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ラバンババンバランバジェケ Lambayeque





このあたりの土地から"シパン・ランバジェケ文明"の遺跡や出土品が発掘されているらしく、
今滞在しているランバジェケにはその博物館のひとつがあるそうなのでさっそく行ってみた。



それがここ、Museo Tumbas Reales Sipan。
ムセオ・トゥンバス・レアレス・シパン と読むのだが、長いのでシパン博物館と呼ぶことにしよう。

 

採掘物の多くがこの博物館に集まっていて見ごたえがあるという噂を目にした。


よし、それならいっぱい写真撮っちゃおう!


と、意気揚々と入場したわけだが、どうやらここはカメラがNGらしい。
カメラ、それから受け取りの際の身分証明代わりにパスポートをボッシュート。

携帯を持っているひとはそれも預けなくてはならないらしい。



財布とメモ帳のみポケットに入れてピラミッドのような形のシパン博物館へいざ突入。


入口で係員に「こっちへ行け」と指示される。

そこで文明の説明が聞けるビデオを見せられた。
見終わったあとに案内がつき、一個一個説明してもらいながら展示物を見てまわるようだ。


なるほど、ビデオは時間稼ぎなのか。

そこである程度の人数を集めておいてグループを作り、そのグループごとに説明係をつけることによって一括して効率的に係を配置できる。
そしてこっそり写真を撮っていないかを見張る警備員の役割もかねている。

考えたものだ。


こちらはスペイン語はわからないのでそのグループからはずれ、単独で行動に移す。
英語の説明係もいたが、英語もそんなにわかるわけではないし面倒だから、まあいいや。



内容はというと、
細かい細工がされてある金の装飾品、人や動物をかたどった土偶、ファラオやツタンカーメンなんかがしてそうな首に巻くジャラジャラなどがたくさん展示してあった。

    ↑この首にまいてるジャラジャラみたいなの



ササッと見ていくとあっという間に終わってしまうので、じっくり見たい人はやはり係の人についていくべきだろう。


カメラを返してもらい、博物館のまわりを散歩する。
敷地内にはなぜか畑があり、豆やよくわからないモコモコとした植物がのんびり風を受けている。


    ↑トウモロコシに少し似ているモコモコ。左下の札にはkiwichaと書かれていた



そして奥には手芸品を作り販売している小屋が建っていた。


    ↑アルパカの毛で織物をしている小屋



    ↑薄めの温かい茶色が特徴的



    ↑アルパカの毛を糸にしているもの



    ↑駐車場付近の壁に描かれていた絵。こんな感じの土偶がたくさんあった




この町は食堂が安く、メヌ(昼食セット)が5〜5.50ソルで食べられるところが多かった。

メルカド(市場)のまわりにはたくさんのホテルがあったので、探せば安くていいところも見つかるだろう。

10kmほど先の大きな町・チクラヨに用がないのならこっちで泊まったほうがもしかしたら安上がりかもしれない
    ↑食堂ならチクラヨでも安い所はありました。むしろこっちのほうが多そうです。ホテルはわからないですけど。




    ↑広場のひとつの写真。砂漠の中なのに緑がいっぱいだ



ランバジェケに入って一番に思ったのは、制服姿の女性が多いということ。

ここ最近ではスーツなどの仕事服を着た人事態、まずあまり目にしなかったのだが、このへんではよく見かけ、しかも女性も多い。

女性の社会進出がかなり進んでいるということだろうか。


…いや、中南米では女性が物を売ったり商店や食堂を構えていたりすることが非常に多いので、「女性の社会進出」という意味ではここじゃなくても元々進んでいると言えるのかもしれない。




ホテルの近くでプリン屋があったのでひとつ買って食べてみた。



下が普通のプリンで上はチョコのムース。

プリンはゼラチンを混ぜたような固めの歯ごたえでちょっぴり違和感が・・・
ムースはとてもおいしかった。

他にも、ミルク粥のようなものと紫トウモロコシのチチャ(もしかしたらブルーベリーかなにかかもしれない)を層にしたものも置いてあり、
それはここでは食べなかったが以前立ちよったピウラで食べたことがあるのだが、とてもおいしかった。

ペルーに来た人はぜひお試しあれ。
 


※正直に言うと、wi-fiが全然手に入らなくてこの内容が1週間くらい前のことなので何を書こうとしていたかかなり忘れてしまっています。
タイトルもめちゃくちゃ適当ですんません。


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「黄金の都シカン」を見学をしてみようかな、Lambayeque



朝目覚めると、気分はすっきり。
宿の主人が突然部屋に入ってきて無理矢理起こされ追い出されたこと以外は平和でさわやかな朝だ。

なぜ昨日はあんなにイライラカリカリしていたのか不思議に思うほど、この日は調子がよかった。



食堂にたちよったり商店でジュースを買って休憩をはさみながら、いくつもの大きめの村を通りすぎてゆく。


途中にTucume(トゥクメ)という町があり、事前の調べではこの近くにピラミッドかなにか、王の墓があるという話を目にしていた。

この先の大きな町、Chiclayo(チクラヨ)周辺では古代から存在していた文化の採掘物が多く見つかっており、シパン王の墓や遺跡などのなかには多くの金が見つかったそうな。


コロンビアでも黄金博物館なんてものがあったが、南米って金がざっくざくじゃないですかー!

