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ホスピタリティ満載な安宿のスタッフ家族たち Huarmey ~ 13、ペルー 2016年06月19日 2016/4/8朝6時すぎにクレメンテさんに起こされる。リビングへ行くと、朝食とコーヒーを用意してくれた。さらに大きなペットボトルの水もいただいてから出発。何から何までお世話になってしまった。 ↑レストランの外見。リマから北に347km地点にあります ↑窓には旅行者が自作したステッカーがたくさん ↑もらった水はこのように運びます休憩をはさみつつ、なにもない砂漠のなかをゆっくりと進んでいく。午後4時過ぎにHuarmey(ウアルメイ)という町へと到着。実は、ウアラスから山の谷間を通らずにわざわざ海沿いへと戻ってきたのは、この町に行きたかったからだ。それはなぜかというと、つい最近この町で新しく発掘物が見つかったというニュースをたまたま見つけたのだった。金銀財宝の発掘現場なんて見てみたいじゃないか!夢がいっぱいだ。 ↑入口の壁がめちゃ遺跡感あふれてる!あまり名前を聞かなかったので、小さな村だと思っていた。たしかに都会ではないが、それでもほどほどに大きく、若干観光地になっているように見える。ホテルはいくつも見つかるが、どこも非常に高い。警察官や町の人々に聞きまわり、町の奥にある安ホテルへ。それでも35ソル(1225円)だったのだが、25ソル(875円)まで値下げ交渉をする。このホテルの人たちはとてもおしゃべり好きで、2年前にスウェーデン人のサイクリストがここに泊まりに来たことを楽しそうに話してくれた。海外の旅行者が珍しいのか、彼らはたくさん質問を投げかけてきた。スペイン語が不自由なためあまりちゃんと答えてあげられなかったが、歓迎してくれていてうれしかった。よく聞かれる質問のひとつに、「ペルーは好き?」というものがある。それまではなんだか申し訳なくて苦笑いを浮かべながら「好きだよ」と答えていたが、今は「好き」とは言わない。ある日から、何か嘘をついているようで嫌になって「好きじゃない」とか「まあまあかな」と答えるようになった。失礼かもしれないが、正直今のところ全然好きではないのに「好きだ好きだ」というのもあまり良くないな、と思った。それでも話はちゃんと伸びていくものだ。遺跡に行くつもりだったのだが、今はパソコンが壊れているため保存しておいた情報を見ることができず、改めて調べることもできなかったので、あきらめてゆっくり休むことにした。ウアルメイに来た意味がなくなってしまったが、まあいいや。この町をゆっくり散歩して堪能することにしよう。 ↑ウアルメイのはずれから見た景色2016/4/11朝食を食べて10:30に出発。 ↑レストランで朝食を食べているときに鳥が近づいてきてこれだけでハッピー あいかわらずずっと砂漠だが、景色は悪くない。 ↑砂漠を歩く二人組。この先しばらく町がないけど、どこまで行くのだろう ↑砂を被ったはげ山の白と茶色の色合いに見とれる ↑砂漠のなかのバス停途中、ポツンと建っていて見逃しそうな店で飲み物を補給し、コーヒーを一杯頼む。こういうところにある店は値段が高めなのだが、ここは良心的だった。それだけでハッピー。 ↑トンネルを通ります。ペルーはトンネルが多い気がする ↑リマまであと249kmだってさ。うへぇ・・・午後4時、これまたポツンと建っていたレストランへ。値段が高いのでコーヒーのみを頼んだ。 ↑カップと皿のデザインが素敵ですそのレストランの奥にも家が少し見えていたが、「この先は家はあるけどhospedaje(オスペダヘ = 安宿)はないし、そっちは潮風も強いからここの隣でテントを張ったら?」と言ってくれた。トイレもあるようだし、ここなら安全そうだ。今日はここで泊まろうか。 ↑店内は乾燥させた魚の皮の模型が吊るされていて雰囲気満点。水族館みたい ↑近くに海があるため、風が強いでもちょっと待って。食事はどうしよう。ちょうどパトロールしに来た警察が言うには、「あの見えてる家々のところにレストランがいくつかあるよ、値段も向こうのほうがほんのちょっとだけ安いはずだ」ということだったので、荷物をすべて持って一度そちらを覗きに行ってみよう。このキャンプ場はキープで。結局どのレストランも高かったので、その中でも一番安値の料理を注文した。飲みものを買って帰ろうかとしたところ、その商店のおじさんたちがここの部屋を貸してくれる、という。料金は10ソル(350円)でいいと言っているが、どうしよう。キャンプすればタダだしなぁ。悩んだ末に10ソル払ってしまった一番の理由は、彼らがそのとき遊んでいたトランプのルールを教えてほしかったから。結果、カードのルールはちゃんと教えてもらい、また、それ以上の成果があった。部屋に案内されると、ベッドの枠組みの上に段ボールが敷かれ、その上に毛布が乗っかってるだけ。隣には鳥小屋があり、こちらもほぼ動物小屋のような感じだった。トイレはなし。裏庭に用をたせ、と言われる。まあこんなもんだろうな、と思っていたら・・・なんと軽食を提供してくれた!これは期待していなかったので驚いた。 ↑ソースをかけたご飯と芋とお茶をごちそうしてくれた暗くなってからカードは終え、みんなで映画を見る。ここは夕方から電気が通るらしく、彼らはそれを待っていたようだ。海賊版のDVDでギャング映画や中国アクション映画を見る。彼ら家族はこちらにとても気を使ってくれて、温かい人たちだった。それだけで10ソル以上の価値があった。 ↑子猫もたくさん [1回]PR http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/20160619ホスピタリティ満載な安宿のスタッフ家族たち Huarmey ~
