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泉を見にいこう…ってだれがハゲやねん! Jagueyes




今日フェレニャフェへもどって翌日チクラヨに行く予定だったが、昨日ここのホテルのお母さんにすすめられた場所が気になり、そこへ訪れてからフェレニャフェへともどることにした。

朝にもう一度そのくわしい情報をたずね、聞きとれた名前をメモする。

聞いた話によると、
「いくつかの村を通りぬけ、Mayascon(マジャスコン)という村の広場を右に曲がって山道を登る」
らしい。

岩がきれいだとか、川かなにかがあって水浴びできるとか、そのようなことを言っていたようだが、完璧に理解はできなかった。

一番肝心なその場所の名前はうまく聞きとれず、
「ロハワジェス」とかなんとか・・・ よくわからないがそんな風に聞こえたのでそのままメモした。

そのままホテルの家族にお別れを言ってバタングランデの奥を目指す。

google mapではその先しばらく行くと行き止まりになっていたのだが、本当に道はあるのだろうか。


路面の傾斜はほとんどなく、緑あふれるきれいな景色がつづいていく。



    ↑こんな道路を走っていく


    ↑景色がめっちゃきれい。人に荒らされてないから自然が残っているのね。だって普通来ないもんこんなとこ



2~3さきの村で軽食とジュースを注文して休憩。

マジャスコンはどこかと店員に聞いてみると、この先もっと行ったところだと教えてくれる。

ちょうどその店で右に曲がらないといけないらしかったので、聞いておいてよかった。

道に迷わずにすんだ。

まだ遠いという感じの話し振りだったので、ちょっと飛ばしめで走ることにする。

できれば今日フェレニャフェまでもどりたいからだ。


いくらか走ると道路がなくなり砂利道に入る。

かなりゴツゴツとした石が転がっており、さっきとは打って変わって非常に走りづらい。

    ↑実家の裏道を思い出した

ハリウッドのセットのようなみごとな岩壁。

反対には崖下に川が見える。

まさに大自然のまっただなかだ。




起伏がはげしすぎて荷物が満載の自転車では乗ることもままならず、おしながらゆっくりと進んでいると、男の子がおなじく自転車をおしたり乗ったりしながら、こちらのほうをチラチラと見やりペースを合わせて進んでくる。

まるで道案内してくれているかのように。


ガタガタボコボコのダート道に入ってから1時間ちかくがたち、ようやくちゃんとした村が見えた。

男の子はこの村の子どもだったようだ。

商店で飲み物を買い休憩。

そこでマジャスコン村の場所を聞いてみると、

なんと、今まで歩いてきた道を指さすではないか!

…通りすぎていたようだ。

ショック。

またこの道をもどらないといけない。

マジャスコンはちょうど道路が途切れるその境の村だったらしい。

こんな大変な道を走る必要はなかったのだ。

まったくのくたびれ儲け。


マジャスコンにはおもいっきり村の名前が書かれていた。

しかもあちこちに。



    ↑看板まで立ってる

これを気づけなかったとは。

店員の話を聞いてもっと遠いと思っていたからスルーしてしまったんだな。

思い込みっておそろしい。

時刻も3時をすぎている。

いい時間だ。

戻ろうか、それとも今からでも探ってみようか。


村にいた人に話を聞くと、家が並ぶその裏手をまっすぐ行くと30分ぐらいでうわさのJagueyes(ハゲジェス)に着くと言う。

道もあるから迷わないだろうということだ。

30分でつくなら行ってみようと思い、商店に自転車と荷物を置かせてもらって村の裏側、山へとつづく道へ。

看板がいくつも立っているのを見ると、観光客が結構くるのかもしれない。




ここの石が紫がかっていてほかとは違う色をしていた。

アメジストの成分が混じっていたりして。

とても軽かくて脆かったのでそれはないか。




    ↑右の岩、猿の横顔に見えませんか?


    ↑ロジャーさんが名前を書いてるこの岩、すっぱり切れててなんかすごいね


ここで大変なことに気づく。

ポケットにバタングランデのホテルのルームキーが入っていたのだ。

…返すのを忘れていた。

完全に。

これは今日中にもう一度ホテルへ行って鍵を返さなくてはいけない。

ついでに今日もそこで泊まってしまおうか。

もう遅いしね。

フェレニャフェへ行くにはちょっと遅れをとりすぎている。




    ↑いきなり安っぽくなる看板



    ↑山のなかに突然これがポツンと出てくるからものすごく違和感がある


    ↑大岩のテーブル


しばらく進み、元は川が流れていたであろう岩場まで来た。




そこを登っていくと、ハゲジェスの池へ到着する。



岩場に水がたまっている。

緑色をして透きとおった池。

静かだ。

風の音と時おり少し変わった鳥の声が聞こえる。

秘密の水場という雰囲気だった。


特になにをするとも決めていなかったのでとりあえずオカリナを吹いてみると、音が反響してきれいに聞こえた。

天然のリバーブ装置。





バタングランデへ戻ったのは暗くなる直前だった。

鍵を返すのを忘れてしまったと言うと、ホテルの家族は歓迎してくれた。

「アナタが行ってしまってから、日本語を学ぼうかと話していたのよ」とお母さん。

そんな歓迎ムードのなか申し訳ないが、とても疲れていたのでそんなに話もせずにすぐ寝てしまった。

次の日はホテルには誰もいなかったので、なにも言わずにそこを去ることになってしまった。

鍵は扉につけたままにして。




    ↑帰りに食べた夕食は4食のソースがかかっていた


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教授の知り合いの家族がパネトンを食べさせてくれた話、Santa Clara 〜 Batangrande



