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怒涛の南下とサービス精神にへこむ La Serena




清潔でコーヒー紅茶飲み放題のホテル。
すこし不満もあるけれど、居心地のよかったタルタル村を出ることにした。

もう行かなきゃもう行かなきゃと思いながらズルズルと先伸ばしにしていたが、やっと重い腰を上げたのだ。

荷物を整理し、苦労して狭い入口から自転車を外に出した。


村を出る途中で他のカップルサイクリストがゆっくり走っていたが、お互いスルー。
ガソリンスタンドの ATM でお金をおろしているうちにどこかに行ってしまった。



村の外は砂漠化した山がならび、しかしちらほらと家が建っているのが見える。
人が住めるように少しずつ開拓している最中なのだろう。
この調子で美しい海の町になったらいいと思う。



後ろから走ってきた車が停まった。
そこから出てきた男女3人組は、どこかで見た顔だった。

なんと、前に水と日焼け止めをくれた人たちだ。
前回と同じくハイテンションな彼ら。

「水はある? まだここなんてゆっくりだね!」

と数分間おしゃべりして、彼らは先へと旅立った。



久しぶりの進行になかなか苦戦していた。

足腰が辛い。
水を飲む配分の感覚がもうない。


上り坂をゆったり進んでいると、また車が停まる。

軽トラックのおじさんがこちらを心配してくれたようだ。
今はとりあえず Copiapo コピアポを目指していると言うと、

「もっと南まで行くからついでに乗っていけよ」

と言ってくれた。

チリに入ってから目に違和感があり、体が弱っていたので乗せてもらうことにした。


ここのところずっと車に乗っての移動ばかりだ。
そんな状況に自分でも不安になってくる。
自転車で走っていない罪悪感から、気分が落ち込んでしまっているようだ。

なんとなく、この旅行の終焉を感じてしまう。


軽トラのおじさんはアントファガスタで技術者として派遣中だったが、なにかがぶつかり歯を折ってしまったために La Serena ラ・セレナの自宅へと一時的に帰り、歯医者に行ってからまた急いで戻ってくるのだと言う。

平気な風をしていたが、けっこう深刻なんじゃないか。





車中、以前入った砂漠のなかのレストランで教えてもらった Pan de Azucar パン・デ・アスカル国立公園に行きたかったと話すと、途中で通ってあげると言ってくれた。


砂でおおわれた山のなかを抜け、道を右に曲がる。
そこがパン・デ・アスカルらしい。
あまり変わり映えのしない景色だが、気持ち植物がふえたみたいだ。

様々な動物がそこに生きてきて、ペンギンが住まう島もあるのだと語ってくれる。
見てみたかったが、船に乗らないと渡れないためさすがに無理だった。


    ↑ペンギンが住む島



    ↑白い砂浜がつづいている


自転車で来ていたら行けていたかもしれない

と悔しく思うと同時に、

今のモチベーションではたとえここに一人で来たとしても島へ渡る気にはなら
なかったかもしれない
とも考えた。

さっきも言ったように自転車で走れていないこと、メールで連絡が来る実家でのこと、金銭問題など、
様々な不安要素やその他いろいろが積み重なっていて、この旅行に集中できていなかった。



その先のチャラニャルという町に着いて、ガソリンを補充。

そこはすこし前に巨大な津波があり、大きなダメージを受けたのだそうだ。
今でもその傷跡が残されている。


    ↑被害を受けた家はまだ直っていないところもある


すこし眠ってしまい、気がつくとそこはカルデラという海の町の手前だった。

「ここからコピアポ方面とは違う道を通るから、ここで降りるといいよ。それともラ・セレナまで行くかい? コピアポは鉱山の町だから見るものがないし物価も高いよ」


 ↑地図


ちょっと考えたが、ラ・セレナまで送ってもらうことにした。

この町も明るくて楽しそうなので立ち寄ってみたい気にはなったが、せっかくだからできるだけ遠くまで行こうと思った。
楽をしようと考えたのだ。


    ↑少し観光地化されているらしい海水浴場







海側の道がきれいだから、と一般道から外れて起伏の激しい道を走る。

池が広がっていて、そこだけ植物が生き生きと伸びていた。
たとえば日本でこの景色があってもいたって普通の光景なのだが、
砂漠のなかにこれだけ鮮やかな緑が息づいているのは、珍しいものだった。