ライダーを歓迎している砂漠の真ん中のレストラン La Balsa 13、ペルー 2016年06月16日 2016/4/5 Cachipampa, Perú荒野の中を走る。 ↑遺跡のようなものがあったが、これがなんなのかわからない。誰もいないから観光地というわけでもなさそうだ ↑低地に来てからこーんな道がずっと流れてゆく途中の村で昼食をとりながら、今日のスタート地点から33km離れた町であるCasma(カスマ)に着いた。本当は昨日到着する予定だったのだが、この体調では少し厳しかっただろう。素直に休んでおいてよかったと思っている。カスマという町は、規模はそこそこだがホテルの値段がどこも高い。そうだ、忘れてた。ペルー北部は山より海沿いのほうが物価が高いんだった・・・人々の態度も感じが悪くなり、治安が悪くなったのを実感する。 ↑なぜか嵐のポスターが。しかも年期がはいっている2016/4/7自転車のフロントタイヤはまだ不調だ。どこに穴が空いているのか見つからないのでとりあえず空気をマックスまでぶち込んでごまかし、11:30ごろにホテルを発つ。 ↑久しぶりのパンアメリカンハイウェイ。帰ってきたぜぇ!さて、ここ最近は山から荒野とやってきて、そしてこれから砂漠の道を走ることになる。これがホントに見事な砂漠!読者のみなさんが想像している通りの、まさに砂漠なのだ。 ↑こんなですよ。想像通りでしょ? ザ・砂漠道の端になぜかマンゴーが大量に捨てられていた。いくつか拾おうかと思ったが、腐っていたり虫が入ってたりしたら嫌なので手を出さずにおいた。 ↑大量に捨てられていたマンゴー ↑隣にはその数日後の姿が・・・ ミイラ化しているとにかくずっと砂漠。そしてのぼり坂になっているので、これがキツいことキツいこと。それでも意外と暑くはない。砂漠なのになぜ? と思っていたら、そう、今こちらは秋口なのです。涼しい風が体にぶつかるため暑さが気にならず、水の消費量も少なくて済む。しかし向かい風でスピードが抑えられてしまうのが玉にきずだ。 ↑とにかくずっと砂漠、の図お腹がすいたので道のよこで、クラッカーに溶けたチョコクリームを塗って食べていると、後ろからライダー男性が近づいてきた。振り返ると真っ黒なライダージャケットとパンツ、そして黒のフルフェイスヘルメット。そんなドラマの犯人像そのまんまの姿に、かなり驚いた。全身黒ずくめ。強盗かと思った。ヘルメットを外しながら彼が言うには、「今日はどこで休むんだ? 5km先に世界中のライダーや自転車が止まるところがあるから行ってみたらいいよ。レストランなんだけどさ、すげーいいから」とのことで、そこの名前をメモしてくれた。 ↑後姿のみ写真に収めることができたしばらく進むと海が見え、そしてメモに書いてあるものと同じレストランを見つけた。 ↑La Balsa(ラ・バルサ)というレストラン窓からのぞくと、壁にかかったメニューの値段がどれも高い。こんな辺境にあるからしょうがないのかもしれないが、さすがにこんな高価なところで食事なんてできないぞ。入るか迷いながら、そろーっと足を踏み入れてみると、「あ、ほらまた旅行者が来たよ! 今度は自転車みたい」と中へ招き入れられる。オーナーのおじいさんが暖かく迎え入れてくれた。彼は敬虔なキリスト教徒だそうで、ここに休みに来るバックパッカーやライダー、チャリダーを受け入れているらしい。その心はもしかしたら、日本で言うところの “住民たちによるお遍路さんへの迎え入れ” に近いのかもしれない。 ↑レストランオーナーのクレメンテさんこのレストランを始めてからもう何十年にもなるそうだが、店内は非常にきれいだ。せっかくなのでもっと詳しく話を聞きたいが、なにぶんスペイン語を使えないのでなかなか進展がない。ここにたどり着いた旅人が書き残したノートを見せてもらった。多くの旅行者がやってきたようで、そのノートの数は、4冊! ド サ ド サ ! !中にある日本語を丹念に見ていく。クレメンテさんの解説を受けたり、逆に日本語でなんと書いてあるかを簡単に説明してあげながら。ここの少し手前で事故に会ってしまい、ついこのごろ再出発したという人やこのノートに恩師の名前があって涙を流した人、50歳以上で旅行している人までいた。何人かが、「関野吉晴※の名前があって感激した」と書いていたが、その人が誰なのかわからない自分は共感することができず、ちょっと残念な気持ちになる。有名な人なのかな?※関野吉晴人類学者で探検家らしいすごい人。詳しくはwikipediaでね!wikipedia関野吉晴カナダのドーソンシティでもまったく同じ事例があったことを思い出した。やっぱり勉強はしておくものだよなぁ。なにかを楽しもうとするときには、その知識を豊富に持っておいたほうがより楽しめるのだ。海外旅行で言えば、遺跡や博物館や建造物なんかが顕著だろう。背景と歴史などを知る知らないでは、その感慨は歴然らしい。思い出に残すためより多く楽しむためにも、前知識は必要だ、というのは最近人から聞いた話だ。 ↑歩行旅行者もたくさん。自分ももともとは徒歩でやろうとしてたのになー。なんか悔しい ↑いやいや、ペルーの山側の景色は最高でしたよ! ↑ドアには浅草土産の小さな提灯がぶら下げてあった ↑ここで授かったステッカー。シリアルナンバーも振ってあり、自分は902番目だそうで。なんだか大きな達成感ご飯を無料で提供してくれ、「今日は泊まっていくでしょう?」と、奥の部屋に案内してくれた。至れり尽くせり。 ↑レストランの奥に家が何個か連なっており、その一つを使わせてくれたホテルのような立派な部屋をタダで使わせてくれた。なんてありがたいんだろう。こんな素敵なスポットを教えてもらえて本当に幸運だった。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/20160615ライダーを歓迎している砂漠の真ん中のレストラン La Balsa