ポマックの森でのキャンプをやめ、先へと進む。


現在時刻は17:15。
バタングランデまでの距離は20km少々。

町まで全部平地だったとして、19時前に到着する計算だ。

18時ごろになると暗くなってくるので、できればそんな時間まで走りたくない。
とすると近くの町でキャンプということになる。



しばらく走ると大きめの公園がある村にやってきた。
まわりには発掘物を表した像や人形が飾られており、白黒斑点模様のホロホロ鳥が親子で散歩している。

キャンプ地はここがよさそうだ。
食事できるところはないか、あたりを探る。


200mほど離れたところに青空食堂があった。


・・・ちなみに、この青空食堂っていうのは天井や壁のない屋外でやっている食堂のことを言っているのだけど、調べてみると同名の店名しか出てこない。

みんな、そう呼ばないの?
正式名称はなんと言うのだろう。
知っている人がいたら教えて下さい。


で、なにが売っていたかという、こちら。



この飲み物はチャンプースというらしい。
フルーツとナッツが入っていて、なんだかドロドロしている。
まずくはないがうまくもない、なんだか複雑な味がしていた。

左のものはチャチャンガという薄い揚げパン。

2つあわせて1ソル(35円くらい)。
揚げパンはちっちゃいので、これでこの値段は安いのかどうかちょっと判断に困る。



チャンプースを飲んでいると、店の人から
「Santa Clara サンタクララに行くの?」
と聞かれた。

サンタクララという町があるのは知らなかったが、わざわざそんなことを聞くということは有名なところなのだろうか。

そこは大きな町なの? と聞いてみる。
答えは Si. イエスだった。


ここから近いとのことだった。
行ってみようか、どうしようか。

近くにいる人にも聞いてみると、
「サンタクララならここからすぐよ。ええ、大きな町ね」

大きな町ならホテルもあるんでしょ?

「え・・・ええ、あるんじゃないかしら」



あーこれはないときの反応だわ。
今までの経験上わかる。

きっと町も小さいのだろう。



でもそんな誰も行かないような場所なら行ってみてもいいかもしれない。

なにかあるかもしれないし。
なにか起きるかもしれないし。


それにどうせキャンプするなら奥地のほうが安全かもしれないとも思い、サンタクララへ行ってみることにした。



そしたらどうよ、



この道!

前回も言ったけど、最近ひどい砂利道入りすぎじゃないですかね?
自転車が壊れちゃうー。



15分ほど進んだのち、サンタクララへついた。

そこを見た最初の感想は、



さびれてんなー。



予想通り小さく、ホテルなどひとつもない。
食堂すらほとんど見あたらない村だった。


広場の近くにあった店へ入り、3ソル(105円)のサルチポジョ(フライドポテトとフライドチキンのファーストフード的な料理)を注文。

そしてザックを降ろしたときに悲劇は起こった。




背中でビリビリとなにかが破ける音。


そして見覚えのあるナイフが一本、カランと地面に落ちた。





腰につけていた護身用ナイフ(対犬用)のシースが破れてしまったのだ!

しかもかなりお気に入りのやつ。


これにはショックを隠しきれない。


・・・が、疲れていたため落ち込みモードから5秒で復帰。
席について料理を待った。



サルチポジョを食べ終えたころ、向こうの席からお呼びがかかる。

そこには酔っぱらいの村人たちがくだを巻いていた。



ビールや透明なウィスキーを勧められてしまい、そのまま一緒に飲むことになる。


そして、酔った状態で広場で寝ると警察に連行されるということで、この店の主人が2階の一部屋を貸してくれることになった。






翌日。


泊めてくれた主人にお礼を言い、最初に声をかけてくれた男もいたのでその人にも挨拶する。
昨日ひどく酔っていたにもかかわらず今日も酒をグイグイ口に運んでいる。




そこから1、2時間ほどでバタングランデについた。

もっと大きな町かと思っていたが、かなり小さめだ。
広場にはまだクリスマスの飾りが飾られていた。





    ↑夜はこんな感じ



宿を探しまわる。

ウロウロしてみるが見つからない。
人に聞いてみると、何軒かあるそうだが大々的に看板は出ていないようだ。


何人かが、

「一番奥のホテルは危険だ。働いている人もよくないしベッドには虫が多いし、泊まるなら他のところにしたほうがいい」

と口々に言っていた。


いったい何があったんだろう。



一泊10ソル(350円)で泊めてもいいと言ってくれたところがあったのだが、ちょっとうさんくさい雰囲気があったのとイタズラ好きの子どもたちがうるさそうだったので他を探す。