自転車で来ていればこの道は絶対に通らなかっただろう。



    ↑奥は砂漠になっているのがわかるだろうか


    ↑水鳥の姿も


その道の付近は先住民が住む場所だということだった。
自然のなかにひっそりと住んでいる人もいれば、村を作っている人もいる。

その村のひとつがここ、トトラルというところらしい。



通り抜けに歩いていた男性に挨拶をする。
ヒゲはたしかに先住民的な雰囲気だが、そのほかは普通だ。
もちろん洋服もちゃんと着ていた。



途中寝袋を落っことすというハプニングもありながら、
外は真っ暗になり、ラ・セレナにつく前にハイウェイにあるレストランへ。

ここは値段が安めなのだそうだ。
店員に値段を聞くと、彼が払ってくれるから大丈夫と言い、これでいいよねと素早く注文してしまった。

なにもしていないのにそこまでしてもらって申し訳ないなと感じるが、断ると向こうも恰好がつかないのでありがたくいただく。




    ↑彼が食べていたツナと玉ねぎを少しもらった。これを頼んだのは歯が痛かったからなのか節約のためなのかはわからない


    ↑自分が食べた肉とスパゲッティ



ラ・セレナに入って彼の家へ行き、そこから安いホテルまで探してくれた。
時刻は深夜1時前。

ネットがどこもイマイチで自分がどこにしようか考えていると、
早く帰りたかったのだろう、ホテル代も払って行ってしまった。


    ↑泊まったホテル


そこまでしてもらうつもりはなかったのでビックリした。
チリ人はそんなに儲かっているのだろうか。

お別れも言えずあっという間に去ってしまった。


彼には悪いことをしたが、ここでそんなことを思っていたらせっかくの好意がマイナスになるような気がして、ただただ感謝することにした。

疲れていて考えるのを放棄したとも言える。

ただ、彼が幸せになればいいと思って、その日はゆっくりと眠った。



以下、拍手コメント返しです。



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旅の終わりと始まり


今年の終わり、急きょ日本に帰ることになりました。



家族の病気や看護問題と自分の体調、金銭的な部分などが帰国の要因です。

日本へのチケットはすでに購入し、今はその日を待つのみとなりました。


正直に言うと、こんな中途半端な形で帰るのはとても心苦しいです。
このブログを書く気にもなれず、ずっと落ち込んでいました。



急いで移動しないといけないのでバスに乗って移動していたのですが、外の景色を見ながら、とてもみじめな気持ちになりました。

すべてに取り残されていくような感覚。
落ちこぼれになった気分。


どうしてこの道を自転車で走っていないのか。
なんで走れないんだろう。


沈んだ思いがぐるぐると頭のなかを駆け巡りながら、ただただ席に座って次の目的地の到着を待つ日々がとにかく苦痛でした。



半分放心状態のなかアルゼンチンに入国。
次のバスの出発時間を待つために公園で寝袋を干しながらベンチに座っていました。

天気は良好。
チップをもらうためにこちらへ話しかけては変な顔でじっと睨んで去っていく人々をいちいちスルーしながら本を読んでいました。


ふと何か懐かしい気持ちになって顔を上げると、公園からあふれる木漏れ日と新鮮な町の匂いを鼻こうをくすぐります。

この新しさを感じさせ、冒険心を奮い立たせる匂い。
久しぶりに気づいたような感じがしました。

最初のころはいつもこの匂いを感じていて、自分は海外の見知らぬ土地にいるのだと嬉しいようなワクワクしたような気持ちにさせられていたものでした。


いつの頃からでしょう。
この匂いを感じなくなってしまったのは。


この匂いのせいで、どうしようもなく自転車で走りだしたい気持ちが湧いてきました。

まだまだ足りなかった。
もっと進みたい。

旅行が一区切りする今になって、そんな気持ちに駆られたのです。



日本に帰らないといけないとしても、また再スタートしたい。
お金を貯めて、またきっとここに戻ってこよう。
そう決めました。


つぎはもっとうまくやれるはず。
だからきっと大丈夫。



……そうは言っても、それで悲しい気持ちが払拭できるわけではありませんでした。
前向きな気持ちが湧いても、それで辛さが消えるわけではないようです。

どうしても付いてくるこの喪失感で、今日も落ち込んだり立ち直ったりを繰り返しています。



自分の旅行はいったん終わりになりますが、また再開するはずなので、待っていてください。


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タルタルでタラタラしていた Taltal