熱・鼻・風邪に・・・ Pariacoto ~ Cachipampa, Perú 13、ペルー 2016年06月15日 2016/4/1山道の途中にある人里離れた集落で、風邪のために数泊した。そしてこの日、この部屋に泊り客がくるらしい。だから今日だけ部屋を移ってほしいと言われる。って、こんなところに予約する人がいるの?!!!エイプリルフールじゃなくって?びっくりですわ。世界は広い。とりあえず熱も下がり、動けるほどにはなってきていたので、そのまま出発することにした。鼻水がでて集中力が散漫になる。急激な下りが続いているので、自転車の操作をいつもより慎重にしよう。ブレーキが利かなくなったので途中でチューンナップを挟んだ。 ↑きれーに坂がつづく ↑赤いハデハデな鳥が近くに止まった海沿いの大きな主要道路まであと55kmの地点にある小さな町、Pariacoto(パリアコト)に泊まった。時間的にはまだ走れそうだったが、熱が上がってきたのだ。目についたホテルへ。体がダルいので、部屋をでて共同のトイレへ行く移動がつらい。そこで、プライベートのバスルームがある1ランク上の部屋にしてもらった。2泊だと30ソル(1050円)から25ソル(875円)に値下げしてくれるということなので、大事をとって2泊頼んだ。もう少しゆっくりと休もう。ここは小さくて人が多くない、自分好みの町だ。レストランでささぎ※の煮つけのような料理が出る。味も食感もまったく同じ、しょうゆ味だ。母親と祖母の得意料理だったので、弱った体に懐かしさを覚える。 ↑改めてこう見ると、ささぎよりちょっと大振りかなという気もする ↑一番下のsaltado de vainitaという料理。vainitaは“さやいんげん”という意味なんだそう※ささぎササゲとも。さやいんげんを小さくしたようなツル植物の豆とサヤの部分を食べる。詳しくはこちら → 違いはネット http://xn--n8j9do164a.net/archives/2150.html2016/4/3頭が痛くてもう一泊。2016/4/4そろそろ出なくては、と体を起こす。あまりゆっくりもしていられない。自転車の調子もかんばしくない。タイヤのパンクを直しても直しても空気が抜けてしまうのだ。おたがい大変だね。町を出ると、何度も訪れる道のアップダウンが体にこたえた。これ以上進むと風邪をぶり返すと思い、2つほど先のちいさな村Cachipampa(カチパンパ)で早々に一泊した。部屋をとった昼から夜までずっと寝ていた。体調不良の走行は、それほど疲れたのだろう。 ↑村からの見える山脈。砂漠の砂がかかっている ↑砂漠と森のコントラストこのホテルのシャワーには大きなバケツが置かれていた。きっと水不足になりやすいから、水をためているのだろう。さすが砂漠!ここに住もうと思う人たちのバイタリティはすさまじい。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/20160614熱・鼻・風邪に・・・ Pariacoto ~ Cachipampa, Perú
山越えにつきものの雨風邪 Huaraz ~ 13、ペルー 2016年06月13日 2016/3/29 Huaraz, Perúみじたくを済ませ、自転車を開錠する。出発するまえに、庭に座って豆をむく作業をしていたホテルの家族たちに挨拶すると、激励の言葉とスイカをくれた。あいかわらず、自分はいいホテルを見つける。そのスイカと、街中を走っていた軽トラのアイスクリーム屋のソフトクリームで朝食を済ませた。町の出口である橋を渡ると、道の景色は街並みから山道に激変。ここから、また4000m以上登らないといけない。 少し先の村にあった小さな食堂で、そこの家族やお客さんと話しながら昼食をとる。自転車でこれから山を越すと言うと、とても心配された。ここから先、村はしばらくないらしい。しかも、これから雨が降るよ、と食堂のおばちゃん。しかしここで引き返すわけにもいかない。まだ10kmも進んでいないのだ。一生懸命坂をのぼっていると、犬に噛まれて自転車の荷物が裂け、取れてしまった。 ↑惨事ついにこっち側も落ちてしまったか。取れそうだったので時間の問題ではあったのだが、噛みちぎった犬には腹が立った。飼い主が犬を家の裏手に連れていき紐につないでくれたらしいが、謝りはしない。道の端で修理する。 ↑ナイフで穴をあけ、カラビナで引っ掛けるそんなタイムロスもあり、空は徐々に悪くなってきた。 ↑空を覆う雲。ちなみに・・・ ↓拡大 ↑ここまで登っても町が見下ろせているついに雨が降ってきた。しかも大雨。ビニールシートを巻いただけの小さな小屋が建っていたので、そこの屋根の小さなでっぱりに身を隠すが、ほとんど意味はなさず、雨が自転車と体に当たる。レインコートを出して着こみ、荷物を優先して雨から隠した。すこし弱まったところで歩き出し、今度は空き家へ。雨が止んだら出ていくかここにキャンプしてしまうか考えながら、時間をつぶす。暗くなり始めたころ、近所のおじさんたちがこちらを心配してきてくれた。「今日はここで泊まるつもりかい? すぐ近くに村があるから、そこにあがらせてもらったら?」雨も上がったので、500mほど先の集落へ。こんなに近くに家が建っているなんて思わなかった。坂とカーブで先が見えなかったのだ。小さな店を営んでいる家族に話をし、小屋に泊めてもらうことができた。濡れた服を着替える。