メルカド(市場)の目の前に20ソル(700円)のところがあったのでそこにした。


    ↑一軒ホテルとは思えない見事なカモフラージュ



    ↑しかも入口は裏にあるという2重トラップ



夜になにか食べられるところを探そうと外へ出ると、突然女性に話しかけられる。

何かと思ったら、なんとこの女性はホテルのオーナーの一人、つまりそこに住みながらホテルを営んでいる一家の奥さんだった。


今初めて会ったのになぜこちらのことをわかったんだろう
と疑問が残るなか、彼女は「今は年始だから店があまりやっていない」と言う。

「よかったら家で料理作るけど?」

言われるままにホテルへと戻った。



彼女と彼女の夫と話をしながら5ソル(175円)でおいしい料理を作ってくれ、コーヒーもくれた。

久しぶりに飲むコーヒー。
フェレニャフェではどこへ行っても、コーヒーはない! と突っぱねられていた。


食後に panetón パネトンと呼ばれるケーキをごちそうしてくれた。




そうこれ!
ペルーに来てからスーパーやポスターでよく見ていたので気になっていたのだ。

夫の話によると、クリスマスや祝い事のときによく食べられるらしい。
中にドライフルーツが入った甘めのパンだった。

すごくおいしい。


    

彼らの子どもがシパンの発掘に携わったことがあり、そのつながりで発掘のリーダーをしていた島田教授と知り合いなのだという。




ここの2階に住んでいたのよ

と教えてくれた。


とてもよくしてくれた家族で、昨日の酒場の人たちにひきつづき彼らに会えたのは幸運だったといえよう。



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村人D「ここから北へ行くとポマックの森があるぞ」 Bosque de Pomac






今日のご予定:ポマックの森に行って発掘現場を見学
       その後 Batangrande バタングランデにて宿泊




フェレニャフェを出て北へ。


ガタガタの道路を通り抜け、町を出る直前で "Museo Sican シカン博物館" があった。

昨日行ってみようか迷ったのだが面倒になって行かなかったところだ。
こんなところにあったのか。


博物館の姿を目にしてしまうとなんだかちょっと行きたくなってくる。
もったいない気持ちになる。


バタングランデからもう一度ここフェレニャフェへ戻るので、博物館はそのときに見学することにしようか。



    ↑今はポマックの森へ急ぐのだ



木々がそれなりに生い茂る道を走っていると、ペルー国民の足であるバイクタクシーがブルリンブルリンと音を立ててやってきた。


そして中から、

 こんにちはー

という叫び声が聞こえた。
日本語で。


目の前で止まるバイクタクシー。

その乗客はすこし日本語が話せるようで、自己紹介をしてくれた。



なぜ日本人だとわかったのだろう。
もしかして、今大声で歌っていた日本語の歌を聞かれてしまったのだろうか。

は、はずかしい。






そんなこともありながら、
小さな村を抜けた先は砂漠、そしてまた木々生い茂る道に入って、
やってきました「ポマックの森」。

RPGとかで使われてそうな名前の森である。


フェレニャフェからはそう遠くなく、2時間もかからずに着くことができた。



    ↑ポマックの森攻略マップ。そこは広かった


まずは入口にある小屋へ行って10ソル(350円ちょっと)を払い、隣の資料館へ。

「たくさんの生き物たちが棲息しています」

というようなことが写真とともに書かれている。
鳥だけでもざっと1200種はいるらしい。
すごいね。




昔から息づいているおじいちゃん巨木や楽しげな鳥たちを見ながら、ガタガタの道を自転車で走る。

最近ダート走りすぎじゃない?
けっこうつらいんですけど。


ただ今回はザックを入口に置かせてもらったので、かなり身軽だ。

そうか、ザックがないだけでこんなに走りやすいものなのか。
普通のチャリダーはこんなに快適に走っているのだな。




Rio la leche(リオラレチェ、牛乳川)というところを発見。
噂はかねがね。

普段は川のあとしか見えないのだけど、12月から水が流れるらしいですよ、この川。


現時点で1月。
川はどうなってるかな〜。








ってカラッカラやないかい!






もうパッサパサ!!

でも川の跡地の砂が白くなっててちょっときれいだったりする。
ミルキーウェイ。




地図によると、目指す遺跡までは5km以上離れているそうで結構な時間を自転車で走らなくてはいけない。
さっきも言ったが穴ぼこや石だらけの未舗装地である。


ひーん。


でもコンクリートで固めたら自然が壊れてしまうのでよろしくない。
ここは我慢だ。




    ↑下についてる看板の重り部分がちゃんとデザインされていて細部にこだわりが見える



Huaca del oroとかかれた案内看板にしたがいながら進んでいくこと30分弱。



さきほど見た牛乳川を横切る。
若干地面が濡れているのがわかるだろうか。

水は、水はあったんだ!




そこを越えると





こんな遺跡が目の前にあらわれてくる。
なんだかボコボコしていてすごい形だ。
要塞みたい。


ちょうどついたときに他の観光客とそのガイドも同時にご到着。
どさくさにまぎれてついていくことにした。



    ↑ここ、登れるの? …マジ?



足場の悪い中を登り、見えたのがこちら。


地球いっぱいの森!


 


地平線の奥までつづく木々。

ビビッドな緑色。



    ↑中央に見えるのは別のピラミッドらしい








写真では伝わりづらいが、この大迫力にすこしばかり感動を覚えた。



…あれ? そういえばなんでここに来ようと思ったんだったっけ?