そんな黄金の都シカンと呼ばれるところにちょっと興味が出たので、この先ちょいちょいかいつまんで博物館やら遺跡やらを見てみようと思う。
そのためには少し戻らないといけないのだが、それくらいの寄り道は構わないだろう。


でも、このピラミッドはとりあえずいいかな。うん。

颯爽と通り抜けた。




路肩は石が散らばっていて非常に走りづらい。
かといってチクラヨに近づいているためかこの辺は車が多くなってきており、路上に出ることもままならない。


そんな悪路のなか、ポツンと建っていたガソリンスタンドにトイレを借りにいった。

ガソリンスタンドのトイレというのはあまりきれいじゃないのが普通なのだが、そこはとてもきれいだった。
しかもシャワー付き。
荷物を置くちょっとしたスペースまである。

昨日キャンプしていたらおそらくシャワーを借りていただろう。
むしろここでキャンプしたかったくらいだ。



ところで、この日はほとんど写真を撮っていなくて、唯一撮ったのがここのトイレだったのですが、

・・・・・見たいですか?

本当にこれくらいしか写真がないのですけど、

・・・・・見たいですか?



あ、いいですかそうですか。

では貼らないことにしますが、とにかくつい写真を撮ってしまうほどこのトイレに感動してしまったということです。




とまあ、そうこうしているうちにチクラヨから約10km手前の町、Lambayeque(ランバジェケ)に到着。
今日はここに泊まる。

なぜチクラヨまで走らないかというと、この町にシカン関係の博物館があるそうで、そこを訪れたかったのだ。


2軒ほどホテルを見てみるがかなりいい値段をしている。
奥にはもっとたくさんホテルがあるらしいのだが、この日は疲労でダウン寸前だったのでちょっと欲を出して若干高めのところにチェックインした。


部屋のなかで一休み。

気づくと体中が虫にひどく刺されている。
おそらく昨日の宿で蚊とノミにやられたのだろう。
刺され方からして南京虫だろうか。
ももの付け根と下腹部、足首あたりがボコボコになってしまっていた。

めちゃくちゃかゆい。



夕食から帰ってきてふと目にとまったホテルロビーの周辺地図を見て愕然とした。



予定ではここランバジェケから少し戻ってFerreñafe(フェレニャフェ)という町へいき、そこから北上して黄金を発掘したというBatangrande(バタングランデ)へと進む構想だったのだが、この地図によるとそのルートに道はない。

さっきスルーしたトゥクメからじゃないと行けないことになっている。


どうしたことか。
これはマズいと緊急脳内会議。

さすがに30km以上戻るのは気が引ける。
いったいどうなっているのだろう。


慌ててネットを開く。
道を間違えてしまったのか。


google mapによると、一般道ではない細い道だが一応この近くからフェレニャフェ、そしてバタングランデへと行くルートが確認できた。

ふうよかった。
ひと安心。

ただ、もしこの道が未舗装道路ならかなりキツいことになるだろう。
一抹の不安がよぎった。



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人間不信の再発、Jayanca


 


ペルーでのスペイン語の呼び方

〜〜〜〜〜〜

はい、今回はちょっと長くなりますがお勉強から入りますよー。

スペイン語と言っても各地方で全然違うということをこのブログではいくども書いてきているわけですが、
今回ペルーのスペイン語について話したいと思います。


まずはこれを見よ。

 

                      ↑これ!!
   
          http://www.mucha-suerte.com/spanish/spanish8.htmlより


ホントこれね。
今まで almuerzo アルムエルソ がイコール「昼食セット」だったのに、ペルーでは menú メヌ に変わってしまったのです。

それまででも、たとえばmenu del dia(メヌ・デル・ディア)「今日のメニュー」というセットメニューが書かれた看板があったりしましたが、それでもアルムエルソでも通じていました。

こちらでは本当に日本の「昼飯」と一緒。
セットである必要がないようです。
ペルーでアルムエルソと言ってしまうと単品で出てくることも多いので注意しないといけません。

関係ないですがメキシコではcomida corrida(コミーダコリーダ)と呼ぶところも多いですね。


こんな風に、国が変わればやっぱり言葉が変わってしまい、これまで培った常識が覆されつづけています。
苦労がたえない。


一番ショックだったのは、fugo(フゴ=果物ジュース)frugo(フルーゴ)になったこと!
ずっと変わらないと思っていたfugoが、こんな姿になってしまうなんて・・・

