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泊めてくれた家族と別れ、山中の激しい傾斜のなか、自転車を押してすすんでゆく。
途中でちいさな商店が一軒、レストランが一軒あるのを見つけ両方とも入ろうかと思ったが、ちょうど観光バスがきて混みはじめたり店の人が出ていったりと間が悪く、面倒に感じてどちらも通りすぎてしまった。
このあたりになると店は極端に少ないので、今後のために入っておいたほうがよかった。
考えがあまかった。
これは大きな過失だ。反省するべき。
休憩中、ガソリンスタンドの店でサービスしてもらったマンゴーとブドウを草むらで食べていると、今日まで泊めてくれた家族の一人がたまたまバイクで通りかかった。
彼は少し離れた所に住んでいるようで夕方にしか顔を出さない人だったので、今日は顔を見ていなかった。
はつらつとした性格をしており昨日はバナナをくれた男性だ。
↑この人
「もう行くのか」と驚いていたが、こちらも驚いた。
もう会えないだろうと思っていたら、まさかこんなところで会うなんて。
少し立ち話をしたあとに
「気をつけていけよ」
と握手をして、バイクで去る男性。
手を振りながらコーナリング。
って、危ないよ!
それからが大変だった。
とにかくのぼり坂がひたすら続き、そして霧の中。
霧雨まで降ってきたのだ。
霧でよく見えないが、道はクネクネと左右を行ったり来たりしているようだ。
うなぎの串焼きのようにそのクネクネの真ん中を貫くかたちでショートカットの階段が何度も現れる。
この階段を使えば回り道せずにまっすぐ登れるのだが、自転車と一緒じゃ通れそうにない。
うらめしそうになんども横目で階段を見上げては長い道路をひたすら歩く。
家が3軒ほど建っている広い敷地内で雨宿りさせてもらいながら、お腹がすいたのでククリ村の人たちからもらったクラッカーを食べる。
運良く家があってよかったが、ここ以外はほとんど家はなく、あっても柵が閉まっていて中に入れないようになっていた。
服が濡れて寒い。
さすがに標高も高くなってきているようだ。
とりあえずザックカバーをかけて荷物だけでも濡れるのを防ぐ。
そして霧が薄くなったところを見計らってまた路上へ。
変に曲げた状態で固定しているためグリップを握る手首が痛みはじめている。
ザックが重たい。
そして体が濡れて寒い。
景色も見えずになんにもない無人地帯を歩くのはかなりつらかった。
ただ、体自体はそこまで疲れていないのが救いだった。
晴れていたらもう少し元気だっただろう。
つらいのは濡れによる体温低下と重量アップ、先の見えない不安、そして空腹。
そろそろ諦めてどこかにテントでも張ろうか、
そう思いながら往生際わるく前へ上へとすすんでいると、トラックが路肩で止まっており積み荷をなおしているところを発見。
つぎの町までどのくらいか聞いてみる。
すると、意外な答えが返ってきた。
なんと、ここのUターンを越えたらすぐに町があるというのだ。
だしぬけに舞いおりる福音。
一気に明るくなる未来。
200mほどいくと、霧の向こうから売り物小屋の影が見えた。
飲み物やお菓子などを売っているそこの主人に引き止められる。
彼は酔っているようで、こちらに質問をぶつけたりビールを勧めたりしながら大声で笑っている。
町がすぐそこに見えるので早く行きたかったのだがさすがに振り切ってしまうのもかわいそうなので、彼の言うことに一々うんうんとうなずきながらさりげに質問を投げかけてみた。
レストランはこの町にあるか尋ねると、2軒あるという。
ホテルはどうか聞くと、やっぱりあるという。
よかった、これで食事もできるし濡れた服を乾かすこともできる。
酔っぱらいの主人をなんとかおさめてから左折して道を逸れ、Llama(ジャマ)に入る。
レストランが2軒あったのでとりあえず右の店へ。
そこのおばあさんがなかなかユニークな人で、スペイン語のジョークを言って和ませてくれる。
今日はこの町に泊まることを話すと、食後にこの村唯一のホテルまで案内してくれた。
立派な看板がつけられたそのホテルで料金を支払う。
その値段、なんと10ソル(370円)と激安!