たしか金細工が発掘されたから興味を持ったはず…景色を楽しみにきたわけじゃ……



まあいっか。



地面には貝や土器の破片のようなものもたくさん埋まっていたが、誰一人としてそれを気にとめるものはいなかった。



もっと見ていたかったが、ところがどっこい時間がない。
入口のスタッフには5時で閉まることを告げられていたのだ。

早くいかないと荷物がしまわれてしまう。



    ↑帰り道。ものっそい急なんですけど…



急いで帰ってギリギリ15分前に戻ることができ、無事ザックを救出。

ここでキャンプができるらしいので聞いていると、キャンプするにはもう10ソルプラスしないといけないそうだ。


んー、それならいいや。
さきへいってどっかの町に泊まりましょ。

と、水だけ買ってポマックの森を出たのだった。



時間がなくてあまりゆっくりできなかったが、ここはかなりのお気に入り。
もう一度行きたいくらいだ。



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出先で年末進行、Ferreñafe




ランバジェケもそこそこ堪能したところで、次いってみよう。

普通のルートを考えるならここから都市チクラヨに行くと思うのだが、ここでちょっと寄り道することにした。


目標地点はFerreñafe(フェレニャフェ)とBatangrande(バタングランデ)の間にある 「Bosque de Pomac」ポマックの森 である。



    ↑ランバジェケからちょい北、白くて細い通りを抜けてフェレニャフェへ向かう



まずは中継地点である"フェレニャフェ"という気の抜ける名前の町を目指すために、10kmほど来た道をもどる。

もどったあたりで腹が減った。


そこは集落のようになっていたので食堂を探してみるが、どこも定休日らしい。
今日は年末。

扉は開いているのに、入ってみると料理はないと言われ続ける。


唯一あったバーの料理は値段が高めだったので、結局なにも食べずに進むことにした。



道を曲がり細い通りに入る。


路面状況はガタガタで大変よろしくない。
転がっている大きな石を踏むたびに自転車が悲鳴をあげる。

今の自転車の状況だと壊れるかもしれない。
特に荷台とバッグがもうヤバい。
すぐにでも死にそう。

なので、ひどいところは押して歩かざるをえなかった。



    ↑自転車を押していると、奥から土ぼこりを上げてやってくる怒濤のヤギ



それにしても腹が減った。


どうせないだろうとあきらめ半分で民家の人に
「この近くに食堂ってありますか?」
と聞いてみる。

返事はもちろん「ない」。
そりゃそうだ、こんな田舎道だもの。


しかし聞いて正解。
ここの人たちが残り物で食事を作ってくれたのだ。


みんなこちらの話を聞きたがっている様子。

食べている間中色々と質問されたのだが全然聞き取れず、ほとんどちゃんとした会話はできなかった。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


食べ終えた食器を片付けようとすると「これ以上はもうないよ」と言われる。
まったく噛み合ない。



その先の小さな店で飲み物を買うと、今度はそのおばあちゃんが家のなかに招待してくれ、招待といっても入口のすぐそばのイスにこしかけただけなのだが、
「ここに座って休みなさい」
と休憩させてくれた。


これからフェレニャフェへ行くと言うとおばあちゃんは

「フェレニャフェならあと20分くらいだよ。そこに娘が住んでいるんだ。へえ日本から来たのかい。日本にも家族がいてねえ。あとスペインにもいるんだよ。仕事でね」

という本当か嘘かわからない話を延々としてくれる。



そろそろ行かなくちゃと席を立つとちょっと寂しそうな顔をするおばあちゃん。

彼女の言う通り、その先20分くらいでフェレニャフェにつくことができた。



    ↑大きな給水塔は各町にある



道が安定してきて一安心。

まずは中心部の広場を目指しつつ、安くてwi-fiの繋がっているホテルを探そう。
人に聞きながら目についたところをいくつか探ってみる。



広場のすぐ近くのホテルにwi-fiがあることがわかった。

そのホテルの店員たちは愛想がよく、値段も25ソル(約875円)と安い。
そんな安値なのに中はとてもきれいで室内も毎日掃除してくれるし、バスルームがかなり広かったのもうれしい。

ここはかなりオススメだ。
wi-fiが繋がるホテルはどうやらこの町にはここだけのようだった。


    ↑Hospedaje Arcangel(オスペダへ・アルカンヘル)というこのホテル。混んでいる日もあるため注意


 
    ↑すぐ隣の静かな広場。人が多く、みんなベンチや芝生に座ってゆったりしている



この町の人たちは表情が穏やかで優しい感じがする。
旅行者はあまり見ないが、ここはなかなかいいところなのではないか。
そしてなによりホテルの居心地のよさもあり、ここが気に入った。

年末はここですごし、年初めにポマックの森へと出発することにしよう。




広場にはわたあめの屋台があって、その制作行程を眺めているうちに日本の縁日を思い出した。





懐かしくなってひとつ購入。
値段はたしか1ソル(35円ちょっと)だった。

日本の祭りで買うと400円以上するのだから、この値段は破格といってもいい。

というか日本がぼったくりすぎなんだけどね。
ザラメ砂糖しか使ってないのに400円はねーよ ってね。
子ども向けなのにね。


食べてみると、なんのことはない普通のわたあめ。
日本のものと同じだった。
すこし香料が入っていて人工的なフルーツの味がする。

食べ終わったら手がベトベトするのもおんなじ。




あー、日本時間では今日が元旦か。
今頃日本では神社で屋台が並んでいたり、そこでは人がごった返していたりするんだろうなぁ








なんてことはまったく考えず、ただ純粋にここの生活を堪能したのだった。


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ラバンババンバランバジェケ Lambayeque





このあたりの土地から"シパン・ランバジェケ文明"の遺跡や出土品が発掘されているらしく、
今滞在しているランバジェケにはその博物館のひとつがあるそうなのでさっそく行ってみた。



それがここ、Museo Tumbas Reales Sipan。
ムセオ・トゥンバス・レアレス・シパン と読むのだが、長いのでシパン博物館と呼ぶことにしよう。

 

採掘物の多くがこの博物館に集まっていて見ごたえがあるという噂を目にした。


よし、それならいっぱい写真撮っちゃおう!