さて、タルタルという町に入りましたので、この町の観光を……

といってもここ、全然大きくないので観光をするところはほとんどありません。
ここではのんびりと体を休めることにしました。


チリは小さな村でもとても立派。

南米ではこういうところは大抵どこも古く、くたびれているものです。

しかしチリは今のところ違っています。
広場は広くて整えられていて、建物もきれいで、道路もきちんとコンクリートやタイルで整備されているのです!

南米というよりは北米みたい。








泊まったホテルは、値段はチリにしてはまあまあといったところ。
でもとてもきれいなところでした。

コーヒー・紅茶飲み放題で、ネコもいて。


    ↑泊まったところ。広場から1ブロックまっすぐ行ったところにある




    ↑キッチン↓











ボリビアやチリのホテルはネコをよく見かける気がします。
なにか理由があるのでしょうか。

それとも、たまたま?





このキティというネコはとても人懐っこく、毎度体をこすりつけてきたり窓から部屋に入ろうとしてきたり。
この子、客への接し方をわきまえていますね、これは。


きつそうな性格をしてそうな女将さんはとても親切にしてくれて、いい部屋を用意してくれました。




ここタルタルは、砂漠に囲まれているのに緑が豊富で、海にはボートが浮かんでいます。

小さな海岸には、遊んでいる町の人たちを少し見かけました。










    ↑地震の多いチリ。津波警戒地域の看板がありました



大きなスーパーなどはなく、小さなスーパーが10軒ほど散らばっています。
ちょっと多すぎじゃないですかね?

どこも特定のものが安く他は平均の値段で売っているため、ジュースを買うならあっちの店、お菓子を買うならこっちの店、と行ったり来たりを繰り返していました。


レストランはどこも高かったので、できるだけ安くすませるために一日一食、パンとインスタントスープを薄めて食べていました。
そして pichanga ピチャンガという惣菜を買ってきて、食事はそれだけ。

ピチャンガというのは、ブロッコリーやニンジン、きゅうり、ペコロスなどの野菜と角切りのハム、チーズ、オリーブなどを酢といっしょに混ぜた料理です。
日本の漬物や酢の物のような感じで食べやすかったです。

この町では肉屋やスーパーの総菜売り場にいくとどこでも量り売りをしていました。


    ↑作っている途中のピチャンガ




いつも食べていたコンプレートというホットドッグは、ここでは1つ1300ペソ~(208円)とけっこう高値。

ソフトクリームは500ソル(80円)で買えました。


    ↑日替わりのソフト。この日はストロベリー味。かなりおまけして高く盛り付けてくれました


    ↑「アボカド」と聞こえたのですが全然アボカドの味がしなかったのですが、どうやら「ボカード」と言っていたらしくバニラと同じ意味らしいです。ややこしい!



そんな感じで、ここではあまり書くことがないのですが、
静かで優しい街並みのタルタル。

自分はここを気に入っています。


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ついさっきまで「海苔の漁師」だった人とドライブ ~ Taltal


目が覚めたのは8時ごろだったが、
"海の家"に住む家族たちは何も言わずに寝かせてくれていた。

起きてテントを片づける。
天気は曇っていて、潮風のせいか湿った空気が肌をつつんでいる。


自転車に荷物を積み終わったころ、昨日とおなじく家のなかへ招待された。

スープと紅茶をもらい、そのまましばらく彼らとおしゃべり。

おじさんがニワトリの世話をしにいくと言い、ほか2人も忙しそうにし始めたので、ここでおいとますることにした。

悲しそうな顔をうかべる奥さんと娘。
これでお別れ。

きっとここには二度と来ることはないだろう。






10時から走り出したが、この海岸線の道は風が強く、アップダウンも激しい。
道路もそんなにいいわけじゃないし、クネクネと蛇行していて走りにくい。
思っていたよりずっと時間がかかる。

家は時々1
~2軒現れる程度。
ひと気のないところも少なくない。


    ↑看板があり、村かと思ったら……


    ↑やっぱり小屋が数戸あるだけ


必死になって進むがなかなか思うようにいかない。
足が前に出ないのは、これまでの疲れが出てきているせいか。


そんなとき、軽トラが目の前に停まって……



ってまたこのパターンかい!