安さはこの旅で一位タイだ。
共同トイレはきたなかったりトイレットペーパーがなかったり古かったり値段相応だったが、部屋が広めで満足。
このホテルはちょっと変わった造りをしており、おそらく読者のみなさんが今想像しているホテルの形とは違っているだろう。
ここは横長のアパートを四角くくっつけたような形になっている。
□ ←こういう状態。
空いた真ん中は広いスペースがあり、上を見上げると空と山が、地面には洗濯場のような石の台が並んでいるのが見える。
ホテルの部屋は2階にあり、下の階は小さな商店や事務所になっているようだ。
もしかしたらイベントホールとして作られた場所なのかもしれない。
夜は下の階の門を閉めるから安全だということで、自転車はその囲われた広場のすみっこに置かせてもらった。
この時期、ここは雲によく包まれるようで、基本的に深い霧がかかっている。
そして雨が降り続ける。
その天気につられてか村人たちの多くも愛想がよくなく、村の雰囲気は霧に沈んでしまったかのように静かでもの悲しげだった。
「山のほうは危険なヘビが出るから自然のなかでキャンプしちゃダメだよ」
という助言とともにククリ村を出て、まず真っ先に遭遇した出来事がこちら。
小川が氾濫している。
サラサラゆきすぎた結果。
完全に道路を封鎖していて迂回もできないので、渋々水の中へ突っ込んだ。
下に苔がはえているようですべりやすい。
一度足をとられて転けそうになったが踏ん張ってこらえる。
ここで転けたら大惨事だ。
なんとか渡りきったがそれでも靴のなかはぐっちょぐちょ。
とくに左の靴の裏はゴムがけずれてクッション部分が露出しているので、そこから水がしみ込んでとても冷たい。
が、どうにもできないので気にせずそのまま進むことにする。
ひきつづき原始時代な景色を走る。
煙がたなびいているところもとても原始チックだ。
このあたりから山道になってきて、くだりが激しくなっていく。
山を登るはずなのになぜくだりなのか疑問に思いながらも、脇を走る崖下の景色に見とれながら進んでいった。
↑こんなところを通ることになるのか…。少し気が重い
↑道を作るために切り崩した山の断面は石だらけ
↑なんがーい道をクネクネと走る
レストランがあったのでスープだけ注文する。
セットだと高かったからだ。
昨日のキャンプのせいか、この日はものすごく眠い。
食後にウトウトして眠りそうになっていたら、店の人が休んでいきなと言ってくれた。
しかし今日はもっと先へ行きたかったので、ここは我慢して申し出を断り、店を出ることにした。
その先にあった分かれ道。
右の道は小さかったのでおそらく左の大きな道だろうと予想し、そっちへ進んだ。
が、これが大失敗。
実は右の道が正解で、近道であり大きな町も途中にあったのだった。
一応事前に地図で調べていたのだがこのときはそのことを覚えていなかった。
現在地もあやふやな状態だったのでしょうがないといえばしょうがない。
間違えた道は険しく、のぼりがひたすらずっとつづいていく。
村はいっさいなく、道だけがのびている。
昨日もらったクラッカーやフルーツを途中で食べながら元気をつける。
↑しかし景色はよい。さすが山の中
↑奥の雲に隠れている山のてっぺんがものすごく高いところにある。なんかすごい所に来てしまったな
昼下がり、こんなところに人が一人で歩いている。
これは近くに村があるのかもしれない。
まわりに落ちているゴミの種類や量からもそう推測できる。
道は谷から逸れグルッと山の半径を回る。
そこで小さな集落に到着。
レストランが一軒あったので食事をもらう。
ちょっとばかり高いが、ここはしょうがない。
そこの人に話を聞くと、この先20分ほどで次の村がまたあるという。
それを信じ、もうちょっと歩くことにした。
彼女の言う通り、20分で次のMaychil(マイチル)という村に入ることができた。
ここまで正確な話、というか、自分にぴったりの情報が手に入るのは珍しい。
いつもなら自転車で30分と言われても2時間くらいは進まなくてはならないのだ。
家のまえで座っていたおじいさんに村のなかでキャンプできるか聞いてみると、通りすがりのおばさんが何か言ってくる。
「向こうになにかの家があるからそっちのほうがいいんじゃないか」
というようなことらしいが、ほとんど聞き取れない。
とりあえず言われた通りそちらへ行ってみることにした。
もっと奥、もっと奥
と村から離れてしまったが、いいのだろうか。
すぐにIzco(イスコ)という地域に入るが、ほとんど家はない。
その崖の上にガソリンスタンドが建っていた。