と、意気揚々と入場したわけだが、どうやらここはカメラがNGらしい。
カメラ、それから受け取りの際の身分証明代わりにパスポートをボッシュート。

携帯を持っているひとはそれも預けなくてはならないらしい。



財布とメモ帳のみポケットに入れてピラミッドのような形のシパン博物館へいざ突入。


入口で係員に「こっちへ行け」と指示される。

そこで文明の説明が聞けるビデオを見せられた。
見終わったあとに案内がつき、一個一個説明してもらいながら展示物を見てまわるようだ。


なるほど、ビデオは時間稼ぎなのか。

そこである程度の人数を集めておいてグループを作り、そのグループごとに説明係をつけることによって一括して効率的に係を配置できる。
そしてこっそり写真を撮っていないかを見張る警備員の役割もかねている。

考えたものだ。


こちらはスペイン語はわからないのでそのグループからはずれ、単独で行動に移す。
英語の説明係もいたが、英語もそんなにわかるわけではないし面倒だから、まあいいや。



内容はというと、
細かい細工がされてある金の装飾品、人や動物をかたどった土偶、ファラオやツタンカーメンなんかがしてそうな首に巻くジャラジャラなどがたくさん展示してあった。

    ↑この首にまいてるジャラジャラみたいなの



ササッと見ていくとあっという間に終わってしまうので、じっくり見たい人はやはり係の人についていくべきだろう。


カメラを返してもらい、博物館のまわりを散歩する。
敷地内にはなぜか畑があり、豆やよくわからないモコモコとした植物がのんびり風を受けている。


    ↑トウモロコシに少し似ているモコモコ。左下の札にはkiwichaと書かれていた



そして奥には手芸品を作り販売している小屋が建っていた。


    ↑アルパカの毛で織物をしている小屋



    ↑薄めの温かい茶色が特徴的



    ↑アルパカの毛を糸にしているもの



    ↑駐車場付近の壁に描かれていた絵。こんな感じの土偶がたくさんあった




この町は食堂が安く、メヌ(昼食セット)が5〜5.50ソルで食べられるところが多かった。

メルカド(市場)のまわりにはたくさんのホテルがあったので、探せば安くていいところも見つかるだろう。

10kmほど先の大きな町・チクラヨに用がないのならこっちで泊まったほうがもしかしたら安上がりかもしれない
    ↑食堂ならチクラヨでも安い所はありました。むしろこっちのほうが多そうです。ホテルはわからないですけど。




    ↑広場のひとつの写真。砂漠の中なのに緑がいっぱいだ



ランバジェケに入って一番に思ったのは、制服姿の女性が多いということ。

ここ最近ではスーツなどの仕事服を着た人事態、まずあまり目にしなかったのだが、このへんではよく見かけ、しかも女性も多い。

女性の社会進出がかなり進んでいるということだろうか。


…いや、中南米では女性が物を売ったり商店や食堂を構えていたりすることが非常に多いので、「女性の社会進出」という意味ではここじゃなくても元々進んでいると言えるのかもしれない。




ホテルの近くでプリン屋があったのでひとつ買って食べてみた。



下が普通のプリンで上はチョコのムース。

プリンはゼラチンを混ぜたような固めの歯ごたえでちょっぴり違和感が・・・
ムースはとてもおいしかった。

他にも、ミルク粥のようなものと紫トウモロコシのチチャ(もしかしたらブルーベリーかなにかかもしれない)を層にしたものも置いてあり、
それはここでは食べなかったが以前立ちよったピウラで食べたことがあるのだが、とてもおいしかった。

ペルーに来た人はぜひお試しあれ。
 


※正直に言うと、wi-fiが全然手に入らなくてこの内容が1週間くらい前のことなので何を書こうとしていたかかなり忘れてしまっています。
タイトルもめちゃくちゃ適当ですんません。


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「黄金の都シカン」を見学をしてみようかな、Lambayeque



朝目覚めると、気分はすっきり。
宿の主人が突然部屋に入ってきて無理矢理起こされ追い出されたこと以外は平和でさわやかな朝だ。

なぜ昨日はあんなにイライラカリカリしていたのか不思議に思うほど、この日は調子がよかった。



食堂にたちよったり商店でジュースを買って休憩をはさみながら、いくつもの大きめの村を通りすぎてゆく。


途中にTucume(トゥクメ)という町があり、事前の調べではこの近くにピラミッドかなにか、王の墓があるという話を目にしていた。

この先の大きな町、Chiclayo(チクラヨ)周辺では古代から存在していた文化の採掘物が多く見つかっており、シパン王の墓や遺跡などのなかには多くの金が見つかったそうな。


コロンビアでも黄金博物館なんてものがあったが、南米って金がざっくざくじゃないですかー!