そう、またこのパターンです。

これから南にある地元の Copiapo コピアポへと帰るのだというその男性に乗せてもらえることになった。


この辺はどこにも店はないし、見どころもまったくと言っていいほどない。
砂と荒れた海とグレーの空だけ。

今の疲れ果てた状態でなん十kmなん百kmと進むのは、危険とはいかなくても好ましい状況ではない。

彼がピックアップしてくれて助かった。


その男が言うには、
これまで彼は海苔を採っていてさっきの家族同様"海の家"を借りていたが、ここ数か月間海苔がまったく採れなくなってしまい、今はほとんど収入がないらしい。

さらにアメリカの政策のせいか他国への輸入もあまり取り扱ってくれず、なかなか厳しいのだそうだ。

そこでこの仕事に踏ん切りをつけ、地元へ引っ越して別の仕事をするのだという。

たしかに後ろ座席を見るとテレビが置いてあるし、自分の足元には半分ほど空いた卵パックがあった。


もうスッカラカンだと、彼はペラペラの財布をつまみあげた。



この辺の"海の家"の人たちはみんな知り合いだそうで、途中の家で緑色のガソリンを購入。

すこしだけだが自分もお金を出し、ガソリンを入れるお手伝い。



自転車で走ると思うとげんなりするような道をスイスイ走りながら、色々な話をしてくれるスチュワートというこの男性。

なぜかイタリア語を少し話せるようで、ラジオでかかっているイタリア語の歌を陽気に歌ったりするゆかいな人だった。

ただ自分はというと、疲れと眠気と車酔いを耐えるのに必死で後半は元気がなくなってしまった。
すまなく思ってはいるが、これらはどうしようもない。



まだ明るい時間に次の町 Taltal タルタルに着いた。
自転車を降ろして荷物を積みなおし、スチュワートとお別れをした。

この先彼の人生がうまく行きますように。


    ↑「どう、よく写ってる? ハンサム?」と聞いてくるスチュアート



先ほどの道からは想像できないほど緑あふれたこのタルタル。







停車中のタクシー運転手から聞いた安宿は自転車を置けないということで拒否されてしまったので、その途中で見つけたちょっと気になったホテルへ行って、そこに決めた。

なかなかいい場所なので、ちょっとここでゆっくりすることにしよう。


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温かな、枯れた海の家 Caleta El Cobre





炎天下でテントを張ると、室内の温度がとてつもなく高くなることをご存じだろうか。
だからテントを張るときは日陰を選ばなくてはならない。

しかし、ここは砂漠。
日陰になるところなどなく、すべて砂と小さな岩が敷かれた更地だ。

つまり、
朝は灼熱のもとで起きることになる、ということだ。
これは運命である。



この日ももちろん暑さで目が覚めた。
時刻は8時前くらいだっただろうか。
警戒するものがないため、ぐっすり眠れた。

昨日出したものを自転車に積んで、テントをたたんだ。





走り出してすぐに緑色の看板、そして右に曲がるT字路が現れた。
海に向かうことにした自分は右の道を選択。

そこからは道路がすこし悪くなり、ゆるいのぼり坂がつづいていた。
これが地味につらい。
そして、空にうかぶ太陽から激しい光線を浴びつづけると、体は急激に消耗していった。