おばさんが言っていたのはここのことだったのだろうか。
話しかけてみるが、話がまったく通じない。
ジェスチャーもうまく機能していないみたいだ。
「キャンプ」というスペイン語自体を知らないようだが、それをもっと遠回しに言う方法を自分は知らない。
するとなぜか隣の家に案内され、そこで空き家の修理をしている男がこちらの状況を察してくれたようでテントを張らせてもらうことができたのだった。
↑トタン屋根を張っている最中
↑テントを張らせてもらった
仮設のシャワールームもあり、体も洗うことができた。
何か変な臭いがすると思ったら、はいていた靴がものすごく臭い。
そういえば朝に濡れたんだった。
これ、乾かさなきゃいけないな・・・・・
翌日、家の家族に「今日も泊まって」と頼まれ、もう一泊することになった。
洗濯物も乾かしたいし、ちょうどいいや。
ありがたく泊まらせてもらおう。
昼寝をしたり子どもたちと遊んだり高校生くらいの男子学生たちと話をしたり、空き家修理の仕事をほんのちょっとだけ手伝ったり。
そんな風にしてすごした。
ご飯は3食作って食べさせてくれる。
鶏の料理を出すときにはそこで飼っている鶏を捕まえ、屠殺して出してくれる。
なるほどこういう風にして暮らしているのか。
現地の人の暮らしを見ることができて、貴重な体験だった。
さっき首をナイフでゴリゴリ切られていた鶏は、少し固かったけどおいしかったです。
↑粘土のようなものでいろんな動物を作ってあげたら喜んでくれた
↑左の人が最初に泊めてくれると言ってくれた人。右の子もこちらの意図をよく汲み取ってくれ、スペイン語の発音もきれいで聞き取りやすい
↑クイ売りが来た
↑話しているのを横で聞いていたが、そんなに高くなさそう
坂を降りて村へ行ってみると、変なばあさんがこちらを呼び「自転車と金はどこにある?」と猫なで声で何度も聞いてきた。
しつこいのでカメラを取り出しムービーを撮ると、その態度はコロッと変わり、天を指差しながら何かブツブツ言っている。
泊めてもらっている人たちからは「ここは盗む人もいないし安全だ」と言われていたのにこれか。
自分の荷物が心配になり戻りこのことを話すと、「ここにそんなことする人はいない」と信じてくれなかった。
不信感も感じて警戒する自分。
それでも好意的に接してくれる彼らとはうまく付き合えたと思う。
とりあえず今はCajamarca(カハマルカ)を目指していることを伝えると、2月の初めに祭りがあるそうで、その流れで「もう一週間ここにいてよ」と言われる。
彼らのことだからきっと食事は用意してくれる。
こちらの面倒を見てくれるので、お金はほとんど使わなくてすむだろう。
現に今日はほぼ使うことはなかった。
自分はここで子どもたちと遊んだり、英語や(一生のうちで使うことはないであろう)日本語を教えたり、オカリナを吹いて聞かせたり、修理仕事を手伝ったりするだけでいいのだ。
居場所がここにある。
迷ったが、やっぱり次の日に出発することにした。
ここにいるのもいいが、先へ進まなくては。
ペルーの滞在日数は183日もあるとはいえ、この調子ではさすがにタイムリミットが来てしまう。
次の日、テントを片付けて荷物をすべてしまいこむ。
みんな悲しそうな目をしていた。
仲良くなった高校生の男の子と母親は彼らの父親のところへご飯を食べにいったらしく不在。
「あと1時間待ってて」
と言われたが、もう昼になるので出発することにした。
ここにいるみんなに握手する。
おばあちゃんは泣きながら見送りをしてくれた。
トゥマンの町から出てもあいかわらず田んぼや畑が続く。
ブドウ畑まであったのには驚いた。
まだ山に入ってはいないようで依然として平地がつづく。
↑田んぼで田植えをする人たち
申し訳程度にしか効かないブレーキを駆使していたら、またまたまたまたブレーキワイヤーが切れた。
これで何度目だよ!おい!
ひどい・・・
しかし大丈夫。
ピウラでワイヤーが切れたときに、ついでに予備のものを2つ買っておいたのだ。
その先にあったガソリンスタンドに自転車を止め、初めて自分だけでのブレーキ修理。
↑ここが切れた
↑ほら、この通り
思いのほかちゃんとできたので嬉しくなりながら自転車の荷台に荷物を載せていくと、
なんと今度はタイヤがパンクしているではないか!
↑ひえ〜、ぺったんこ
もっと早く言ってくれ。
ちょうど全部荷物載せちゃったところじゃないか。
もう一度荷を降ろしてパンクを修理。
本当にもう。
しょうがないやつだ。
その先も、畑の茶色と奥の深緑のコントラストが素晴らしい。
奥だけ見ると原始時代のようだ。
↑奥の原始感、わかりますか?
