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強盗にあった話 in Lima, Perú



いきなり現在のリマの話に進んでしまい申し訳ないのですが、衝撃的な出来事が起こったので報告したいと思います。


今日、現地時間2016年5月29日に、強盗に会いました。
その詳細をここに書きましょう。




18:30ごろでしょうか、買い物帰りにボーっとしながら歩いていました。
手には買い物袋。

いつもは警戒して歩くのですが、ホテルが近かったのと最近いろいろあって考え事をしながらだったので、ほとんどまわりを気にしていませんでした。


そこへ後ろから、男の子が一人。
最初は横のちょっと離れた位置から、何か言いながら少しずつ近づいてきました。

年齢は15歳くらいでしょうか。
体は細く、ボロボロの黒いパーカーを着ていました。


それまで、いきなり声をかけてきて麻薬を売ろうとしてくる人がたまにいるので、またそういう人かと思ってスルーしようとしたら、なにかちょっとおかしい。


すぐ目の前まできて、こちらをガンつけながら何事かを言っています。

そして後ろからもう一人、背の高い若い男が近よってきました。



あ、これは強盗だ。どうしよう。



と考えていたら、2人目の男がポケットから財布をスルッと取って、離れたところで中を物色しています。

なんか
「もっと入れとけよ」
とか言ってる。


最初に近づいてきた人がこちらのズボンをチェックしはじめました。
背の高い男から「ケータイを探せ」との指示を受けているみたいでした。


ちなみに、携帯はこのとき持ち歩いていません。
しかも、現在使ってるのはガラケー一機のみ。



よく見ると手元にナイフがありました。
しかし刃渡りがとっても小さいです。
果物ナイフよりも小さい。


よそ見していたので、ナイフをにぎっていた手をつかみ、こちらに向かないように体から離します。
まだ武器を持っていたときのために、もう片方の手は体をガード。

相手は全然力が入らないようにふにゃふにゃで、簡単に腕を遠ざけることができました。
切りつける気がないのでしょうか。

手首を強めに握ってもナイフを落とす様子がなかったので、小指を折ろうかと思いひねると、男の子は相方になにか叫びます。
するとその相方はズボンから銃を出すしぐさをしたので、こちらは「no no no!」と手を上にあげます。


また手を抑え込んで、またno no no と手をあげて・・・・・


を繰り返しているうちに腰につけていた貴重品入れのウエストポーチが見つかってしまいました。


「ここになんかあるぞ!」
と相方に叫ぶ細い男の子。

「何もない! 何もない!」
と叫ぶ自分。

相手の手を払いのける。


すると、背の高い男の子が、
「いや、もういい」
と言って財布をこちらの手のひらにポンと返してくれ、そのまま去っていきました。


去り際に体の細い子がこちらを指さして何か叫んでいました。

「誰にも言うなよ」でしょうか。
それとも、
「覚えてろよ!」だったのでしょうか。


そのままバスに乗り込んだようです。



財布を見ると、90ソル入っていたのが50ソル札1枚になっていました。
つまり40ソル(1400円)抜き取られたわけです。


うーん、返してくれたのはうれしいけど、今の自分に40ソル減はかなり大きいです。
つらい。


ただ、あんなに力が入っていなかったということは、おそらく相当お腹がすいていたのでしょう。
そう考えるとかわいそうだなとも思います。

恵んであげたと思えばいいのでしょうが、いまは資金が厳しい折、思い出すとやっぱり悔しさが募りますね。




50ソル札を返してくれたのは、こちらのためというより偽札もしくは盗んだ金と疑われるから使えないということなのかもしれません。

スラムの人が50ソル札なんて大きなお金、持っているわけないですし。

基本小銭でしょうからね。




以上、強盗にあった話
でした。


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登頂、そして絶景 Caraz




2016/3/18


7:00すぎに起床。
ここならあまり村人の邪魔にならなそうだし、体を休めるために9:00まで出発を遅らせ、のんびりテントや寝袋を太陽の光にあてながら本を読む。


閉まっていた村の店を開けてもらい、飲み物などを補充した。



    ↑アルパカの大群。いや、リャマかも・・・?


村をこえると平野になっていた。
野良犬がこちらの歩調を合わせて同行してくれるのがかわいい。


    ↑山の中の平原。左下はついてきた犬



    ↑ハイウェイから100km地点。左はついてきた犬



さすがに犬も山はのぼりたくなかったのか、坂になったところでお別れした。



何時間も時間をかけて山をのぼり、ようやく山頂へ。

ここの景色が、ものすごかった。
まあ見てくれたまえ。








やばくない?