今日くらいはもつだろうと思った水が、底をつきかけていた。
これはちょっとまずいのではないか。

もし海に出て、水が手に入らなければ終わり。

ペルーから大事に取っておいていたエナジードリンクの bolt もついさっき飲み干してしまった。


坂はどんどん急になっていく。

あせりを感じ始めたころ、
後ろを通りすぎた一台の軽トラが目の前で停まった。

「さあ、ボトルを出して」

空いていたペットボトルとウォーターボトルに飲料水を満たしてくれた。
ペルーから来たという彼らは、涼しいからこの先の海沿いを走って南下するらしい。

「この先は急なくだりが出てすごく危ないから気をつけてね。崖になってるから」

と、これまで何度も言われた忠告を受ける。

それほどまでに危険な場所なのだろうか。






    ↑日焼け止めクリームももらった



水が手に入ったので余裕が出てきた。
これなら2日は生きられる。

さらに坂が急になるなかで自分のペースで進んでいき、ついにトップと思わしき場所についた。

そこは展望台になっていて、ベンチやゴミ箱、車を停める木の枠が並んでいた。




    ↑高台から見下ろした景色。川が枯れた跡がある


鷹が2匹飛んでいて上昇気流に乗って高度を稼ぎながら、すこしずつこちらへ近づいてくる。
人間が残したエサを狙っているのかもしれない。

しかしここの風はとても強いので、落ちそうになったり持ち直したりと見ていてこっちがハラハラする。



そこからはサイドが崖のくだり坂から山間部へ、途中からアップダウンがあり、立ち入り禁止の坑道をすぎてラストは急斜面のクネクネ道。






    ↑鉱山の入口。立ち入り禁止と書かれていたので近寄れなかった



先が見えない、ブレーキでは止まりきれない。

崖に落っこちるという心配はないものの、これはさすがに歩いていくしかなかった。


まだかまだかと降りていき、暗くなる少し手前で海にたどり着くことができた。

 



海のすぐそばにひと塊の小屋が見えた。
ボートも3艘ほど浮かんでいる。



しかしそれ以外はなにもない。

見たところ店はなく、ただ人が住んでいるだけだろう。
何家族くらい住んでいるかはわからない。
しかし人の気配はほとんどしなかった。

すこしだけ進んでみたが、誰も出てこない。


たしかに人はいるとは聞いていたが、店や村があるとは言われていなかった。



敷地内へと入っていくと、犬が一匹近づいてきて吠えてきた。

疲れていたせいかなんとなく彼の言っている言葉がわかり、日本語でそれに答えて中に入れてもらえるように頼んだ。
すると彼は急に静かになり、しずしずと後ろへ下がる。

見逃してくれたのだ。
まるでこちらの言葉が通じたように。


知らんぷりをしつつゆっくり後ろをついてきたが、道の案内をたのむと途中まで付き合ってくれた。

それでも、主人の家のほうまでは一緒に行きたがらなかった。
知らない人を入れた責任を負いたくないらしい。



小屋はいくつかあったが、どこも閉まっていて物音がしない。

犬がたくさんいて、ときどきこちらに向かって吠えてくる。
小さな柵のなかには線の細いニワトリが飼われている。
これらは人が住んでいるという証である。

一番大きな小屋へと近づく。
光がもれていた。


入口で様子を見ていると、なかのおじさんがひょっこりと出てきてこちらを見る。
これはチャンス。

あわてて声をかけ、テントを張る許可をもらった。
それと同時に、店はないか、食べるものはないかと聞いてみたが、どちらも「ない」との返答だった。



風が強くテントの設置に苦戦していると、そのおじさんは娘と一緒にこちらへ来て、小屋の横に張っていいと言ってくれた。

娘がクッキーを一袋くれる。

そして奥さんが出てきて
「テントを張ったら中へお入り。スープを出してあげるから」
と優しく言ってくれた。



なかではインスタントスープとパンと紅茶を出してくれた。

外から見ると簡素な小屋なのだが、内側はしっかりカーペットが敷かれ、テレビに家具に、ちゃんとした家庭だった。


彼ら家族はお互いに仲がよさそうな雰囲気で、穏やかだった。

おじさんがジョークを飛ばして娘と奥さんが笑う。
奥さんは話をすすんでしてくれ、クールな性格の娘はこちらの言い分を「こういうことよ」と2人に通訳してくれる。


彼らはチリの南部から仕事でこちらにきているようで、もう何年も住んでいること。
海の仕事は大変で、人には全然会わないこと。
ときどきアントファガスタや南にあるタルタルという村へ出向き食料を調達しに行くこと。
娘はいま休学中なこと。
チリ北部の水は鉱物が混じっているので水道水はこちらの人も飲まず、ミネラルウォーターを飲んでいること。
この辺は物価が高いから、こういうインスタントのスープを買って飲んだらいいのではないか。

