのが第1の動機になるだろう。

それはとてもいいことだ。
一度離れてみて気づくこともあるし、リフレッシュになる。



上に「多くの人に出会って」とわざわざつけたのは、人が変わるにはきっかけが必要で、その多くは他者から受ける影響だと考えたからだ。
そもそも内省しただけで見つかるなら、旅行に行く意味がない。

そうなるとつまり、旅行をする動機は人と多く触れあうため、ということになる。


もしそうだとすれば、気をつけていただきたいのは、最終的にあなたを変えられるのはあなた自身でしかない、ということ。
たとえある人の言動がキーポイントになっていたとしても、それについてあなたが考え、理解し、もしくは勘違いしなければ何も変わらない。

つまり、受け身ではダメということですね。
ただ見て、ただ話すだけじゃ今までとおんなじ。
精一杯アンテナを伸ばさなきゃ。


旅行先では、周りの人はみんな他人で長くて深い付き合いがしにくいため、普段より声をかけやすいもの。
旅行という共通の話題もあるし、店や宿の人とも会話が生まれる。


そう考えると、
自分を変えたい → 色んな人の考えや生き方を知りたい → 旅行
となるのは理にかなっているのかもしれない。



海外旅行者の一部の人はこう言う。
海外放浪はリフレッシュなのだと。


わからない言葉を必死で喋っていたりすると、日本であったことがすべてどうでもよくなってスッキリするんだとか。

そういう人も多いのかなぁ。

自分はそういうの逆にイライラしてしまうし、人との出会いを求める行動なんて絶対にイヤですけどね!


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