体が濡れ、非常に寒い。ツナの缶詰を買ったら、玉ねぎを入れて温めてくれた。小屋に布団を幾枚も敷いてくれる。ここは寒いからと気を使ってくれたのだ。トイレはここに、とバケツを置く。え、外じゃないの?これに出すの?!この辺は時々ゲリラがやってくるので、夜に外に出るのは危ないのだそうで。外から鍵をかけられたが、なんとか開けてもらえるようにしてもらった。 ↑作ってくれた簡易布団。下には牛の皮が敷かれている寝る前に彼らがなにかを伝えようとしてくれているが、何を言っているのかわからない。そこで、娘が英語で紙に文章を書いてくれた。 I don't to turn off latter light.無茶苦茶な英語だったが、彼らの話と総合すると、おそらく「電気は無料だからつけっぱなしにしておいていい」ということらしい。夜はタダで電気がくるから、ほかの家でもつけっぱなしにするんだとか。本当かな?こちらの気を使ってくれたのかもしれない。2016/3/30朝食にフライドポテトと粘っとしたミルクがゆをもらった。とてもおいしかった。お礼を行って出発。よくしてもらったのにこちらからはなにもできず、なんだか申し訳なく感じる。 ↑こんなに登ってもまだウアラスの町が見えている登頂手前5kmほどのところでビニールシートを使った小屋のような店があり、そこで昼食をもらう。 ↑トラックの運転手がつどって食事をしていたそこにいた人たちみんなに歓迎してくれ、会話をしながら食事をする。 ↑これで3.50ソル(122円)。そら豆はサービスしてくれたが、ほとんど食べられず返してしまった会話のなかで、運転手たちから変にからかわれること数回。人とかかわるとどうしても大なり小なり傷つくのだが、ほかの人たちもそうなのだろうか。それとも自分が傷つきやすいだけなのかな?もしみんな傷つきながら、それでも人に出会いを求めているのなら、自分にはその気持ちがさっぱりわからない。 ↑一緒に写真を撮ってくれと言われたので撮った。かなり不機嫌な顔をしているのがわかるだろうか ↑かなりムッとしています。そして猫背そこから30分後、山頂4200mまで到達。奥に警察が警備しているのを見て、「えらい」と心の中で彼らを褒めながら、寒いのでさっさと降ります。 下りを一気に駆け降りるときの気分は最高。しかしこのとき喉がとても痛かった。昨日濡れたし寝床も寒かったので、風邪をひいてしまったのかもしれない。 ↑下り道 ↑花も咲いていて美しい道だったホテルがありそうな村まで一気に進む。これまでの遅れを取り戻そうとするかのように。もし風邪をひいているのだとしたら、部屋を数日とってすこし休まなくてはいけないだろう。 ↑ティンコ。ペルーは下ネタか!というような名前も多いさきほど看板に書いてあった村を目標にしていたのだが、曇ってきたので途中の村で止まる。バスの休憩地点になっている村だ。ホテルもあるらしく、10ソルという安値で部屋を貸してくれた。共同のバスルームのシャワーは水しか出なくて電気もつかないが、休めるならもうどこでもいい。部屋は広く、2段ベッドがひとつと普通のベッドがひとつ置かれていた。そのホテルとレストランと商店を経営している夫婦もニコニコとこちらを迎え入れてくれた。次の日、風邪はひどくなった。熱もあるようで、マトモに歩けない。おやじさんは熱にきくというコカ茶を入れてくれた。一日中寝て体力を回復させることに努めた。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/20160612山越えにつきものの雨風邪 Huaraz ~
雪山の見える町 Huaraz 13、ペルー 2016年06月11日 2016/3/26 Tarica, Peru昨日お世話になったレストランで朝食を済ませてから相棒の自転車にまたがり出発。この先は簡単な道で距離もそれほどでもないため、すぐに次の町ウアラスへと着いてしまうが、体は相当疲れているようだ。腕や脚にあまり力が入らないのが気にかかる。早くホテルを見つけて休まなくては。最初に入った郊外のホテルは100ソル(3500円)とバカ高!やっぱりセマナサンタという行事が原因なのか。80ソルに負けてくれたが、それでも払えないのでお礼を言って出てきた。つぎに、裏路地の通りにある隠れ家的なホテルに入ってみる。看板がなかったら絶対に気づかないであろうそのホテルは、値下げしてもらってもお値段30ソル(1050円)とそこそこしている。だが、なかなかよさそうなところだった。表門はオートロック式の大きな電子扉で、そこをくぐると大きな庭が目に入る。そこには小さな管理小屋、ホテルの家族が住んでいる家と客室になっている家が2軒はいっていた。安くしてもらった30ソルの部屋は、手入れをしていないような埃っぽい雰囲気。使われていない2段ベッドが放置してあるし、テーブルの上に使用済みの工具が置いてあったりしているが、それでも室内はとても広くてシャワーもホットを完備。窓から見える景色もなかなかだった。もっと安いところを探すか迷ったが、ホテルの人たちもめちゃくちゃ親切だし体も早く休めたかったしで、ここに泊まることにした。 ↑ホテル入口 ↑路地裏へと誘導しているホテルの看板。自分は町に入ったところですぐに決めてしまいましたが、中心部へ行けばパッカー宿もたくさんありそうでした疲れた体を休めたいところだが、やっぱり町を歩いてみたいのが旅行者というもの。天気もいいのでついつい足が外へ向いてしまう。 ↑小さな公園通りにぶつかったそのまままっすぐ進むと大きな商店街に入る。このあたり一帯は、住民が使う市場や旅行者むけのオシャレな店などがひしめき合っていて、とてつもない賑わいを見せている。