そんなことを話した。


特に話題がなくなっても、もっと話をつづけたいという感じだった。

こちらが珍しかったというよりは、家族だけの生活が寂しかったのかもしれない。


夜の10時近くになってしまい、断って寝ることにした。
壁が防風を防いでくれたので、安心して寝ることができた。




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お釈迦様のような巨大な手が砂漠に浮かびあがる地 mano del desierto




この日は、ドアの激しいノックの音で始まった。

ドアを開けると、ここに泊めてくれたレストランを経営しているおじさんが立っていた。

促されてデジカメの時計を見ると、すでに朝の10時をまわっている。
しまった、寝すごした。


「疲れていたんだね」
と笑いながら去っていくおじさん。


顔を洗って準備をし、自転車とともに外へ出ていこうとすると、おじさんが入口の扉を開けてくれた。

マノ・デル・デシエルトへ行ってからもう一度戻ってくると伝えると、彼は町に買い出しに行くからいないだろうと話したので、そのまますこしだけ会話をした。

前にも自転車の旅行者が来て、ここに泊めてあげたそうだ。
その人とはメールで連絡を時々とっているらしい。

「大丈夫、神様が見ているから」
そういって見送ってくれたおじさんは実に幸せそうな表情をしていたのだった。



1時間ほど走り、マノ・デル・デシエルトへ。

砂の上に巨大な手のモニュメントが建っている。



これは一体なんなのか。
仏像を連想させられるが、宗教的なものなのだろうか。

西遊記を思い浮かべながら、その手にハイタッチしておいた。





    ↑手をかざして撮影。ほかにも同じように写真を撮る人多数


 
    ↑裏側もある程度ちゃんと作ってある


有名な場所なのか、こんな辺境なのに人が切れることなくやってくる。




帰りに軽トラの人たちから
「どっちに行くの? なにか必要なものはないか?」
と聞かれたので、

「特にないよ。ありがとう」
と断っておいた。

この感じだと、砂漠のなかを走っても助けてくれる人は多分にいそうだ。



レストランへと戻り、昼食をとる。
このさき何もない道を走るだろう。
今のうちに栄養をとっておかねば。


ちょうどそこで食事をしていたトラック運転手から、この先の道の情報を聞くことができた。


海へとつづく道はコンクリートがつづいているがくだり坂がかなり急で危険なので気をつけるように。
海沿いには一応人がいるから、水で困ることはないだろう。

とのこと。


一昨日のトラック運転手たちの話でも同じようなことを聞いていたので、これは信憑性があるだろう。


レストランのおじさんから昨日聞いた話では、
その海へ通じる道はよく知らないが、砂漠のなかを通る大きなルート5の道路はこの先しばらくくだりで、170kmほどで小さな町がある。俺はそこから来たから

と言っていた。

また別のルートでは、次の町までのショートカットにはなるが、上りがかなりあるらしい。


総合すると、ルート5で砂漠を突っきるか、海に出るかのどちらかがよさそうだ。


水に余裕がなく、ここで買うのも余分にお金がかかってしまうので、やっぱり海に向かうことにした。





店のおばさんと先ほどのトラック運転手にお礼とお別れを言い、昨日辿った道をもどっていく。

交差点まで来て、左折。

 