しかもここ、



標高4314mらしい。

3000mくらいかと思ってた。



気分が高揚していたため、記念撮影に挑戦。
なんども失敗して、ダッシュで往復する。
めっちゃ息切れるんですけど。



    ↑失敗した写真



    ↑成功した写真。4枚目くらい



ザック背負って走ってたので呼吸がつらい。
そして寒い。

さっさとおりよう。
















    ↑樽のような植物が生えている。サボテンの一種だろうか



    ↑谷を守るように吠えたてる犬



坂をおもいっきり降りている途中、子どもに小銭をたかられたり、ブレーキが削れて利かなくなってきたりと散々だった。


それでも40kmを2時間という速さで、山間の町Caraz(カラス)までつくことができた。
夜までに間にあわせることができて嬉しい。



    ↑ここの地域の観光看板



    ↑登山が有名らしい



カラスでは、安いところで15ソル(525円)、あとは大体30ソル(1050円)ほどのホテルが並んでいる。

費用を抑えたいところだが、ここは30ソルのほうを選んだ。
山越えで体が疲れ切っていたのだ。

それにかなり広くてきれいで立派なところで、これで30ソルは安いと思ったのも大きい。



休息しながらこの先の情報収集と観光を。



    ↑ここのカテドラル。シックでいい感じの教会だ




インフォメーションセンターにはレンタルできる山の道具がたくさん。
案内人も本格的なアルピニストっぽい風貌だった

ここで、次に目指しているLaguna69(ラグーナ69)という湖の情報と地図、そのふもとの町Yungay(ジュンガイ)の安宿情報をゲットした。



あとはのんびり町を歩き回った。







    ↑ここのバイクタクシーは派手派手




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助けてくれた人に再会する Pamparomás




2016/3/16 Pamparomás, Perú


昨日まで山を登ってきたため、体中が筋肉痛で痛い。



例のバイクカップルの家を探す。

名前以外まったくヒントがないので、とりあえずブラブラして見つけた大工たちに聞いてみることに。


おっかない顔の男性が前に出てきてこう言った。

「それは俺の息子だ」と。



えええー! まさかのドンピシャ。

そうしてバイクの人の家まで連れて行ってくれた。



家に入れてもらう。

彼は今、療養中らしい。
昨日食中毒になったらしく、注射を受けたら今度は体が動かなくなってしまったらしい。
彼女のほうは別の町へ働きに出ているという。


しばらく2人で話をする。

彼はこのあたりの植物や虫の研究をしている研究家なのだそうだ。


これからの詳しい地図を見ておきたかったので、この町にネット屋はあるか聞いてみる。
ネット屋はないが、しかし市役所で貸してくれるから連れていってあげるよと言ってくれた。


肩を貸して、急激な坂のうえに建てられた町なかをゆっくりゆっくり進む。



案内された市役所の人たちもいい人で、パソコンの地図を見ながらこれからの道の情報を教えてくれる。

そのうえ、役所内に保管されている発掘物まで見せてくれた。

 

    ↑博物室の展示物



    ↑かわいい


夕食にも招待してくれた。

お父さんと一緒に、パンとタマル※1という料理を1/3。
昨日の村もそうだったが、このへんはどこもこのような質素な食事をとっているのだろうか。

それにしてはバイクの彼はかなり太っている。
それはなぜか聞いてみる※2と、朝と夜は軽く食べ、昼にがっつりとるのだそうだ。


ちなみに、訪れたときには昼食も誘われたのだが、すでに食べてしまったので断った。
だから昼がどんな料理だったのかはわからない。



※1 タマル(tamal) ... メキシコと中南米でよく食べられる、ちまきのような料理。トウモロコシを練って中に鶏肉などをはさみ、それを葉っぱにくるんで蒸す。

※2 失礼である。相手は笑っていた。





ホテルに帰って、もらった情報を整理しながらこれからの緻密な予定を立てていく。


標高、傾斜、自分の足のスピードを考えると1日に進める距離はこのくらい。
寒いので水は少なくても大丈夫だが、食料はどうするか。
明日はここで泊まって次の日はここまで行って・・・・・


いつもはこんなタクティカルに考えず気分で進行を決めるのだが、人が少ない山の上ともなるとどうしても心配になり、先のことを考えてしまう。

どうせ予定通りにはいきっこないのにね。


村の人たちが、この先は寒さも厳しく村も少なくて危険だという話をひっきりなしにしていたのも気になっていた。




    ↑村の広場。山と両方見渡せる



2016/3/17


朝食をすませ、11時すぎにホテルを出て出発。
空は晴れ。
気圧のせいか寝起きがよかった。

しかし山の頭に雲がかかっているのが気にかかる。
数時間で天気が崩れてくる可能性があるので、すこし急ぎ目で進もう。



    ↑雲がかかり始めている



    ↑民族衣装を着た少女たちが山道をゆく



途中、霧の中に入ったが、太陽の力は封じられずに強く肌に感じる。
おかげで寒くはない。

景色を楽しみながら、坂を一歩一歩のぼっていった。



    ↑霧がかかってきたところ



目指していた村は、いつの間にか通りすぎていたようだ。

すれ違うおじさんが、この先歩いて2時間のところから来たと言っていたので、そこを目指すことにしよう。








携帯片手に崖の上に立っているおじいさんに、「うちに泊まっていけ」と言われる。
それはありがたいのだが、そのおじいさんは電話を待っているためそこを離れられないという。