アーケード街でアウトドアショップがいくつかあるのを発見。さすがアンデス山脈の谷間にある町だ。現在大きな問題がひとつあって、それはザックの底に穴があいていること。もし近々買い替えないといけなくなって、かつリマにいいのがなさそうならば、ここにバスで買いに戻ってもいいかもしれない。現在のザックは非常に使いやすいので、できればまだまだ現役でいてほしい。 ↑ガスカートリッジもいっぱい置いてあるよ!街中には雪山登山のポスターやトレッキングのツアー会社もよく見る。やはりジュンガイやカラスではなく、ここを起点にする人が圧倒的に多いようだ。確かに、なんでもそろうこの町で泊まるほうが圧倒的に便利だ。観光客の姿も多い。 中心の広場へ。 そんなに人がいない。商店街の賑わいがすごすぎてそう見えるのかもしれないけど。ゆったりくつろぐにはいい場所だ。 ↑昔話の「幸福な王子」を思い出した ↑噂のsemana santa(セマナサンタ)。そのまっ最中なのだが、ウアラスは思ってたより祭り感がなかった翌日3/27は雨だったのと、休養のためにもう一泊した。散歩をしているうちに、“登山ツアーの町”としての姿ではなく、明るい雰囲気のこの町自体を気に入ってしまった。バックパッカーが来るのもわかる気がした。 [2回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/20160610huaraz雪山の見える町 Huaraz
アマゾン先住民による医療儀式・アヤワスカの体験レポート 13、ペルー 2016年06月09日 先に言っておきます。怪しい話です!ペルーのアマゾン地域にあるサンフランシスコ村にて、アヤワスカというものを体験したばかりなので、そのレポートをここに書いておきたいと思います。サンフランシスコ村まではペルーの首都リマからバスで約20時間かけてPucallpa(プカルパ)まで行き、そこから車もしくは船で30分ほど乗り継いで入ります。観光客も多いため、プカルパで「サンフランシスコに行きたい」と言えば連れて行ってくれるはずです。ほかにもコロンビアやエクアドル、ブラジルなどで同じような興味深い体験ができる場所があるようです。日本人宿の情報ノートに行き方や感想が書かれていることも多いので、興味のある人は覗いてみてください。アヤワスカ体験今回はわかりやすいように、1、アヤワスカの概要2、儀式中の外からの変化3、儀式中の内からの変化4、受けてみての感想と考察に分けて綴っていきます。2と3では互いの時系列がわかるように数字を割り当てています。1、アヤワスカとはアヤワスカというのは、アマゾン川流域にある植物のこと。アマゾン川上流の先住民族がこの汁を発酵させたり煮詰めたりし、セレモニーと呼ばれる儀式に使う。基本的にこのセレモニーは医療として行われるらしく、自我を一時的に崩壊させ深層心理を覗き、自分自身と向き合わせることによって精神疾患を改善させる効果があるのだそう。麻薬と違い中毒性や禁断症状はないとされている。セレモニーは夜間行われ、薬を配合しているシャーマンが取り仕切る。シャーマンは夜通し「イカロス」と呼ばれる歌を歌い続けることにより、アヤワスカの効果を増幅させる。2、セレモニー中の外側から見る変化シャーマンに招き入れられた場所は、広い縁側のようになっているセレモニー場。そこに巨大な蚊帳が張られていました。下には布団が敷かれ、そばには吐しゃ物を受け止めるバケツ、それからペットボトルに入ったアヤワスカの濃い液体が一本置いてあります。トイレットペーパーやタオル、夜の寒さ対策などは各自で持参。昼食以降は食事をしてはいけない決まりです。かなりお腹がすいていました。金属でできた深めのエッグカップのような入れ物にアヤワスカを並々注いでもらい、それを飲み干します。 ↑これをもっと大きくして怪しい模様を描いた感じのカップこれがものすごく不味いという話だったので不安だったのですが、意外とそうでもない。なんか、酸っぱくて苦くてなにかが腐ったような味がするのですが、思ったほどひどくない。まわりは「不味い不味い」言ってましたが、自分は割と大丈夫でした。ちなみにこのときは、シャーマンの奥さん(シャーマニズム研究家)と、一緒に来ていた日本人2人、合わせて4人でやりました。飲んだらあとは横になるだけです。110分ほど時間がたち、目の前に細かな極彩色の模様が見え始めました。小さなカクカクした波線が縦に流れ、それが幾重にも折り重なっています。赤・黄色・オレンジ・緑といった蛍光カラーが細くこまかく、暗闇のなかに現れて光って見えます。2シャーマンが途切れ途切れに鼻歌を歌い始めました。すると同時に、頭が締め付けられるような頭痛が十秒ほど続き、それから今度は喉を絞められるような感覚。かなり苦しいです。3目の前がぐるぐると回り気持ち悪くなります。立ちくらみや貧血のような感じです。目をつぶって手で顔を覆い、これを乗り越えました。4シャーマンの鼻歌が妙に気になります。耳にすごく入ってくるのです。途中で彼のメロディがしばらく途切れてしまったとき、自分が同じメロディを口ずさんでいました。そうしようとしたわけではなく、なぜだか自然とそうしてしまったという感覚。勝手に出てくる頭のなかの言葉に、一々「うん・・・うん・・・」と頷きながら答えていました。5シャーマンがイカロスの歌を歌い始めました。体が時折ビクンビクンと動きます。なぜかものすごくおかしくなり、一人で大爆笑していました。「ワライダケを食べた時も、こんな風なのだろうか。だとしたらこのアヤワスカも脳の神経に作用しているのかもしれない」などと考えていました。笑いながら。まわりに気を使ってしまい、恥ずかしさもあって、必死で笑いをこらえます。6イカロスが激しくなっていきます。