↑アースカラーが色鮮やかに出てる
↑なぜかスプーンの絵が描かれた岩盤
川の横を通っていく。
ダムがあったので休憩がてらに見学する。
↑すんごい勢い
↑泳いでるけど、危なくないのかな
釣りをしている人が何人かいて、本当に釣れるのか見ていると、なんとすぐに釣りあげてしまった。
↑糸と針と固形のエサだけでスイスイっと釣り上げる
自分もエクアドルで釣り竿を買ったので釣りができるようになったのだが、今はそんな気がしないのでパス。
まだ知らぬ先の村を目指す。
周りは自然だらけだが、店や食堂がある規模の村は見つかるのだろうか。
夕方が近くなってきた頃、Cuculi(ククリ)という村に入る。
大きいところはないが、今日通りすぎた村のなかでは一番大きい。
キャンプ場所を探していると、ここの村人たちに囲まれる。
「ここは食堂がないから飯を分けてあげるよ」
そのうちの一人の家に自転車と荷物を預かってもらい、バイクタクシーに乗ってみんなで広場へ。
そこでバレーとサッカーのプレイを見たり犬をなでまわしたりして楽しんだ。
ここは血を吸う小さい羽虫が飛んでおり苦しめられた。
こっちの人は平気なのかと思っていたが、みんなパチンパチンと体を叩いている。
やっぱり彼らもガンガン吸われてんのね。
自転車と荷物を返してもらったあと、別の人の家でスープとパンをごちそうになる。
こんなことを言っては悪いかもしれないが見るからにお金がないような家の中だった。
やせ細った犬が敷かれた毛布の上で死んだように倒れている。
なんだか食事をもらうのが申し訳なくなってくるが、せっかく食事をもらったんだから十分味わっていただこう。
彼の気持ちを無下にするわけにはいかない。
とてもおいしいスープを飲みおわり少しゆっくりしていると、今度は別の人が家へと招待してくれた。
さきほどバイクを運転してくれた人だ。
恩義も感じておりここにもう少しいたかったのだが、スープをくれた彼が行けと言うのでバイクタクシーを自転車で追う形で別の家へ移動。
そこでもまた食事をごちそうになってしまった。
そしてスポーツドリンクやクラッカー、グアバというフルーツを取ってきてくれる。
このグアバ、チクラヨのときにも写真を載せたが巨大な空豆のような形をしている。
中に入っている小さな白い実を食べるのだが、ほんのり甘くてかなり青臭い。
すまないがあまり好きじゃないですこれ。。。
そこの家族たちと写真を見せたり話をしているうちに夜もふけた。
彼らの家の前にテントを張らせてもらえることになった。
本当は家のソファに寝てもいいと言われたのだが、家の中がかなり暑かったので断ってしまった。
次の日はみんな無言。
昨日はおしゃべりできたが、今は言葉が通じず話すこともないのかもしれない。
それとも早く出発してほしいと思っているのだろうか。
グアバやクラッカーをさらにもらい、自転車をこぎだす。
今思えば、彼らは自分がいなくなることを悲しんでくれていたのかもしれないかった。
もう2度と会えないのだから。
チクラヨのホテルスタッフとは少しずつ仲良くなっていったので、もうちょっとここに泊まっていたかった。
しかしそうも言っていられない。
旅行者には観光ビザの期限と資金という2つの制限が設けられているのだ。
この日初めて見たスタッフに「あなたの自転車はないわ」などと言われて、
まさか盗まれたのか! ドキッとしながら、いつもの女性スタッフに自転車の場所へと案内される、なんていうアクシデントがありつつ、ホテルを出ていく。
一応ネットでこの先の道を調べていたのだが、これがとてもわかりにくい。
地図を見てみるがチクラヨはすこしばかり入り組んでいて現在地を見つけるのも一苦労だ。
おかげで道を間違え、スラムのなか砂利道を通るはめになってしまったが、目的の道路まで出ることに成功。
念のため酒場のおっさんに道を聞いてみると、どうやらあっているらしい。
これから先、アンデスの山の中に再び入っていく。
ペルーはあまりネット環境がないようだったので、ここからはさらに手に入らなくなっていくかもしれない。
広い畑のなかを自転車で爽快に走る。
奥には、白茶けた亜麻色の地肌をあらわにした背の低い山がのびている。
なにかが燃えるきな臭いがどこかから流れてくる。
刈った雑草を焼いているのか。
↑この山肌の模様が実にきれい
↑目の前にもはげ山が。
ここでちょっとはげ山について調べたんだけどさ、
ここ → wikipediaはげ山
これに書いてある小見出し
「山頂はハゲやすい」
に少しビクっとしたよね。
…いや自分ハゲてないし!
ちょっとデコが広いだけだし!!