スペイン語をろくにできない自分には、彼がいないとどうすることもできず、どこが彼の家なのかさえわからない。


とにかくこの先に村があるらしいので、行ってみることにした。


細かく分かれた村が5つほど、崖のむこうとこちら側で丸く電車のようにつながっている。


    ↑崖の下と奥に3つ村があるよという意味の看板


ここにはレストランはないが、商店ならいくつかあった。
その一軒に入ってみる。
そこでは宿泊もやっているという話を聞き、これ幸いとお願いした。


しかし、部屋の鍵が見つからないらしく、小屋を紹介されて「ここでテントを張ってくれ」と言われた。

天井には牛の毛皮がぶら下がっている。
広いが何もない。
トイレもシャワーもない。
お値段10ソル。


キャンプなら別の場所で無料でできる。
断ってしまった。


    ↑外見はターコイズブルーで埴輪のような像があってかわいらしい宿、というか倉庫



さっき目星をつけていた、キャンプによさそうな場所へ戻る。
教会と学校がくっついたようなところで、トイレも水道もある。
最高だ。

村の人に聞いてみると、ここでキャンプOKとのこと。


標高が高く夜はかなり寒いが、普段なら暑すぎる羽毛の寝袋を使っているので、凍えることはなかった。

前に使ったときに急いで片づけたので、足元がすこしばかり湿っているのが気になる。



    ↑畑の奥に雲海


        
    ↑夕日


ハンディラジオでこの地方のトーク番組や音楽を聴きながらすごす。


そういえば、今朝パンパロマスの食堂で朝食をとっているとき、ペルーの山岳地域の民謡が流れていたのだが、あまり好きになれそうになかった。


ラテン音楽だったらやっぱりレゲトン※3やバチャータ※4が好きだ。



※3 レゲトン ... 同じリズムやフレーズが多用されるラップ調のポップス

※4 バチャータ ... エモーショナルな独特のリズムと音色を持つバラード



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アンデスの本格的な山道に突入 Pamparomás




2016/3/14 Moro, Perú


モロの町を出るときに水を買ったにもかかわらず、そこからすぐに高めの山を越えなければならないため、途中で水が心もとなくなってしまった。


    ↑ここから本格的な山道になる


休んでいるときに上のほうからモトタクシーが走ってきて、水を分けてくれた。


※ モトタクシー ... mototaxiと書く。バイクタクシーのこと。バイクの後輪を外し、そこに幌馬車の人が乗る部分をくっつけて引っ張るような形をしている。



小さな小さな、村とも呼べないような集落が点々とつづいていて、そのなかのやっぱり小さな店で休憩しながら進んだ。





民家でトイレを借りると、その家の人がマンゴーとシャーベットアイスをプレゼントしてくれる。

アイスもおいしかったけど、そのマンゴーがおいしいのなんのって!


まずその大きさ。

まあ大きい。
手のひらにあまるほど大きい。
ずっしりと重量感がある。


そして、ツルっとむける皮のしたには真っ黄色に光る実がつまっていて、
その触感はプルンプルン。
ゼリーのような口当たりだった。

肉厚感がものすごく、噛みごたえ十分。
しかも、マンゴをーを噛んだときに感じるあの繊維もほとんどない。
すべて果肉と化しているのだ。
だから歯にもほとんどはさまらない。

これが一番驚いた。


味はというと、これがものすっごく甘いのだ。
日本で売っていれば、値段は3万オーバーは平気でするだろう。

それくらいの味と大きさ。


メキシコのマンゴーもおいしかったが、そちらに負けないほどだった。




    ↑山の中だが、あたりは花畑が一面に広がっていて、天国のような道だった



    ↑緑とサボテンが織りなす丘



山の奥に入ると家もなくなり、日が落ちるとともに空腹がやってくる。


そんな時、たまたまやってきた若いバイクのカップルがこちらを気にして止まってくれた。
みかんとパパイヤを分けてくれ、一緒に食べる。

「町はここから遠いし、もうすぐ日が落ちて見えないくらい真っ暗になるよ。急がなくちゃ。なんならバイクに乗せてあげようか?」
と言ってくれたが、自転車と大きな荷物の前ではバイクもかすむ。

しかも相手は2人乗り。
いくらなんでも無謀だ。


「俺の町まできたら歓迎するから、この名前で探してくれ」
と、メモに名前を書いてくれた。


こういう手助けをしてくれるのは非常にうれしい。



    ↑もうすぐ日が暮れらぁ



    ↑サイズを落としているためかなり画質は落ちているが、景色は最高






キャンプができそうなところを探しながら進む。


ひらけたところが少ない。

テントを張れそうな場所を見つけても、なんだか嫌な感じがしてテントを出す気分になれない。




Horñillos(オルニージョス)という看板が現れた。
村が崖の下に見える。


未舗装の道を苦労しておりていく。

明日またこの坂をのぼることを考えると本当はおりたくないのだが、村で泊まったほうが安全度は上がるはずだ。



村に入ると、そこで立ち話をしていたおじさんたちに声をかけられた。
食堂の場所を聞くが、すでに閉まっているという。

それはそうだ。
時刻はすでに夜7時を回っていた。


彼らの一人が、
「Invitado!」
と言って家の食事に招待してくれた。
しかも、敷地内にテントを張っていいとも言ってくれた。


※invitado ... 「インビタード」と読む。ゲストとか招待というような意味らしい。ペルーでは友達やお客に対して何かをプレゼントしたり食事をおごってもてなす習慣がある。コロンビアでもその習慣が強かった。



