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ピウラに滞在して一週間以上がたち、ようやく出発する決心がついた。
つまりオリジナル商品をプレゼントしてくれたのだ。
そんなノベルティグッズを丸めて自転車のかばんに入れ、ありがたく頂戴した。
出発はいつも通り遅刻し、午後12時半。
ホテルを出て町はずれで昼食を食べ、以前来た道を戻りだしたときには1時になっていた。
↑この道を行くと近いのだが、強盗が頻出して危険らしいので遠回りしていく
ゆるやかな上り坂をゆき、2時間後には前に会ったジュース売りと再開。
輪切りパインとジュースを購入し、それを食べながらまたここで休憩する。
↑息子と一緒に頑張って働いていた
ここでまた寝泊まりしようかとも思ったが、ジュース売りは
「この先には家もいっぱい並んでいるし心配することない」
と言っていたのでそれを信じ、まだ先へ進むことにした。
たしかに一定の間隔幅で家が並んでいて、どこでも安全にキャンプさせてもらえそうだ。
↑奥に町が見える。砂が舞い見え方がうっすらすぎて蜃気楼を疑った
さらに20kmほど進んで村に到着。
小さな商店で飲み物を買う。
店員さんの話では、ここからはピウラかどこかからの距離が住所になっているらしく、現在41km地点だそうだ。
そしてあと9km行けば町があり、ホテルもレストランもあるらしい。
↑商店のとなりにはこんな看板が立っていた。Forestales(フォレスタレス)がこの村の名前だろうか
それじゃあもう一踏んばり行こうかと思った矢先、前輪がパンクしていることに気づいた。
前輪がつぶれるとは珍しい。
しぶしぶ店の前でパンク修理開始。
面倒くさい。
タイヤを見てみると無数のトゲが刺さっている。
黄色い色をしているので、犯人はおそらくトゲトゲの植物だろう。
↑こんなの。これはまだ小さいほうで、もっと大きいのも刺さっていた
それがとてもきれいなトゲ型をしており、見事な三角錐なのだ。
ロックマンに出てくる当たると一撃でやられる障害物のような形をしているそのトゲが、タイヤにたくさん刺さっている。
これは今後気をつけねばなるまい。
そう考えながら、結局チューブに穴をあけた真犯人はいつもの針金だったのだが。
とにかく! この道はこういうゴミがたくさん路面に散らばっているということがわかったので、この先注意しよう。
どうやって注意するのか。
それはわかりません。
修理が終わったときには夕方6時をすぎていた。
さすがにこれから出発するには遅すぎる。
今日はこの小さな村に泊まることにした。
さきほどサッカー場を見つけたのでそこでテントを張ろうかと思っていたのだが、目の前に教会があったので急遽予定変更。
そこで泊まらせてくれるか聞くことにする。
教会の周辺をうろついていると隣人夫婦がやってきて、
「ここの神父は後1時間くらいでピウラから帰ってくるからここで待つといいよ」
と優しく教えてくれ、にこやかに話をしながらここで座ってなさいと指示してくれた。
待つこと30分。
今度は教会に用事があるらしい男が話しかけてくれ、神父を待つのに付き合ってくれる。
彼と話をしていると、次はさっきと逆側の隣人がこちらへ来て、その人の家にテントを張らせてもらえることになった。
みんなやさしい。
彼らの話によると、ここは敬虔なキリスト教徒たちがすんでいるらしい。
だから窃盗もなく安全だという。
村人はみな穏やかな雰囲気を醸し出していた。
隣人の敷地へ入れてもらい、まずは急いでトイレを貸してもらう。
腹の調子が悪かったのだ。
そのトイレというのが、放牧をしているものすごく広い庭の真ん中にある。
その砂地にかなり深目の穴があいており、そこで用を足すものだった。
使用方法は和式便所のようなものだが、まわりには壁がない。
開け放たれた空間。
ありがたいことにこのときはあたりが真っ暗だったので、砂漠の真ん中で遠慮なくズボンを降ろす。
まだ熱気の残る渇いた風が火照った下半身をなで、とても開放的で気持ちがいい。
わあ、こんなのはじめて。
くせになりそう。
終わったら穴の中に砂を蹴飛ばして入れて終了。
外で用を足すというと汚いイメージがあるが、これなら衛生的かもしれない。
屋根のある場所にテントを張らせてもらったあと、さっきの教会でミサをやっているから来ないかと誘いを受ける。
自分はクリスチャンではないが、せっかくなので途中参加することになった。
教会では神父が説教をしているところだった。
熱心な教徒たちはそれぞれ各自のタイミングで
「Amen! Gloria Dios!!」
と大声で叫び、拍手をして盛り上がっている。
ミサが終わると全員で握手をしあい、それから神父と軽く話をすることになった。
彼はこちらの頭上に手を掲げ、神に祈ってこの旅を祝福してくれた。
それを見るまわりの人たちも両手を掲げて目をつむって祈る。
彼らの優しさを感じながら、
ああ、もう少しいい子にしてなきゃな、と思った。
そんな、日本では滅多にないちょっと不思議な体験をしたのでした。