昔からだし!!!
↑何か文字が書いてある。道も繋がってるし、ちょっと行ってみよう
↑山のふもとへ。何かの瓶などが落ちていて人がたむろした形跡があり、すこし不穏な雰囲気
↑自然はきれいだけどゴミが多いな
↑家のすぐ裏手がこんなにもゴツゴツしてる。激しいギャップについカメラを向ける
途中の村で昼食タイム。
お気に入りのアヒデガジーナがあるそうなのでそれを頼むと、なんとここのアヒデガジーナは名前の通り辛いではないか!(ajiアヒ=とうがらし)
激辛というわけではなかったので我慢して完食するが、唇がヒリヒリするしお腹の調子もちょっと悪いみたい。
目の前の広場のベンチで休憩。
辛いのは無理です……
Tuman(トゥマン)という町にやってきた。
時間もちょうどいいので今日はここで泊まることにする。
ホテルを探すまえに、まずはこの空腹をなんとかしなければ。
メルカド(市場)の食堂で食事を頼むと、サラダやセビーチェ、大豆煮などなど頼んでいない物までどんどん出てくる。
サービスだから食べていきな、と言われながら計4皿ほどテーブルに並び、お代は4ソル(148円)と激安。
いやーなんか申し訳ないね。
久しぶりの走行で脚が疲れていたので、そんなに動き回らずに就寝。
翌日、町を出るまえに水を買いに商店へと行くと、日本語を話すおじさんに会った。
彼は広島や岡山あたりで5年ほど日本で働いていたらしい。
デジカメのムービーをまわすと、恥ずかしがりながら日本語を話してくれた。
家に泊めてもらった家族の人たちにお礼を言い別れてから10分、もう一度あの素晴らしいホテルに再アタック。
だって安くてきれいで風呂場が広くてネットも繋がるなんてそうそうある環境じゃないんですよ。
ペルーでは特に。
もし部屋が開いていればここに一泊し、その分これから行くチクラヨの宿泊日数を減らしてさっさと進んでしまおうと思っていた。
それくらいこのホテルがよかったのだ。
でも結果は惨敗。
昨日と同じ状況らしい。
「せっかく来てくれたから」と45ソル(1665円)の高い部屋を、赤字ギリギリの35ソル(1295円)まで減らしてくれたが、
さすがにそんなに出せないしそれなら先へ進みます、とさびしい後ろ姿を見せつつホテルを後にした。
チクラヨまでけっこう距離があると思って気合いを入れていたのだが、これがかなり近かった。
どれくらい近かったかというと、たとえば
「ひと駅くらいなら歩いてみようか、でもかなり歩くんだろうなー、疲れるかもなー、のちに支障をきたすんじゃないかなー」と思いながら歩いてみたら意外と早くついちゃって拍子ぬけする感じに似ている。
数値にすると、20kmもなかったらしい。
そんな感じであっさりとペルーの都市、Chiclayo(チクラヨ)に入った。
すぐに見つけた市街地のなかのホテルをとる。
中心部からは離れているが静かだし、ここに泊まることでいいこともあった。
ある日ロビーでネットをやっていると、スタッフのおかみさんが昼食を用意してくれたのだ。
それはペルーに入って好きになったクリームカレーのような料理だった。
aji de gallina(アヒデガジーナ)という名前だということをここで知る。
前に砂漠の中のレストランで質問したときはプレという名前だと言ってたが、あれは一体なんだったのか。
たしかにpureをネットで調べても画像は全然出てこなかった。
ajiとは唐辛子のことなのだが、今まで食べたアヒデガジーナは辛かったことがなかった。
"カレーの王子様"ですら子どものころ食べられなかった経験をもつ自分にとって、このajiという文字は天敵であり、ずっと避けてきたものだった。
なんだよ驚かせやがって、名前負けかーwwwwww
なんて思っていたら、チクラヨを出た先の村で辛いアヒデガジーナに出会うことになるなんて、このときは誰も知らなかったんだ・・・・・
さて、せっかくこんな都会に来たのだから、ちょっとは観光しなければもったいない。
ということで外を散歩してみた。
カテドラルのある中心部の広場はほかの町よりも狭く、噴水や置き物、看板などがたくさん置いてありちょっぴりゴテゴテしい。
小さなフリーマーケットと化したその中をブラブラと通りすぎていこうとすると、一人の男性に声をかけられた。
「おい、君日本人だろ」
振り向きながらそうだというと、名刺を渡された。
彼の工房の名前とfacebookの名前が書かれている。
「ここにくればキャンプ場所があるから泊めてあげるよ。もちろん無料でね。屋根もあるから安心して泊まれるよ。バスで10分ほど行ったところにあるんで」
おじさん、あの、すごくすごくありがたいのですが、この情報量だけじゃ見つけだすのは至難の技ですよ。