料理ができるまで、しばらく話をする。

なんと、ここにはホテルがあるそうだ。


びっくりじゃないですか?
こんなヘンピなところにある小さな村に、まさかホテルがあるなんて。


驚いて、詳しく聞いてみた。


この村には有名な滝があるらしく、それ目当てで観光客がよく来るらしい。

値段もそこまで高くないというのだが、今回はせっかくのご厚意だしキャンプすることにした。
昨日使いすぎてしまったしね。


夜の9時ごろに家に呼ばれ、食事をごちそうになった。

質素な食事だった。
ミルクがゆにクラッカーとアボカドに塩や砂糖をつけて食べる。

お金がないのだろうか。
ほかの家でもごちそうしてもらったことがあるが、これほどではなかった。


食後に
「じゃあ5ソル(175円)ね」
と金をとられた。




いや、うん。

別に払うのはいいんです。


でも5ソルは高すぎるのではないか、と。
安いところなら、5ソルでスープ付きの肉料理とか食べられますけど。


だから、いけないことだとはわかっているのですが、一言だけ言わせて。







こんなクソ不味いくずがゆだけで5ソル!?






いや、すごくありがたいんですよ?
料理を作ってもらっているのにこんなこと言ってはダメなんだけど、さすがにぼりすぎなのでは・・・・・


せめて3ソルにしてくれぇ~。
こっちも厳しいんだよぉ。


テントも張らせてもらっているけど、まさか場所代はとられないだろうな・・・




2016/3/15


場所代を請求されることを恐れ、寝袋やテントも乾かぬうちに急いで片づけて出発。
あせりすぎて、店で買い物をすることもできなかった。



この先も山と崖のオンパレード。
風光明美な眺めだが、食料事情が厳しい。


先の家で水やレモネードや果物を恵んでもらったり、商店でご飯をごちそうになったりした。

優しい人はとことん優しいのがペルー。



    ↑白米とバナナをくれた商店の気のいいおじさん。この辺でよく使われているケチュア語を披露してもらい、カメラに収めた



    ↑なずな。小さいころ飼っていた鳥にあげていたことがあり、すごく懐かしい気持ちになった



    ↑フンコロガシもいっぱいいた。フンコロガシなのに、転がすのはみんな結構ヘタだった



ごはんをごちそうしてくれた商店のおじさんに、
「ここから14回カーブを折り返して、そこから少しくだれば町につくよ」
と教えてもらった。


じゅ、じゅうよんかい・・・


    ↑地獄の折り返し。すこしずつ登っていく



雲が広がっていく。
天気が不安定だ。


白い生地に色鮮やかな刺繍がしてある民族衣装の女性が前方から歩いてきた。
ケチュア語で話しかけられるが、まったくわからない。

これからスペイン語や英語が使えないところに行ったら、ずっとこんな感じが続くのか、と不安がつのる。




夕方5時ごろ、Pamparomás(パンパロマス)についた。
ここらへんの州都だというが、とても小さな町だ。


   ↑広場



    ↑ついたとたん晴れてきた


 
もう時間も遅いので、昨日会ったバイクの人を探すのは明日にしよう。

適当に20ソル(700円)のホテルをとり、食堂で鶏肉を食べる。
ここ2日はちゃんと食事をとれていなかったので、とても久しぶりに肉を食べた感じがした。

疲れた体に染みわたる。
おいしかった。





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たまにはいいことしてあげようか Moro




2016/3/12

物価の高いチンボテを出て、砂漠の中へ。




まっすぐ行けばペルーの首都であるLima(リマ)へつけるが、ここで左折する。
なぜなら、行っておきたい場所があるからだ。


 
    ↑これはまっすぐ進んだばあいの距離


それはアンデス山中にある湖、Laguna69(ラグーナ・セセンタイヌエベ、と読む)。

フェイスブックでその写真をあげている人がいて、行ってみたくなったのだ。
人の後を追うようでモヤモヤするが、これを見なければ知りもしなかったところだ。
ここは素直に受け入れよう。


※ 普段は「人の影響を受けやすすぎて、誰かの跡をたどってしまうだけになる」という理由で旅行ブログなどを見ないようにしているため、すこしばかり不本意だった。でも行きたくなってしまったものはしょうがない。