そんな黄金の都シカンと呼ばれるところにちょっと興味が出たので、この先ちょいちょいかいつまんで博物館やら遺跡やらを見てみようと思う。
そのためには少し戻らないといけないのだが、それくらいの寄り道は構わないだろう。


でも、このピラミッドはとりあえずいいかな。うん。

颯爽と通り抜けた。




路肩は石が散らばっていて非常に走りづらい。
かといってチクラヨに近づいているためかこの辺は車が多くなってきており、路上に出ることもままならない。


そんな悪路のなか、ポツンと建っていたガソリンスタンドにトイレを借りにいった。

ガソリンスタンドのトイレというのはあまりきれいじゃないのが普通なのだが、そこはとてもきれいだった。
しかもシャワー付き。
荷物を置くちょっとしたスペースまである。

昨日キャンプしていたらおそらくシャワーを借りていただろう。
むしろここでキャンプしたかったくらいだ。



ところで、この日はほとんど写真を撮っていなくて、唯一撮ったのがここのトイレだったのですが、

・・・・・見たいですか?

本当にこれくらいしか写真がないのですけど、

・・・・・見たいですか?



あ、いいですかそうですか。

では貼らないことにしますが、とにかくつい写真を撮ってしまうほどこのトイレに感動してしまったということです。




とまあ、そうこうしているうちにチクラヨから約10km手前の町、Lambayeque(ランバジェケ)に到着。
今日はここに泊まる。

なぜチクラヨまで走らないかというと、この町にシカン関係の博物館があるそうで、そこを訪れたかったのだ。


2軒ほどホテルを見てみるがかなりいい値段をしている。
奥にはもっとたくさんホテルがあるらしいのだが、この日は疲労でダウン寸前だったのでちょっと欲を出して若干高めのところにチェックインした。


部屋のなかで一休み。

気づくと体中が虫にひどく刺されている。
おそらく昨日の宿で蚊とノミにやられたのだろう。
刺され方からして南京虫だろうか。
ももの付け根と下腹部、足首あたりがボコボコになってしまっていた。

めちゃくちゃかゆい。



夕食から帰ってきてふと目にとまったホテルロビーの周辺地図を見て愕然とした。



予定ではここランバジェケから少し戻ってFerreñafe(フェレニャフェ)という町へいき、そこから北上して黄金を発掘したというBatangrande(バタングランデ)へと進む構想だったのだが、この地図によるとそのルートに道はない。

さっきスルーしたトゥクメからじゃないと行けないことになっている。


どうしたことか。
これはマズいと緊急脳内会議。

さすがに30km以上戻るのは気が引ける。
いったいどうなっているのだろう。


慌ててネットを開く。
道を間違えてしまったのか。


google mapによると、一般道ではない細い道だが一応この近くからフェレニャフェ、そしてバタングランデへと行くルートが確認できた。

ふうよかった。
ひと安心。

ただ、もしこの道が未舗装道路ならかなりキツいことになるだろう。
一抹の不安がよぎった。



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人間不信の再発、Jayanca


 


ペルーでのスペイン語の呼び方

〜〜〜〜〜〜

はい、今回はちょっと長くなりますがお勉強から入りますよー。

スペイン語と言っても各地方で全然違うということをこのブログではいくども書いてきているわけですが、
今回ペルーのスペイン語について話したいと思います。


まずはこれを見よ。

 

                      ↑これ!!
   
          http://www.mucha-suerte.com/spanish/spanish8.htmlより


ホントこれね。
今まで almuerzo アルムエルソ がイコール「昼食セット」だったのに、ペルーでは menú メヌ に変わってしまったのです。

それまででも、たとえばmenu del dia(メヌ・デル・ディア)「今日のメニュー」というセットメニューが書かれた看板があったりしましたが、それでもアルムエルソでも通じていました。

こちらでは本当に日本の「昼飯」と一緒。
セットである必要がないようです。
ペルーでアルムエルソと言ってしまうと単品で出てくることも多いので注意しないといけません。

関係ないですがメキシコではcomida corrida(コミーダコリーダ)と呼ぶところも多いですね。


こんな風に、国が変わればやっぱり言葉が変わってしまい、これまで培った常識が覆されつづけています。
苦労がたえない。


一番ショックだったのは、fugo(フゴ=果物ジュース)frugo(フルーゴ)になったこと!
ずっと変わらないと思っていたfugoが、こんな姿になってしまうなんて・・・

いやfugoでも通じるのですが、「あ、フルーゴね」と毎度言い直されてしまうのです。
おいたわしや。


そして、なんとこちらでは"スペイン語"の呼び方も変わっていました。
その名も castellano(カステジャーノ)

調べてみると、カステジャーノはスペイン語の共用語方言ということらしいですね。
たしかにカタルーニャ地方だと言葉がちょっと違うとか聞いたことあります。テレビで。

つまり中国語でいうところの北京語みたいなものでしょうか。
今はマンダリンと呼ばれているそうですが。

メキシコからずっとみんな
「Español Español エスパニョル エスパニョル」
言っていたのに、ペルーに入った途端
「あなたカステジャーノ語は話せる?」
とかになって、違和感がもうすごいんですけど!



↓そのほかペルースペイン語の詳しい話はこちらにありましたのでどうぞ
http://members.jcom.home.ne.jp/catalinahy/dic_peru_espana.html

ここに「ペルーはゆっくり話す」というようなことが書かれていますが、


めっちゃ速いですからね!

今までで最速!!