まわりがゲーゲーと吐いている音が聞こえます。独り言をつぶやいたり、立ち上がったりしている音もします。7シャーマンが楽器を持ち出してギターやハーモニカ、パンフルートなどを演奏します。体が音に反応し、手が勝手に上に持ちあがり、指を開いたり閉じたり。それを不思議な気持ちで眺めます。そのうち、横になった状態のまま体が勝手に踊りだしました。ダンスの仕方なんて知らないはずなのに。8イカロスは最高潮に達しています。まわりは一緒に歌を歌ったり、手拍子をしたり。自分も気が狂ったように踊り続けました。9シャーマンの呼びかけとともに一時休息。みんなで起き上がって会話をします。頭はボーっとしていてフワフワしますが、このときは普通に会話ができます。シャーマンに「もう一杯飲むか」と聞かれましたが、怖かったので断ってしまいました。今思えば飲んでおけばよかったと後悔しています。10歌が再スタート。イカロスに合わせて体が動きます。が、途中で体の動きが止まってしまいました。まわりもあまり盛り上がってなさそう。1曲終わったところで今回のセレモニーは終了となりました。3、セレモニー中の内なる変化以下、時系列が上記の数値とリンクしています。1上と同様2自分の悪いところや悩んでいる部分、家族のことなどが次々と出てきます。言葉と映像が頭の中でどんどん通過します。起きながらにして、夢をはっきり見ているような感覚です。夢を見ているときって、集中して本気でその見ているものを止めたり変えようとしない限り、どんどん映像が流れていってしまいますよね。そんな感じ。自動で脳が働き続けます。自分の悪い部分や不安定なところを見て、かなり落ち込みます。3気持ち悪さで我に返ります。頭の中で「おまえは吐かなくてもいい。吐きたいなら吐いてもいいけど」と言われ、吐くほどのものでもなかったのでそのまま横になっていました。4気持ち悪さもなくなり、気分がよくなります。頭の中で、今度はいろいろと肯定され、褒められます。いろいろな動物や虫になって、空を飛んだり草原を走ったり森を這ったりするイメージとともに、これまでのことや今後どうすればいいのかが言葉で聞こえてきます。聞こえるというよりも、自分が自然にそう思ってしまっているというほうが近いかもしれません。「その調子で行け」とかそんなことを、思おうとしてではなく思ってしまっているのです。シャーマンの歌が止まった時、「もっと歌ってくれ」と心のなかで叫びました。「もっともっとだ、このシャーマンは修行不足だな、自分が代わりにやってあげよう」と思い、口から自然とイカロスが出てきました。すぐに我に返り、気恥ずかしくなって歌うのをやめました。この時、シャーマンの心の不安な部分や現在ちょっと調子が悪いような感じがイメージとして見えたような気がしました。5なんだか楽しい気分になってきました。念のため吐く用バケツの場所を確認しようとして手がぶつかり、「いて」と声に出してしまっただけで大爆笑。なんなんだこれは。頭が朦朧としています。シャーマンの代わりに自分が歌いたい、いっそ乗っ取ってやろうと思いましたが、シャーマンから争いではなく共生の意思を感じ、そのままシャーマンに任せることにしました。6様子のおかしいまわりの人たちが異様に心配になってゆきます。すこし上空の視点から、自分を覗いた4人の姿を見ている感覚になりました。大丈夫か、平気か、と心の中で声をかけます。全員がつながっているような感覚がして、優しい気持ちになりました。同時に、ほかの人の心の中、彼らの弱いところが見えたような気がしました。7体は踊ったまま、頭のなかでは褒められて反省して、の繰り返し。その時々で気分がアップダウンします。気分が下がった時に、「音楽にあなたは愛されている」と言う言葉が聞こえてものすごく嬉しくなり、一気にノリノリになって気分はもう最高。8寝ながらのダンスも最高潮。ものすごく楽しくて、こんなに楽しいことは今までに数回しか体験したことがないというくらい。最高に幸せでした。まわりも手拍子をしたり歌を歌ったりしていて、それはまるで彼らがシャーマンを支えてあげているように見えました。9歌は突然終わり、シャーマンが素の声で「ちょっと休憩しよう」とかなんとか言ったのでしょう。そこでみんな我に返り、普通に会話ができました。自分もこのときは体の自由が利きましたが、まだあのリズムが忘れられずに体が動いてしまいます。時々イカロスのメロディも口から出てきます。楽しかったので、シャーマンにもう一曲リクエスト。「もちろん、もっとやるよ」の言葉が嬉しかった。10リクエストに答えてもう一曲。しかし途中から「すべて勘違い」という言葉が聞こえ、もしかしたら今までこのセレモニーで見たものも全部勘違いだったのかもしれないと思って気分が白けてしまいました。その後すぐにシャーマンは歌をやめ、「アヤワスカの効果が切れたから今日はこれで終了」と言って家に戻ってしまいました。みんなでまた少し会話をしてから、その場で眠りました。自分はまだまだ踊り足りなくてまたリクエストしましたが、これ以上やらないのはわかっていました。もう一杯飲めばやってくれたのもわかっていました。4、感想と考察やってみての感想です。色々な言葉が頭のなかで響くのですが、それは普段自分が感じていることや考えていることが大半でした。アヤワスカの説明の欄でも述べましたが、やはりこれは外の力ではなく自分自身から出てきているものなんだということが分かりました。つまり、お告げや未来が見えるというようなものではなく、心の奥底では自分はどうしたいのかどうしてそうなっているのかなどがわかるようになっています。気分がハイになる効果もあるので、それも合わせて精神からくる病が緩和されるというのもうなずけると思いました。