そのさき右折して小さな道路へと侵入するのだが、その前にテントを張って今日の走行は終わりとすることにした。

きつい坂道になるとテントを張るのが難しくなるかもしれないからだ。




ガス缶を出してお湯を沸かし、インスタントラーメンとコーヒーを作る。
風が強く火があおられて時間がかかった。


空は星で埋め尽くされ、南十字星がこちらを見下ろしている。

走ってきた坂の下を見てみると、雲が徐々に広がっているのが見えた。
砂漠の気温差のせいだろうか。


時おり車はくるものの、静かで誰もいない砂漠では安心して寝ることができた。


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砂漠のなかのレストラン


この日はあまり眠れず、トラックの騒音で体を起こした。

朝の7時過ぎ。
外はまだ肌寒くて薄明るく、曇り空が広がっていた。


テントをたたんで近くの食堂を見て回ったがどこも高かったので、泊まらせてくれたお礼としてガソリンスタンドで小さなパンとコーヒーを購入し、それを朝食にした。



トラック運転手のために用意されたこの食堂通り、そのすみっこの店で目玉焼きと巨大なパンを食べている男性を発見。

人が入っているということは、つまりここなら安いのではないか。
そんな淡い期待をこめて訪ねてみた。

正直まだお腹がへっていたのだ。


しかし返事はほかと同じような値段で、卵3つの目玉焼きとパンだけで2500ペソ(400円)。
高すぎる。

あきらめて先に進もうと思った矢先、そのおじさんが
「いくら足りないんだ」
と声をかけてきた。


返答に困っていると、彼が同じものを注文して、
「俺が払っといたから払わなくていいよ」

昨日といい今日といいおごってもらえて助かるけど、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

もちろん嬉しかったしありがたい。
でも自分が彼らに対してなにもできない無力感もすこし感じてしまう。


お礼を言って軽く話をしながら食事。
顔よりも大きなパンにかじりつく。



チリのパンはもちもちしていてとてもおいしい。
が、ここは乾燥した大地。
水分を吸収するパンはのどを通らず、食べるのが大変だった。




日焼け止めクリームを塗ったあとに出発。
工場を抜けるとすぐに交差点についた。


昨日地図をもらったときに、海に抜ける道が通じているのを知り、砂漠のなかを抜けずに海沿いへまわろうか迷っていた。

人もいるみたいだし、水や食料に困ることはないだろう。



 
    ↑青い線のところに道があるようだ


ということで、その道を右に曲がったのだが、ちょっと気になることが。
インフォメーションセンターで見たポスターだ。

それは Mano del desierto(マノ・デル・デシエルト、砂漠の手という意味)という写真だった。
google map でも同じ名前を目にしていた。


この交差点がこんなに近かったということは、その観光スポットへもすぐにたどり着けるのではないか。
それなら行ってみようではないか。
たしかその手前にレストランもあったはずだ。

そんなわけで道を戻り、大きな道路にふただび降り立った。


これが大正解。
実はこの交差点はアントファガスタへ戻る道であり、間違えだったのだ。


    ↑間違えそうになった道



そのまま真っすぐに進むが、予想とは裏腹にまったく辿りつかない例の観光スポット。

それはそうだ。
だって地図を読み間違えているもの。



ひたすら走り続けて本当のT字路に入り、ここで先ほどの間違いに気づく。


    ↑これが本物の分かれ道だった


もう時間も遅いし、このままレストランを目指したほうがいいだろう。
それほど遠くはないはずだ。
すでに閉鎖されているかもしれないが。



夕方にそのレストランに到着できた。

ドアが閉まっていたのでやっていないのかと思ったが、人がいるような物音がする。
開けて入ってみると、ちゃんと営業しているようだ。

さすがに無人の砂漠とあって値段は高めだったが、それでもここで補給できるのはありがたい。
食事をして飲み物を買う。




店のおばさんに話を聞くと、自転車ではここからマノ・デル・デシエルトまでは1時間くらいかかるそうだ。

今日行こうか考えたが、疲れたし寝不足だったので、明日見にいくことにしよう。


テントを張っていいか聞いてみると、しばらく待っててと言われた。
1時間後ほど待つとそこの主人がやって来て、
「15匹ほど飼っている犬が暴れるかもしれないから、中で泊っていきなさい」
と部屋を貸してくれた。

しかも無料で。



壁に囲まれた中庭状になっている場所では小犬を守る母犬が日陰で横になっている。

水道があり、壁には扉が6つほど見える。
そのひとつが使ってもいいと言われた部屋で、ベッドが2つ入っていた。
シャワーやトイレも自由に使っていいと言ってくれた。




さっそくシャワーを浴びてひと眠りし、起きると夜の10時。
2時間ほど本を読んでから再度眠った。

よほど疲れているようで、すぐに寝入ってしまった。

 