Facebookを見ても住所が書かれてなかったし。
せめて住所を。住所……
もっと先、北のほうへ行くとスーパーマーケットが2軒並んでいるところに出た。
ちょうどいいのでちょっと買い物。
このスーパーは品揃えがかなりアメリカナイズされており、アラスカやカナダでよく見た懐かしい商品が並んでいた。
↑懐かしのスナックパック。一回しか食べてないけどチョコのやつはおいしかった
値段でいえばホテルから少し歩いたところにあるTOTTUS(トットゥスと読むのだろうか)というところがかなり安かった。
有名なスーパーらしいので、ほかの町にも同じところがあったら立ちよってみることにしよう。
中心部から西方向へ行ってみる。
どこを見てもking kongという名前のお菓子が並んでいるのが目につく。
なんかこういうの和菓子でなかったっけ。
羊羹とモナカのやつ。
三重の老伴(おいのとも)とかかな。
最初はなんだかおいしくなさそうに見えたこのお菓子も、和菓子と考えるとちょっとおいしそうに見えてくる。
食べてみようか、やめようか
そう迷いながら、結局食べなかった。
なんでもこのking kongはチクラヨ名物らしい。
それなら食べときゃよかったかな。
でもなんでこんな名前になったのだろう。
そして中にはなにが挟まっているのだろう。
一体これはなんなんだろう。
なぜここの銘菓になっているのだろう。
色々わからないことだらけでなんだか宇宙を感じます。
今度は広場から東、メルカド(市場)方面へと行ってみる。
中南米のメルカドといったら薄暗くて汚いイメージがあるのだが、はたしてここもその通り。
まさにメルカド。
どメルカド。
そんな中で手に入れた情報は、
なにやら"手品"のようなものがこの近くにあるそうで、それが有名になっていて観光客が見に来るのだとか。
手品?
よくわからないが、オシャレなバーのなかで手品を披露するとかそんな感じだろうか。
それなら高そうだなぁ。
ほぼジェスチャーでの会話だったので実際本当に手品かどうかわからない。
せっかく教えてくれてなんなんだが、それを探すことの苦労よりも興味と熱意が上回らなかったので、そのままそこを去ってしまった。
そのほか写真。
↑でかい空豆かと思ったらグアバと呼ばれるフルーツらしい。中の空豆みたいな種は食べずにそのまわりの白い実を食べる。後日食べることになる
↑おいしかったお菓子。ペルーの田舎にはポテトチップスがあまりないため、甘めのお菓子をよく食べている。とくにこの chokosoda チョコソーダ はおいしくて値段も70センティモ(=0.7ソル、26円くらい)とお安い!
↑リアルな顔のいも虫バス
↑走っているのは普通の道路です
↑ジュース屋で飲んだ大豆のジュース。臭みはあるが豆乳みたいでけっこう好き
↑日本語の名前のホテル。高そう…
チクラヨはそこまで観光向けの町というわけではなさそうだが、そのぶん安いレストランが結構あって助かった。
ホテルも中心部にたくさんあったので、探せばとても安いところも見つかるのではないだろうか。
自分は郊外で泊まったが、中心部近くに泊まったほうが断然便利だと思う。
ここに泊まったことに後悔はしていないけど。
↑関係ないけどおいしかったジュース。マンゴー味が濃くてトロトロしている
バタングランデからフェレニャフェへと戻る。
一度通ってきた道なので体感距離、建物の配置、傾斜や路面状況などすべて把握ずみ。
わかっていれば他に気をとられることもなくペース配分も調整できる。
ハイピッチのスピードにのせ、楽々帰ることができた。
帰り道のとちゅう、
前にバイクタクシーの客が日本語をしゃべったという話をしたが、その人が入っていったレストランの前を通った。
通りすぎようとしたのだがなんだか気になり、喉もかわいていたのでちょっとだけ入ってみることに。
紫トウモロコシのチチャモラーダを注文。
バーを兼ねたレストランだけあって若干高めだ。
最近知ったが、「モラーダ」とは恋人のことらしい。
ペルー方言だろうか。
↑ちゃんとしたところのチチャモラーダはレモンがいい具合に効いていてとてもおいしい
店の人のご好意でとうもろこしを揚げたようなおつまみをくれた。
以前にも紹介したことがあったかもしれないが、外は固くて中はポップコーンのようになっている。
ポップコーンがそんなに好きではない自分にはあまり口に合わないのだが、お腹もすいていたしご好意をふいにするわけにもいかない。
ありがたくいただいておこう。
「喉がかわくでしょう?」
とレモネードまでくれるお姉さん。
ちょっ、サービスよすぎですぅ!