左折してパンアメリカンハイウェイを離れ、少し進んだ小さな村。
そこにあるレストランで料理とジュースをごちそうしてもらう。

本当はここでキャンプしたかったのだが、レストランの人たちと話しているうちにここをなんとなくここを出る雰囲気になってしまった。

暗くなってきているが、このあたりは治安がいいそうなのでもう少し走ろう。



その少し先、Nepeña(ネペーニャ)という町でホテル探し。





広場の前にあった部屋は、暗くてジメジメしていて雰囲気がよくなく、それで20ソ
ル(700円)。
うーん。


ほかにホテルがないか聞きまわってみる。

レストランのおばちゃんの親戚がオスペダヘ(安ホテル)をやっていると言い、その親戚に車で店まで来てもらった。
車を自転車で追いかける。

部屋は広くてなにもないが、掃除はきちんとされている。
10ソル(350円)でいいというので、ここに決めた。


さっきのレストランの近くでキリスト教関係のバンド演奏があったので見学してすごした。

  


2016/3/13


Moro(モロ)という町へ向けて出発。
地図を見ると、モロから先は町がないようだ。

そこまで距離はないが、今日はそこで一泊しようと思う。





山に入る道のはずだが、今のところ平地が続いていて走りやすい。

モロにはあっという間についてしまった。





ホテルを回ってみるがどこも満室か、非常に高いところしかなかった。
今日は日曜だから人が多いという。

ここは観光地なのか? なにがあるのか?

と聞いてみる。
いくつか名物を挙げてくれたが、ホテルが満室になるほどのものはなかったように思う。


しょうがないので広場でキャンプしよう。
自転車とともにベンチに座って暗くなるのを待っていると、女性2人がこちらへ来て2ソル恵んでくれた。

嬉しかったのだけど、そんなにかわいそうに見えたのだろうか。


    ↑その日スタジアムでやっていたサッカーを門の外から眺める



    ↑奥にみえる山が半端じゃなくきれい



男性に声をかけられる。

かなり独特なしゃべり方をする人で、何を言っているのかほとんど聞き取れない。
知的障害者なのかもしれないが、物事の考え方ははっきりとしている。

スペイン語がすこししか話せない自分に、一生懸命なにかを説明してくれる彼の言葉をくみ取ると、どうやらホテルを一緒に探してくれるらしい。


一応全部のホテルを回ってしまったのだが、もしかしたら彼のツテがあるかもしれないと思い、ついていく。




しかし、やっぱりダメだ。
あきらめて広場へ戻ると、彼が一緒のテントで交代で寝ると言い出した。

どうやら、ホテルを探してあげるかわりに部屋を分けてくれ、ということだったらしい。


明日の8時のバスに乗って帰るので夜を越さないといけない、一人では怖い、
というのだ。
以前襲われて刃物で切られたことがあるらしい。


持ってるテントは小さすぎて2人は入れないし、期待しているだろう彼をがっかりさせるのもなんだか嫌だ。

とりあえず腹が減っていると言うので、ご飯に鶏肉が乗ってる屋台料理を買ってきて食べさせる。


なぜこんなことをせにゃならんのだ・・・・・


※ 作者は重度の人間嫌いである。



しばらく考えたが、やっぱりかわいそうなので値段の高いホテルの部屋をとった。

50ソル(1750円)もするのだが、いつももらってばかりだし、こういうところで恩を売っておくのもいいのかもしれない。
ということにしておいた。




翌日、

“8時のバスに乗る”というのは嘘だったのを知って、激怒することになるのである。



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自分探しの旅 ってなに?


いや、それを批判したいんじゃなくて。
本当にわからないのだ。
自分はそういう経験がないから。

以前Twitterにも書いたことがあったのだが、「旅行で世界観や価値観が変わった」という話をよく聞くけど、それがまったく理解できない。
そのことについて、エクアドルに入る前あたり(2015年9月くらい?)からずっと考えていた。

暇で。
パソコンが壊れて、暇すぎて。


で、自分探しとはなんぞや? という話をブログに書こう書こうと思いつつ、
一向に答えが出なくて書けずに今までズルズルと先延ばしにしてきた。

「こうかな」という憶測がいくつか立ってきたので、ちょっとここに書き出してみたい。




1、適当な理由づけ



「自分探しの旅」なるものをしている人は、いったいどのような意図でその言葉を使っているのだろうか。


まず考えたのは、自分の立場での目線。

自分はなんの脈絡もなく世界旅行に行こうと決めた。

そこに理由はない。


じゃあ、もしかしたら、「自分探しの旅」も実はそうだったってこと、ない?

理由などない。
理由など、いらない。

それでも周りからは「どうして旅行しているの?」なんて野暮な質問が飛び出てくる。
「そこに、旅があるから」などと意味不明なことを言うわけにもいかない。

そこで、その場をあしらうために使う言葉が、「自分探しの旅」。
どう? 当たってるかな。



これが、憶測一つ目。


あと考えられるのは、
「やりたいことを見つけたい」とか、
「今までの自分から脱却したい」あたりがありがちかと思う。

ひとつひとつ見ていってみよう。



2、やりたいことを見つけたい


これはつまり、゛未来の自分探し”ということか。
なにがしたいのか、どんな職業に就くのか、それを見つけたいということだろう。

たしかに、海外へ行って現地の人々にふれ、そこからボランティアをしたり、土地柄が気に入って言葉を覚え働く人もいる。
自然保護のために奮起したり、日本人宿のような他の旅行者のためのサービスに就いた人もいるようだ。


ただね、そういう人って、たぶんほんの一握り。
やりたいことを見つけられる人のほうが少ない。

ってことを、まずは言っておきたい。


とある旅行者は「導かれたい」という言葉で「自分探し」を表現していたけど、実際導かれる人は少数なのです。


だってさ、たとえば、各地の遺跡を見に行きました。

有名だから。
みんな見てるから。
テレビでやってたから。
ガイドブックに載ってるから。




……で? 