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トラック運転手の心意気 La Negra


この日は、すべてが遅れていってしまう日だった。


・アントファガスタ滞在中に一度ホテルを変えたのだけど、そこの鍵を返すときにホテルのオーナーたちと話をしていたら数十分すぎてしまう。

・町を出る前にもうひと稼ぎとオカリナを吹いてバスキング(路上パフォーマンス)していたら1時間過ぎてしまう。

・ずっと見つけられなかったインフォメーションセンターをこの日に見つけ、チリの地図とこのあたりの地域の地図、今さらながら町の地図をもらい、話を聞いていると時間がすぎてしまう。

ちなみに、地図には海沿いの道があることが判明。
少ないながら人もいるそうだし道もそこまでひどくないらしい。
急きょそちらのルートに進もうか迷う。


そんなこんなで出発が午後3時をこえてしまったのだった。


    ↑バスキングはこんな感じで帽子を置いて吹いていた


海沿いに自転車用の道がつづいていたのでそれをたどっていくと、
途中で切れて道がわからなくなった。

工事のおじさんたちに道を聞き、まがり道を間違えてさらに時間をロス。

市街地で行ったり来たりを繰り返し、ようやく本道へ入った。



    ↑海沿いの道


    ↑このような自転車道がある


    ↑遺跡のようなところもあったが、見に行く時間はない



その先はひたすら砂漠の山道で、ここで特筆することは何もない。



あえて言うなら、
チリに入ってから今でもずっと、車乗りの多くがこちらにクラクションを鳴らし手をふってくれることだろうか。

これまでにも挨拶してくれる車が多い地域は多数あったが、それは狭い範囲内のことであり、特定の場所をすぎると減る傾向にあった。
ここまで広域で手をふってくれる車がいるところは結構珍しいのではないだろうか。

それはもしかしたら、トラックが多いからなのかもしれない。
そういう気を使ってくれる人は、トラックの運転手が多かったからだ。



    ↑走っている最中に見た看板。ゲームのコマンドのような矢印が書かれているが、ばくれつけんでも出すのだろうか。おもしろいデザインである



暗くなってきたころに La Negra ラ・ネグラというところに到着。
「黒」という名のその場所には工場が立ち並んでいた。

道路を走るたくさんの大型トラックが忙しそうに通りすぎてゆく。


店やガソリンスタンドが並ぶところがあり、そのうちのひとつ、簡素な食堂へ。

立ち食いソバ屋みたいなそこでほかの客が食べていたものの値段や物の名前を質問する。
店員は忙しそうでこちらに見向きもしないので客たちへ聞いた。
彼らは自分のかわりにその「豚の炭焼き」を注文してくれた。


するとその客たち、彼らはトラックドライバーなのだが、「これで食え」とこちらにお金を渡してくれたのだった。

結局3000ペソ(480円)全部払ってくれたその豚肉のおいしいことおいしいこと。

だってずっとホットドッグばかり食べていたから。
栄養がかなり偏っていたのだろう。
力がみなぎるようだった。





店を出て、大きな道路の中央分離帯に建つ派出所で、今度は警察官と会話。

「泊まる場所はないからガソリンスタンドで泊ったらいい」とのこと。
トイレも食べるものもあるから、と。

まあ、最初からそのつもりだったんだけどね。


copac という大きなガソリンスタンドでテントを張っていいか尋ねると、端っこだったら OK だと言われる。

そこを見てみると、隙間のあいたマンホールがあった。
ペルーでは、そこからゴキブリが大量に出てきたのを思い出した。
というか、すでにもう数匹見えている。



そのガソリンスタンドはやめて、最初に目をつけていたもっと小さなガソリンスタンドへ行き、テントを張る許可をもらった。

申し訳ないことにほとんど何を言っているのかわからなかったが、どうやら
「ここは電気があまりなくて危険だからこっちのほうがいいのではないか」
と色々提案してくれたらしい。

車が来ないよう三角コーンも、気づかないうちに置いてくれていた。



犬が飼われていてこちらのことを警戒していたが、テントを張るとここに居座ることがわかったのか落ち着いたようだ。


まわりは工場の稼働音とトラックの音の大合唱。
それは朝までつづいていたのだった。


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