フェレニャフェへ到着。
前にも泊まったお気に入りのホテルは満室で高いランクの部屋しか開いていないらしい。
がっかりしながら安くてwi-fiのあるホテルを探しまわっていると、道路でアイスを売っていた家族にたまたま声をかけられた。
いつものように少し話をしていつものように別れるところ、今回は違った。
後ろから彼女たちが追いかけてきて、
「うちに泊まりなさい」
というのだ。
ちょっと迷った。
なんだか怪しくないだろうか。
ベリーズで一度家に泊まらせてもらい金目の物をどっさり盗まれた経験があるので、こういうときに素直に人を信用できない。
とくに彼らはお金がないらしく、ホテルが安くて25ソル(925円)だと言うと、
「ものすごく高いわねぇ」
とびっくりしていたくらいだ。
いやこれはペルーの多くの人の感想なのかもしれないし、全体的にみんなお金を使わない生活をしているのかもしれないし、なんともいえないのだけど。
彼らは家賃ってどうしているのだろう。
断るかどうか考えながらとりあえずついていくと、小さな個人商店へ。
商店といっても、家の玄関口に商品棚をひとつ置いただけ。
なかは薄暗く、言っては悪いがちょっとボロい。
まさにベリーズのドロボウ一家の内装とよく似ていた。
……本当に大丈夫だろうか。
そう思いながらも、現在経済状況がものすごく苦しいおり、無償で泊まれるのはとんでもなくありがたい。
一か八か彼女たちを信じよう。
自転車をベッドの近くに置かせてもらった。
今日こそはここフェレニャフェいちの名物であるMuseo de Sicanシカン博物館へ行くつもりだったので外へ出ようとすると、
「このへんは強盗がたくさん出るからついていくわ」
えっ、そんなにですか…?
それほど危なそうじゃなかったんですが。
すぐ近くだし。
「あなたは来たばかりだからわからないと思うけど、すごく危ないのよ」
やっぱり大きな町であるチクラヨが近いから、治安も悪いのだろうか。
ということで、お母さんとその子どもたちがついてきてくれることになった。
博物館の入口で待っていてくれる彼女たち。
入場料7ソルだったか、そのくらいを払っていざ参る。
ランバジェケのシパン博物館より小さく、展示物も少なかった。
金の装飾物や杯がいくつか飾られていた。
↑発掘と調査に日本人が何人か関わっているらしい
最後に解説ビデオを上映しており、そこで発掘に携わった考古学者の島田泉博士がインタビューされているのを眺める。
インタビューといっても数秒の映像を2回流されただけだが、日本語だったのでそこだけきちんと理解することができた。
「発掘はギャンブルですよね」「もっと勉強しなきゃなって」
という博士の見た目は若かった。
そりゃそうか、年を取ってからだと体力的にキツいもんね。
スペイン語でアフレコされてないことに感謝。
バタングランデのホテルでお世話になった夫婦の息子がここで働いているという話を聞いていたので、帰り際に館内スタッフに聞いてみると、すでに帰ってしまったらしい。
待っていてくれた親子と一緒に帰宅。
夜はお腹いっぱい食べさせてくれた。
食後は、子どもたちが最近はやっているらしくペルーに入ってから何度も耳にしているという歌に乗せて踊りを見せてくれたり、
おばあちゃんと一緒に墓地へと散歩したりしてすごした。
totoとはお尻のことらしい。
サビになるとお尻をふるダンスをするのが定番のようだ。
なんともラテンアメリカっぽい。
この曲はちょっとリズムが重くて自分はあまり好みではない。
↑近所の墓地。大きい
朝もこれまたお腹いっぱい食べさせてくれ、水も補給してくれた。
なにも盗まれていない。
優しい人たちでよかった。
おばあちゃんは寂しそうに
「どうして行っちゃうの? ここはあなたの家だからもっといたらいいのに」
と言ってくれたのだった。
メキシコからこのあたりに関して言えば、赤道に近いため平地では真夏のような気温になりますが、それでも標高が高くなればかなり冷え込みます。
場所によっては雪が降るほど。
そんな中南米のホテルのバスルームには、暑いところは大体どこも水シャワー、山の上などの寒いところになるとほとんどの全部のホテルはホットシャワーがついています。
そのため相対的に山岳地帯のホテルのほうが値段が高くなりやすいです。
もちろん例外もありますが。
メキシコや中南米の安宿のホットシャワーには大きく分けて3種類あります。
ひとつは"蛇口を思い切りひねると熱くなるタイプ"、
ふたつ目は"どれだけひねっても熱くなるタイプ"、
そして"少しだけひねると熱くなるタイプ"です。