ってなるでしょ。


もしあなたが考古学者や人類文化学者、はたまた地質学者になりたい! って思えそうなら全然いいと思うんです。




なる気ないでしょ?


結局忙しく観光スポットを見てまわって疲れたーって帰ってきて寝て起きたらそこはもう日常。
普段と変わらぬ日々が待っているのです。

そこんとこお忘れなく。




ただ、将来を考える方法のひとつとしては十分ありだとは思う。
なにもしないよりは、ずっといい。
もしかしたら何かしらの発見があるかもしれないし。
体をうごかすと脳が活発になると言うし。


それが自分探しとして本当に正しい行動なのかは、自分にはちょっとわからないけれど。

それだったら日本でいいから色々やってみたらいいのに。
料理教室や乗馬、楽器演奏、ほかにも絵画とかスポーツとか、とにかくがむしゃらに経験を積んでみたらいいじゃない。

その中で旅があるなら何も言うことはありません。
いいと思うよ。




3、自分を変えたい



これは、どういうことだろう。

知らない自分を見つけたいということ?

それなら才能の発掘ということだろうか。

それとも、
多くの人に出会って、自分の内面や人生を見つめ直したいということ?



才能を見出したいというのであれば、さきほどの「やりたいことを見つけたい」と似たようなことだ。
なので割愛。


内面や人生を変えたい、という人は、
とりあえず現状の環境から離れてみたかった
というのが第1の動機になるだろう。

それはとてもいいことだ。
一度離れてみて気づくこともあるし、リフレッシュになる。



上に「多くの人に出会って」とわざわざつけたのは、人が変わるにはきっかけが必要で、その多くは他者から受ける影響だと考えたからだ。
そもそも内省しただけで見つかるなら、旅行に行く意味がない。

そうなるとつまり、旅行をする動機は人と多く触れあうため、ということになる。


もしそうだとすれば、気をつけていただきたいのは、最終的にあなたを変えられるのはあなた自身でしかない、ということ。
たとえある人の言動がキーポイントになっていたとしても、それについてあなたが考え、理解し、もしくは勘違いしなければ何も変わらない。

つまり、受け身ではダメということですね。
ただ見て、ただ話すだけじゃ今までとおんなじ。
精一杯アンテナを伸ばさなきゃ。


旅行先では、周りの人はみんな他人で長くて深い付き合いがしにくいため、普段より声をかけやすいもの。
旅行という共通の話題もあるし、店や宿の人とも会話が生まれる。


そう考えると、
自分を変えたい → 色んな人の考えや生き方を知りたい → 旅行
となるのは理にかなっているのかもしれない。



海外旅行者の一部の人はこう言う。
海外放浪はリフレッシュなのだと。


わからない言葉を必死で喋っていたりすると、日本であったことがすべてどうでもよくなってスッキリするんだとか。

そういう人も多いのかなぁ。

自分はそういうの逆にイライラしてしまうし、人との出会いを求める行動なんて絶対にイヤですけどね!


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町の起源になる場所 Chimbote




2016/3/7  Perú, Chao チャオ


先は走りやすく、歌なぞのんきに歌いながら気持ちよく走る。
久しぶりに快調だ。

遠くに見える山の面に砂がかかって、まるで大きな砂丘のように見える。



向かいで荷物を満載にした自転車乗りが走っている。
珍しい。

相手もそう思ったのか、こちらを2度見していた。
手を振って挨拶。



休憩中に食べようとしたチョコペーストが溶けていて、手にべたべたついて大変だった。

中米ほどではないにしても、やっぱり暑い。



    ↑なんにもないね。でもこういうところを走るのは好き



    ↑砂の中に金色のつぶつぶが混じっている。太陽でキラキラ光っていてきれい



気が付かないうちにのぼり坂になっていて、気が付かないうちにバテていた。


そんな中、向かいから今度はバイクが走ってくる。
見るからに旅行者という出で立ちの彼は、こちらを見るなりUターンして戻ってきてくれた。


エクアドルに住んでいる彼は、ペルーのリマで日曜日に行われていたローリングストーンズのライブを見に行ってきたらしい。

日曜日といえば、トルヒージョを出てきた2日前。


どおりで昨日、テレビのニュース番組でさんざん

I can get no satisfaction!