しかも濁音があまり濁らずフニャフニャっとした感じで話すので全然聞き取れません。



ということで、ペルーのスペイン語でした。

〜〜〜〜〜〜〜



そんなペルーで、自分はこのとき、言語の壁によりかなりフラストレーションがたまっていた。

話しても通じないうえに勘違いされることもしばしば。


伝えたくても言えない

話を聞きたくてもわからない


そんな行き違いが何度も何人もつづき、苛立たしさがつのってきてしまった。
留学に行ったことのある人や赤ちゃんのころの記憶が強い人は、もしかしたらこの気持ちをわかってくれるかもしれない。
言葉がわからないことに対する憤り。


もう誰とも関わりあいたくない。

自分の人間アレルギーが強くなっていき、さらに人間不信におちいった。




モトゥペを出発。
ここで会った人達にお礼を言おうと少し探しまわったが、この日誰とも会うことができなかった。



いつものように道を走る。

スイカとジュースのみ売っている八百屋で休憩したり、

 

ちょっとした村の公園で休んだりしながら、





Jayanca(ハジャンカ)という村に入った。
植物の種のようなトゲトゲのせいでちょうどタイヤもパンクしたところだったので、今日はここに泊まることにした。


村の入口に小さなサッカーグラウンドがあり、そこでキャンプしようと思ったが、村人が言うには「ここはかなり危険でよくスリや強盗が出るからやめたほうがいい」とのこと。


セントロ(中心部)の広場でキャンプしたらいいのでは、ということをみんなが言うのでそちらへ向かうと、セントロではクリスマス年末シーズンの祭りで盛り上がっている。
出店やビンゴ大会など賑やかだ。


こんなに人がいるところで寝るのは難しいのではないか。

「深夜になれば人はいなくなる」とバイクタクシーの男は言ってくれたが、警察にはやはりここは危険だからやめておくべきだと忠告される。



この村のホテルはどこも30ソル(約1050円)でwi-fiはなし。
ネットができないのに30ソルはちと高い。

そう思ったが、そこまで危険だと言うならと思いきって部屋をとることにした。


そう決断するまで迷うこと3〜4時間。
キャンプかホテルか考えながら街中をウロウロしていた。


その間にものすごくたくさんの人たちに話しかけられ、からまれた。
ほとんどの人は善意で声をかけてくれたのだろうけど、この日はとてもじゃないが人と話す気分になれず、誰一人信じることもできなかった。

全員敵だと思った。

誰とも会いたくなかった。


そんな状態だったので、声をかけてくれた彼らをかなり厳しい対応をして追い払ってしまった。

具体的に言うと、笑顔はなく接し、必要以上の受け答えはせず、さっさと立ち去ろうとする素振りを見せたり実際無視して通りすぎたり。



今考えるとかわいそうなことをしてしまったと思うが、それでもこの感情をどうにかできるほど、自分はやさしくない。



……でも、さっきも話で出たバイクタクシーの男には優しくしてあげればよかった。

意味がわからない単語があって話が通じなくなったとき、そのときは一度別れたのだが、その30分後に
「あれは車を入れて止めておく駐車場のことで、garajeと同じだよ」
とわざわざ教えに戻ってきてくれたのだ。


それもペルーから出始めた単語だったのだが、なんという単語だったのか今は思い出せない。



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クリスマスのプレゼント攻め、Motupe





オルモスのホテルを出発する。
本当はもう一泊したかったが、煩悩に打ち勝った。



そしてここから数日間、幸か不幸かなぜかたくさんの人たちと触れ合うこととなる。



5kmほど先にあるレストランで酔っぱらいたちにからまれた。

レストラン向かいにある警察署の警官だという男にビールを飲めと押しつけられ、それを飲んだり拒否したり去ろうとしたりの攻防を20分ほどつづけたすえ、奥のほうに座っていた人から水のペットボトルを一本を授けられた。

気温の高いところで水をもらえるのは本当に助かる。


すったもんだありながら、笑顔でみんなと別れた。









そこから4時間、走り続ける。
なんの変哲もない道だが、太陽の紫外線と熱のせいで体力が急激に奪われていく。

なにもしていなくても疲れるというのは、体を動かさなくてはいけない者にとって非常につらいところだ。

こちとら背負っているザックでただでさえ消耗が激しいというのに。



少し大きめの村があったので中へ入っていき、店で飲みものを買って休憩する。

その商店で談笑していた村の人達が「食べ物はいらないか」と言ってくれる。
少し前に食べたばかりだったのでそれを断ると、じゃあこれを食べろと言って小さな青いマンゴーを3つくれた。



なぜだかみんなコロンビア並みに良くしてくれるぞ
どうしてこんなに色々くれるんだろう



と考えていたら、
そういえば今日はクリスマスだと気がついた。



この村は静かで居心地がよさそうだったのでここでキャンプしようかと思ったが、「もう少し行くとMotupe(モトゥペ)町があり、ホテルも安い」ということで今日はそこまで走ることにした。


彼らからお土産にマンゴーを3つくれたのだが、さっき食べたマンゴーの中にひとつ固いものがあり、皮をむいている間に右の親指の爪と肉の間が少しはがれてしまった。

ものすごく痛いわけじゃないが、地味ーな痛さがずっと残っている。

オルモスでは自転車修理時に左親指をすこしだけ負傷してしまっていたので、これで両親指にダメージを負ってしまった。




    ↑村のそばにあった看板。モトゥペには「東京」というホテルがあるらしい



20分ほどでモトゥペに到着。





村の中ではどこもビール瓶を片手に友人たちと店や家の前でゆったりしている。
さすがはクリスマスだ。



安宿の情報を聞きまわって探すがどこも休みで閉まっている。
さすがクリスマス。



3つ目でやっと開いているホテルを見つけることができた。
値段は15ソル(約525円)と破格!