ちょうどいい温度に保つためにはちょっとしたテクニックが必要になってくるものもあるので、ここでそれを伝授したいと思います。
一番難しくそして一番多いのが、"少しだけ蛇口をひねるとお湯が出てくるタイプ"です。
強めにひねると絶対に水しか出ない、厳密に言うと水が強すぎてお湯が消されてるのですが、そんな風なので最初に出会ったときは驚くでしょう。
だってホットシャワーだって聞いたのに、水しか出ないのですから。
故障かな? と思うかもしれませんが、これが普通なんです。
このタイプに当たった場合、
1、まずはお湯を思い切りひねります。
※ちなみにホテルによって蛇口がひとつ(お湯のみ)しかついていないところと、水・お湯両方の蛇口がついているところがあるので、もし水の蛇口もついている場合は最初にそちらを全開にしてから一度止めてお湯のほうをひねったほうが、お湯が出る可能性が高まります。
※お湯はC(calienteのc)、水はF(frioのf)と書かれていることが多いです。
2、お湯の蛇口をひねると、上のほうからブーンという機械音がかすかに聞こえるはずです。
これはボイラーが動いている音なので、この音を聞きながら少しずつ水をしぼっていきます。
3、そして音が鳴らなくなるギリギリのところでとどめておくと、しばらくしてからお湯が出てきます。
思っているよりもずっとチョロチョロなのでがんばって温まってください。
次に思い切りひねると温かくなるタイプですが、これは滅多にありません。
エクアドルでたしか2度ほどあったと思うので書いておきますが、ほとんどないと思ってもらってかまわないです。
チョロチョロでお湯が出るタイプに慣れていると、このタイプには不意を突かれます。
チョロチョロにしても水しか出ないんですもの。
たまにボイラーを付けてなく、シャワーを浴びるときには申告しないといけないところも一度あったので、ここもそれかと思いながらがむしゃらに蛇口をひねってみると・・・
なんとお湯が出るじゃないですか!
ガンガン水を浴びれる上に温かいのですから、このシャワーに出会ったあなたは当たりのホテルを引きましたね。
おめでとうございます。
最後に、どれだけひねってもお湯が出るタイプ。
日本と同じタイプですね。
これも安宿だとそんなに多くありません。
高いホテルだとこれが当たり前になってくるのかもしれませんね。
ただ、ここで気をつけたいのはものすごい熱湯が出てくるシャワーです。
水の蛇口があればそれをひねって調節すればいいのですが、なかには極端なシャワーもありまして、水をちょっとでも出すと水しか出ず、水を止めると熱湯になるものも割とあります。
この場合が一番やっかいです。
これに当たったときは、まずお湯になり始めるときに10秒くらい適温になるのでそれを浴びます。
熱湯に変わったら水を出すと、そこから水に変わる20秒間ほど適温になるはずなので、それを浴びます。
水に変わった瞬間に水を止めるとまた20秒ほど適温になる時間があるのでそれを浴びる、の繰り返しです。
体を温めたい場合はタオルを熱湯にさらして温め、それを肩にかけておくと多少マシになります。
アメリカ大陸にはなかなか個性的なシャワーが多いので、それぞれに合った付き合い方を覚えていきましょう。
ついでに書いておくと、
水すら出ない時は洗面台の下あたりにある元栓をチェックしましょう。
水道自体が止まっていることもあります。
出るようになるまで待つしかないです。
他の部屋では出ることもあるので、どうしても浴びたいときはスタッフに聞いてみるといいでしょう。
シャワーヘッドにボタンやスイッチがついているものは、それをいじるとお湯が出てきたり湯温が変わったりするので、そこもさわってみてください。
どうしてもトラブルが解決できないときは、ホテルのスタッフに聞いてみるしかありません。
言葉がわからなくてもジェスチャーでなんとかなることも多いので、チャレンジしてみてください。
スペイン語を使いたいのなら、
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baño(バニョ)=シャワー・トイレ
caliente(カリエンテ)=温かい
frio(フリオ)=冷たい
no(ノ)=頭に付けると否定形になる
vamos(バモス)=来て(直訳すると「一緒に行こう」Let's goと同じ)
oiga(オイガ)=聞いて
mira(ミラ)=見て
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この辺を使えばなんとかなるでしょう。
それでは、よいシャワー生活を。