を連呼していたわけだ。



   ↑GoProでこちらを撮影するライダー

彼は常時ハイテンションで話し、その調子で去っていった。



通りがかる車の人たちもみんなクラクションを鳴らしてくれたり、親指を向けてくれたり、手を振ってくれたりする。

それほどこの道はライダーやチャリダーが多いということか。
さっきも自転車の人とすれ違ったのを思い出す。




しばらく何もない砂漠を走ると、野外フェスのような場所に出くわす。

道のわきにワラで作った小屋が、遠くまでずらっと並んでいた。
何かわからないが、キャンプ地のようなものなのか。

小屋の素材になるだろう細い丸太やワラを積んでいる軽トラが多い。


このように人がいっぱいいる場所だと、食べ物や飲み物を売り出す人も現れるのが世の中の常。
それまで無人の砂漠だったので、喉が渇いてしょうがない。

ジュースを売っているところで一つ頼むと、その売り子さんに
「あなたもここに住むの?」
と聞かれた。

どういうことか聞いてみる。
みんな各地からこの場所にきて、勝手に自分の家を建てているのだとか。

一時的な野営ではなく、居住区だった。
もしかしたら、これは町が出来上がるまでの最初の景色なのかもしれない。

これから数年後に家が建ち始めたら、ここはなんという名前になるのだろうか。



    ↑簡素な家がひしめき合っている


  
    ↑砂漠の真ん中でアイス。なんて贅沢なのだろう


その野営地で一泊しようか迷ったが、今日は次の大きな町まで行きたかったので、そのまま通り抜ける。




そこからが大変だった。




まっすぐに伸びた長い長い道路があった。

とにかく長い。

どこまで行っても先が見えない。

奥は蜃気楼でゆがんで見える。


ひら地ではあるのだが、これが本当につらかった。






どんなに走っても、その努力が報われないような無力感におそわれる。
本当に進めているのだろうか。

いつもはカーブが多いと文句を言うのだが、先が見えすぎるのもよくないのだとわかった。


向かい風が強く、スピードが思うように乗らない。
これまで結構な距離を走ってきたので、脚にかなり負担がかかっている。
腹も減った。





疲れた・・・・・





こんな何もないところで一泊するのは危険ではないか。
テントも丸見えだし、夜は危ない気がする。


砂漠の真っただ中で疲れ切り、正直不安しかなかった。

やっぱりさっきの野営地に泊まればよかったんだ。
しかし今からそこまで戻るにも2時間はかかる。


「もうダメだ、危険でもここで野宿しよう」
そう思った。


遠くに点のような看板が見えた。
とりあえずそこまで行けば、少しくらいはカモフラージュになるだろうか。
自転車も地面に倒して置いておきたくないし、あそこまで頑張ろう。


近づいてみると、その看板はリゾート施設のもので「もうすぐそこですよ」という内容だった。

これは救われた。
もう腹が減ったし喉も焼けつくようだ。



    ↑リゾート施設。プールや遊具があり、池にはガチョウの群れが飼われていた



中のレストランはさっき終わってしまったらしい。
スタッフたちが軽トラに乗りちょうど帰るところだった。

なんとか引き止めることに成功。
ギリギリセーフ。


しかしここは観光地。
料理の値段はほかに比べ、4倍はしている。


あきらめてそこを去ろうとした時、

「ちょっと待ってて。ご馳走してあげる」

と言われ、お菓子と弁当を持ってきてくれた。
しかもタダで。


本当に腹が減ってしょうがなかったので、とてもうれしかった。
弁当はそんなにおいしくなかったが、そんなことはどうでもいい。
彼らの気遣いがとてもうれしかった。


まさにバクバクという感じで夢中で弁当を食べていると、プールの監視員風の若い男性がこちらへきて、今日はここでキャンプしたらいいと言ってくれる。


泊まるところも手に入れることができた。
なんていい日なのだろう。



    ↑プール掃除を見学


ここは蚊がものすごく多く、しかもやつら、刺すのが異様に早い。
一秒じっとしていたらすぐさま刺してきやがる。

深夜中ここを監視しているおじさんは、大きな網の袋をすっぽりかぶって座っていた。
それくらいの量なのだ。



2016/3/8


邪魔にならないよう朝早くに出る。


    ↑早朝の光景。朝日に輝く



そこから20~30km走り、ようやくChimbote(チンボテ)についた。


ホテルは目についたところに入り、一発で決定。
ホテルを見極める目はまだまだ現役のようだ。


室内は静かで清潔でとてもいいところだし、セキュリティもバッチリ。
値段も25ソル(875円)と良心的。
セントロまで少し遠いが気になるほどではないし、なによりスタッフたちの接客がとてもよかった。
暑いところでこんなに親切なのは珍しい。