今回は1回しかやらなかったのですが、本来は3回はやることを推奨されています。そうしないとただの体験止まりで終わってしまい、もっと深くはわからないらしいんですね。初めての人はこういうトリップ経験すら見れない人も多いということでした。だから今回は浅いところまでしか見えていなかった、という可能性もあります。この体験がもし、人生観に対する自分の考えを強く表に押し出しただけだったとしたら、そこで褒められたことはただの自分自身への肯定というだけであり、客観的に見て得られたものではありません。自分が普段そうだと思っていたことをもう一度、確かにそうだと振り返っただけです。なのであまり真に受けすぎるのもどうかと思いました。ただ、もしこれがそれだけではなかったとしたら。もしなにか神がかり的な内容が含まれていたのだとしたら。自分の場合は「今まで生きてきた生き方すべてが正しい」「悩みなんて本当は何もない」と頭のなかで言われました。それ以外にも色々と得られるものがあったのですが、それらを信じるかどうか。シャーマンにも「彼はなにを悩んでいるのかわからない」と言われました。「悩みがあった気がしたけど、(アヤワスカの中では)何にもなかった」と言ったら、「じゃあ、いいじゃん」とあっけらかんと答え、あの独特の笑みを浮かべながら、「今日は俺が昼食を作ってあげるよ。俺ぁシェフだから」と陽気にダンスしていました。変な話ですが、自分は時々人の心がなんとなく読めます。そのときの状況や相手の状態、使った言葉や微妙な表情の変化などを、相手の性格や癖などを考慮して導き出すのです。つまり心理学的なものです。自分に関してのことだと被害妄想がわき起こり、確立がかなり下がってしまうのですが。で、そのシャーマンは全然心を読めませんでした。いつも陽気に鼻歌を歌ったり踊ったりしている彼の心を読むことができませんでした。あのような立ち振る舞いだと考えを読み取られにくいのか。ああいうタイプの人はいつも何を考えているのか。これは、これからの人生のちょっと面白い議題になりそうです。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/ayawaskareportアマゾン先住民による医療儀式・アヤワスカの体験レポート
後の祭り Yungay 13、ペルー 2016年06月08日 2016/3/23 Yungay, Peru今日は休日。昨日のハイキングで体が筋肉痛になっている。しかしホテルでじっとしているのもつまらないので、軽く村を散策してみよう。ホテルのすぐ目の前の道路では、軍隊の訓練が行われていた。さすがラテンの国というべきか、ランニングの掛け声が歌になっている。パラッパラッパー2というゲームにムーセイシャ教官という先生と主人公の二人が軍隊の訓練をするステージがあるのだけど、まさにそのまんまという感じだった。 ↑パラッパラッパー2 ↑こんな感じだった。3:37~まずはメルカド(市場)へ。 広くて明るくてなかなかいいところだ。ちゃんと掃除もされてるみたいだし。 品ぞろえもなかなかどうして。文房具やおもちゃなども取り揃えております。つぎに、街角をブラブラ。 ↑なにかのシロップに蜂がたかっているところ。ここの蜂はめったに刺さないこの村で、よく目に入る文字ある。 この emoliente エモリエンテ というもの。それはなにか店の人に聞いてみると、「天然由来の薬だ」という答えが返ってきた。筋肉痛で体も痛いし、ちょっと飲んでみようか。マスターひとつ、お願いしまーす。 上の写真でも写っている通り、アロエを混ぜているようだ。それにマカとよくわからない液体(カモミール茶と予想)を混ぜ合わせている。 よこの棚には怪しい瓶がズラリ。症状に合わせて調合するらしい。飲んでみると、口当たりはアロエのせいでトロットロ。味は、少し薬臭くて薄味の栄養ドリンクといったところか。特別おいしいものではないけど、体にいいものの中ではおいしいほうだと思う。道路に何か模様が描かれているのを発見。 なんだろう。もう少し近くで見てみよう。土や花などを使って絵や文字、模様をつけているようだ。なにかのイベントだろうけど、はたしてなんだったのか。それはこの記事の一番下で知ることとなる。2016/3/25ホテルを出るときに、ホテルの女主人が「ちょっと待ってて」と何かを取りに行き、そして、手編みのニットを手渡してくれた。会話もそんなにしていないただの客なのにこの心遣い。嬉しい。 これから寒いところも入るはずなので、そのときに活躍してもらおう。そして、宿のゲストブックに記帳をお願いされた。パラパラとめくって見てみる。日本語は一切なかった。フランスや北米からの客が多いようだ。みんなシールやイラスト、写真やオリジナルのステッカーなどを貼っている。日本語でここの感想などを書き、その下にこっそりとここのブログの宣伝を記しておいた。予想ではここから60kmほどで大きな町であるHuaraz(ウアラス)に着く。今日中にたどり着けるか微妙なところなので、キャンプ場所や宿がないかチェックしながら進んでいくことにしよう。 ↑キャンプにぴったりのバス停。しかしまだ5kmほどしか進んでいない ↑コカコーラのスタンド。おしゃれですね ↑かわいらしい建物。ここがホテルだったら絶対泊まってた ウアラスまであと10数kmというところに小さな村があった。そこでホテルがあるらしい。あと一息でウアラスまで行けるが、“ここで泊まったほうがいい”という本能にすなおに従うことにした。安い部屋で20ソル(700円)。この辺はみんなよそ者に優しいみたいで、ホテルの人たちは対応はすばらしいし、レストランでは嬉しそうに迎え入れられた店主から「日本語をぜひ教えてくれ」とノートを片手に頼まれた。