ネット環境はないが、この値段ならむしろ泊まるべきだろう。
ここまで安いホテルはあまり出会えない。
これを逃さない手はない。



    ↑こんなホテル。入口と看板が小さくてわかりにくい



    ↑この町は宿がハンパじゃなく多い。奥に小さく「ホテル東京」がみえる


ホテル看板に星☆が書かれているところがある。
値段やランクの指標となるミシュラン的なこのマーク。

値段は、体感的に☆が平均25〜30ソル、☆☆が40〜60ソルといったところだと思う。(2015/12現在)

20ソル以下はかなり安いが、それでwi-fiがある所はそうそうなさそうだ。



この場所を教えてくれた人のところへ行ってみると、そこでまたビールを飲まされてしまった。
ビールはあまり好きではなく、そもそもアルコールに強くないので、ビールを勧められるのは気持ちは嬉しいのだが心から喜べない自分がいる。


飲み方にこの地域のルールがあるようで、ひとつの瓶とコップを飲んでは回し飲んでは回ししながら一杯ずつ順々に飲んでいく。
飲み終えたあとは、なぜかコップについた泡を地面やら別のコップやらに捨てる。


そんな会合に巻き込まれながら、こちらが疲れていることを見抜いたのか黒いジュースとゴロゴロ肉入りエンパナーダをいただいた。


黒いジュースは、名前は忘れたが麦で作られているという。
ということはコロンビアのポニーマルタと同じようなものか。

「これを飲めば元気がつくぞ」とジェスチャーで教えてくれる。
腕をもちあげてモリモリのポーズ
ポニーマルタのときもそう言われたな。


ポニーマルタは正直あまり好きではなかったのだが、これは黒糖の味がしない分あっさりしていて飲みやすい。

これならまだ普通に飲めるかもしれない。
今度探してみようかな。



エンパナーダは砂糖がまぶしてあり生地がサクサクのパイ風で、コロンビアのもとのはこれまたちょっと違う



酔いがまわってきたので帰ろうとすると、みんなが引き止めてくる。
今日はここ店主の誕生日だという。


ケーキにろうそくをつけ、くだんのハッピーバースデーの歌を手拍子とともに皆で歌う。
最後にろうそくを消して終わり。

日本とまったく同じだ。


急いでケーキをカットして渡してくれ、そしてホテルへと返された。






翌日出発する予定だったが、ビールのせいか体がだるいのでもう一泊することにした。
宿代も値段も安いから悪いことはない。



町をブラブラ探索する。


メルカドの近くの食堂で軽く食事をし、お金を払おうとするとお釣りがないと言われる。
会計が2ソルで100ペソ札しか持ち合わせがなかったのでどうしようもなく、とりあえず店内でボーッとしていると、斜め向かいに座っていた黒人の男性が払ってくれた。

非常にありがたい。
お礼をいい握手して退店した。


昨日今日で色々世話になりすぎだな、
と少し反省しながら、コーヒーを飲んだり広場を歩いたりかき氷を食べたりしてのんびりとすごした。


 
    ↑中央広場にこんなデザインの植木があった。サボテンの植木のまわりに本物のサボテンが囲っている


  
    ↑馬の植木も見事



    ↑ペルーで最初に使った銀行とATMはこのbanco de la nacion(バンコ・デ・ラ・ナスィオン)とmultired(ムルティレッド)だった。
スジョ村にあったこの銀行でのドルソル両替はすんなり終わって利率もよく、ムルティレッドのATMは手数料が無料。

ちなみにATMはこちらでは
cajero (automatico)
カヘーロ(・アウトマティコ)
と呼ばれている



   
    ↑これは現在選挙に出馬しているケイコフジモリのこと。
ケイコフジモリは前大統領の日系人アルベルトフジモリの娘で、今のところ一番人気らしい。

この写真のものはプロパガンダというよりここの人達が応援しているのだろう。
他の村でもこのような政治家の名前入りの壁と頭文字をよく見る。



    ↑日本語が書かれていたので撮ってみた。こちらの人からはおそらく中国語と見分けがつかないと思う




一度ホテルへ帰り、休んだり屋上でこっそりオカリナの練習をして充実した時間をすごす。


夕方、なにか食べにホテルを出ようとすると、ここのホテルに住んでいるというロビーにいた医者の男性に気に入られたようで、なんと今日のホテル代を払ってくれた!

家に泊まらせてくれたりしたことは今までに少しあったが、ホテルの代金を払ってくれたのはこれが初めてだったのでびっくりした。

よくわからないが、このホテルの血縁関係者というようなことを言っていたかと思う。



その後はその人と一緒に行動することになった。

食事をごちそうしてくれ、町を歩きながら話す。
が、言葉がわからずほとんどコミュニケーションがとれない。

それでもちょっとしたジョークを交えつつ観光につきあってくれ、最後は友人の警察官の家でビールを例のごとく回し飲み。

酔った医者のフランは、自前の睨み顔をよそに音楽に合わせて陽気に踊る。





こちらも十分酔ったところでホテルへとつきそって帰してくれた。



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