問題があるとすれば、部屋の中にいる無数の蚊だろうか。



チンボテは大きなビルが立ち並ぶ都会で、海沿いにある港町。
海の向こう側には真っ白な山が見えた。

 
    ↑船もたくさん停泊している



    ↑三度笠のようにかかっていた雲が下へと押し流されているところ



    ↑観光客向けのリャマ


ここのスーパーで、自分が好んでいる BOONES というワインが、なんと半額になっていた!
即買い。


酒に弱い自分は、ここでの連泊を余儀なくされた。






という言い訳。

本当はここが気に入ってのんびりしたかったのと、体が疲れているような気がしたからだった。

町を歩きながら、この時ばかりはとだらけた。


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強盗団と遭遇




前回書くのを忘れましたが、トルヒージョはとても大きな町なのに日本人宿がないみたいですね。
日系人も多いと町の人が言っていたので、もしかしたら探せばあるのではと思ったのですが、検索しても見つかりませんでした。


そういえば、インターネット屋でtrujillo nihonjinyadoで検索しても記事がほとんど出てきませんでした。
nihoNNjiNNyado などNの数の違いで出てこなかったのかな。

日本人宿情報を載せているサイトはぜひローマ字書きでもヒットするようにしてほしいと思いました。


――――――――――――――――――


2016/3/6

日付を見てもわかるように、トルヒージョには少し長く居すぎたようだ。
いつも笑顔で接してくれた宿のスタッフにお別れを言い、自転車を持ちあげながら出口まで階段をおりる。



町を出ると一気に砂漠になった。
振り返ってみれば、緑豊かな土地が途中からプッツリと切れている。
トルヒージョは大きなオアシスになっていたようだ。


    ↑ずっと山だったので、砂の広がるこの景色は新鮮だ


  
    ↑反対側には海が見える。ということは、もともとは浜だったのが広がって砂漠になったのだろうか



砂のかぶった山と黄色い丘に目を奪われながら走っていると、自転車の横につけるようにバイクが並走する。


「puerto Morin(プエルトモリン)はこの先か?」


知らない名前だが、走ってる最中には見ていないので、おそらくこの先の場所だろう。
そう予想しはするが、もし間違っていたら嫌なので、正直に「知らない」と言っておいた。



その先、本当にあったプエルトモリンの分かれ道で、少年の集団と遭遇。

挨拶されたので、返事をするついでにちょっと質問。


 この辺に店はない?

 すぐそこにあるよ。ほら、見えてるでしょ。


と、一斉に指さす。
手を振って別れた。


店には水がないと言われた。
なんとも砂漠らしい。

かわりにコーラを買う。
体は大きいがかわいげのある犬2匹を眺めながら休憩していると、さっきの少年たちが道路をはさんで向かいのところまで近づいてきていた。

店のおじさんは携帯で彼らの写真を撮る。
そして、にらみながら少年たちに話しかけた。



 どこから来たんだ。
 チャオから。

 この人(自分を指さして)と知り合いなのか。
 うん、ぼくの叔父さん。



悪いがペルー人の甥をもった覚えはない。


店のおじさんが言うには、彼らは強盗なのだそうだ。

おじさんは犬をけしかけようとするが、優しく育てられすぎた犬2匹はしぶしぶ動きだしたと思えば、ノロノロとどこかへフェードアウトしてしまう。
それを見て笑ってしまった。

結局、そこを動こうとしなかった強盗団を、おじさん自ら追い払ってくれた。



この辺り一帯、ペルー北部のパンアメリカンハイウェイは強盗が多いとは聞いていた。

国内外のチャリダーの間でよく話に持ち上がるので、とても有名なのだ。


そういうのはもっと怖い人がやっているのだと想像していたし、
もしも運悪く出会ってしまったら、必ず襲われて身ぐるみをはがされるんだろうと思っていた。

まさか犯人はこんな子どもたちで、しかも何事もなく無事ですむとは。


 
   ↑強盗団だという子供たち。その後、ここで車にたかっていた



    ↑助けてくれた店


「この先自転車で1時間ほど走れば町があるから、今日は暗くなる前に急いでそこへ行け」
と言われる。

それくらいここは危ないらしい。


せかされるまま自転車をこぎ、Virú(ビル)という町についた。



    ↑ビルの広場


ホテルは高かったが、なんとそこにはバスタブがついていた。


きれいな部屋と豪華なシャワールームで35ソル(1225円)と考えればたぶん安いほうだろう。

もっと安いところもあるみたいだったが、風呂につかってみたかったのでここに泊まることに決定。



  ↑北米ではよく見たが、中米から少なくなったバスタブつきの部屋



   ↑町に張っていたポスター。おもしろい絵だったので写真に撮る




2016/3/7


昨日食べた安い屋台料理が悪かったのか、この日は腹の調子がきわまっており、ほとんど進めなかった。


隣町のChao(チャオ)に一泊。
昨日の少年団が言っていた町だ。



    ↑Chaoはイタリア語の挨拶だが、この辺でも「さよなら」の意味で使われている


この先30kmほど町がないらしい。

ここで泊まって正解だったようだ。 
あのまま進んでいたら脱水症状になっていたかもしれない。



    ↑商店でwiiのマリオをやる子どもたち。残機数ではなく、制限時間がくると終わるようになっている



    ↑チャオの広場のオブジェ


町は大きくはないが、露店が多く出ていてなかなかにぎわっていた。

ホテルでベッドに横になり、体を休ませながらテレビなどを見て過ごした。



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