シエラ※地域ではこういったオープンで優しい人が多いような気がする。※シエラペルーは3つの地域に分かれていて、そのうちの中央を縦に走る高山地帯のこと。ほかに海岸部の砂漠・コスタ、奥地のアマゾン地帯・セルバがある。レストランで仕入れた情報によると、今はサンタセマナ※だからウアラスは観光客でにぎわっているし、ホテルは値上げしているという。って、また祭り!?メキシコの再来か!!どの町に行っても祭り祭り祭り!!!!いい加減にしてくれ・・・※サンタセマナキリストの誕生を祝う週間で、この週は肉を食べないらしい。ジュンガイ村で朝食に思いっきり肉が出てきたんですが・・・ [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/yungayatonomatsuri後の祭り Yungay
エメラルドグリーン色に輝く湖 Laguna69 13、ペルー 2016年05月31日 2016/3/21 Caraz, Perú今日はYungay(ジュンガイ)という村へ向かう。アンデスの谷間を通る道だが、地図を見ると現在いるカラスの町との高さの差は300mほどある。のぼり、か・・・ ↑めちゃくちゃデカいかぼちゃを収穫している畑の横をとおる徐々にきつくなってゆく坂道。しかし、途中のガソリンスタンドでタイヤの空気をマックスにしたのが功を奏したのか、すぐにジュンガイへとついてしまった。気合をいれて出発したのに、あっけなくついてしまって拍子抜けだ。カラスの町のインフォメーションセンターで聞いたGledel(グレデル)というホテルを訪ねる。そこのお母さんが「まあまあまあ」という感じ、まさにそんな感じで迎え入れてくれた。しとやかに胸に手を当てながら、「あなたなら20ソル(700円)のホテル代を15ソル(525円)にしてもいいわ」部屋は狭くてトイレバスは別だが、かわいらしい窓がついていてなかなかいい部屋だった。机や鏡や服かけなどの調度品が整っている。これで15ソルならまったく文句なし。明日目指すのは、 この看板にあるLlanganuco(ジャンガヌコ)湖のもう少し奥にある、Laguna 69(ラグーナ・セセンタイヌエベ)。これまで現地の人たちに話を聞くと、ジャンガヌコのほうが有名らしい。というか、ラグーナ69を知っている人が少なく、「ジャンガヌコのことでしょ?」と言って話が通じなかった。どちらもエメラルドグリーン色をした湖なのだが、ラグーナ69はもっと奥地にあり、雪山に囲まれていてきれいなんだとか。楽しみにしておこう。 ↑ジュンガイの広場。熱帯気候のような見た目だが、暖かくはない2016/3/22朝6:45に起きて急いで7:00のバスへ。予約をしていないので無理矢理乗せてもらった。後ろ向きで体制もキツく、すぐに車酔いを発症。途中でなんど降りようかと思ったことか。レストラン休憩や入園料を払うために何度か止まったので、それで事なきを得た。酔いで腹と頭が痛く、気持ち悪い状態のなかでトレッキングはスタート。「すぐ前にガイドの人がいるからついていきなさい」とバスの運転手に言われる。「3時にここで待ってるから」とも。 まさに大自然のなかを歩く。地面がぬかるんでたり、泥や小川のなかを突っ切ったり、がれ場をのぼらないといけない。こう聞くと本格的っぽいが、これでも初心者コースのはずである。 ↑山の谷間を抜けていく ↑あいだに真っ黒な池をはさむ。この辺から傾斜が急になってくる ↑雪山が見えた!雪は見えるが実際に手に触れることはない。谷間を縫っていくので、雪は見えるが踏むことはない。標高も4600mほど。後半の岩場がかなり難所だった。かなり辛かったし、帰るときにほかの旅行者から何人も「あとどのくらい?」と聞かれた。自分は高所に慣れているからいいのだが、ほかの人は高山病もあったりして大変そうだった。さて、問題の湖はというと・・・・・ こんな感じでーす。どうでしょう。色を上塗りしているとかじゃなく、本当にこんな色なんです。 ほら、きれいでしょ?目に入った瞬間、わっと大きな奇声を発してしまったほどだ。 見ての通りものすごく寒いのだけど、それでも湖に飛び込んだ人がいて、拍手と歓声が上がっていた。途中まではバスで来れるし、2時間半くらいで着くことができたので、高山病に気をつけて、滑りにくい靴を履き、防寒対策をしていればだれでも行くことができると思います。ペルーに旅行するときには、来てみてはいかがでしょうか。ほかの観光客は全員ジュンガイではなくHuaraz(ウアラス)※という大きな町から来ていました。こちらのほうがツアーもそろっているし便利だと思います。ちなみに、時間がたつにつれて観光客がワラワラと増えてくるので朝一がオススメ。人がどんどん押し寄せてきたので、自分はそれが嫌になって一時間ほどで切り上げて戻ってしまいました。※Huaraz 日本語では"ワラス"と書かれているかもしれない。ネイティブの発音を聞いても、"ワラス"としか聞こえなかった。帰りのバスは席にありつけたが、めちゃくちゃ揺れて大変だった。ジュンガイについたときにはフラフラで、頭痛と気持ち悪さで調子はどん底。・・・ラグーナ69に来る人は車酔いにも気を付けてください。 つづく~~~~~拍手コメント返しのコーナー~~~~~sさんへいつもありがとうございます!初めての強盗でどうしようかと思いましたが、相手方が経験不足だったようで助かりました。ちゃんと気を付けないといけないですね~。いい経験にはなったと思います。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/20160530エメラルドグリーン色に輝く湖 Laguna69