いやfugoでも通じるのですが、「あ、フルーゴね」と毎度言い直されてしまうのです。
おいたわしや。


そして、なんとこちらでは"スペイン語"の呼び方も変わっていました。
その名も castellano(カステジャーノ)

調べてみると、カステジャーノはスペイン語の共用語方言ということらしいですね。
たしかにカタルーニャ地方だと言葉がちょっと違うとか聞いたことあります。テレビで。

つまり中国語でいうところの北京語みたいなものでしょうか。
今はマンダリンと呼ばれているそうですが。

メキシコからずっとみんな
「Español Español エスパニョル エスパニョル」
言っていたのに、ペルーに入った途端
「あなたカステジャーノ語は話せる?」
とかになって、違和感がもうすごいんですけど!



↓そのほかペルースペイン語の詳しい話はこちらにありましたのでどうぞ
http://members.jcom.home.ne.jp/catalinahy/dic_peru_espana.html

ここに「ペルーはゆっくり話す」というようなことが書かれていますが、


めっちゃ速いですからね!

今までで最速!!


しかも濁音があまり濁らずフニャフニャっとした感じで話すので全然聞き取れません。



ということで、ペルーのスペイン語でした。

〜〜〜〜〜〜〜



そんなペルーで、自分はこのとき、言語の壁によりかなりフラストレーションがたまっていた。

話しても通じないうえに勘違いされることもしばしば。


伝えたくても言えない

話を聞きたくてもわからない


そんな行き違いが何度も何人もつづき、苛立たしさがつのってきてしまった。
留学に行ったことのある人や赤ちゃんのころの記憶が強い人は、もしかしたらこの気持ちをわかってくれるかもしれない。
言葉がわからないことに対する憤り。


もう誰とも関わりあいたくない。

自分の人間アレルギーが強くなっていき、さらに人間不信におちいった。




モトゥペを出発。
ここで会った人達にお礼を言おうと少し探しまわったが、この日誰とも会うことができなかった。



いつものように道を走る。

スイカとジュースのみ売っている八百屋で休憩したり、

 

ちょっとした村の公園で休んだりしながら、





Jayanca(ハジャンカ)という村に入った。
植物の種のようなトゲトゲのせいでちょうどタイヤもパンクしたところだったので、今日はここに泊まることにした。


村の入口に小さなサッカーグラウンドがあり、そこでキャンプしようと思ったが、村人が言うには「ここはかなり危険でよくスリや強盗が出るからやめたほうがいい」とのこと。


セントロ(中心部)の広場でキャンプしたらいいのでは、ということをみんなが言うのでそちらへ向かうと、セントロではクリスマス年末シーズンの祭りで盛り上がっている。
出店やビンゴ大会など賑やかだ。


こんなに人がいるところで寝るのは難しいのではないか。

「深夜になれば人はいなくなる」とバイクタクシーの男は言ってくれたが、警察にはやはりここは危険だからやめておくべきだと忠告される。



この村のホテルはどこも30ソル(約1050円)でwi-fiはなし。
ネットができないのに30ソルはちと高い。

そう思ったが、そこまで危険だと言うならと思いきって部屋をとることにした。


そう決断するまで迷うこと3〜4時間。
キャンプかホテルか考えながら街中をウロウロしていた。


その間にものすごくたくさんの人たちに話しかけられ、からまれた。
ほとんどの人は善意で声をかけてくれたのだろうけど、この日はとてもじゃないが人と話す気分になれず、誰一人信じることもできなかった。

全員敵だと思った。

誰とも会いたくなかった。


そんな状態だったので、声をかけてくれた彼らをかなり厳しい対応をして追い払ってしまった。

具体的に言うと、笑顔はなく接し、必要以上の受け答えはせず、さっさと立ち去ろうとする素振りを見せたり実際無視して通りすぎたり。



今考えるとかわいそうなことをしてしまったと思うが、それでもこの感情をどうにかできるほど、自分はやさしくない。



……でも、さっきも話で出たバイクタクシーの男には優しくしてあげればよかった。

意味がわからない単語があって話が通じなくなったとき、そのときは一度別れたのだが、その30分後に
「あれは車を入れて止めておく駐車場のことで、garajeと同じだよ」
とわざわざ教えに戻ってきてくれたのだ。


それもペルーから出始めた単語だったのだが、なんという単語だったのか今は思い出せない。



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クリスマスのプレゼント攻め、Motupe





オルモスのホテルを出発する。
本当はもう一泊したかったが、煩悩に打ち勝った。



そしてここから数日間、幸か不幸かなぜかたくさんの人たちと触れ合うこととなる。



5kmほど先にあるレストランで酔っぱらいたちにからまれた。

レストラン向かいにある警察署の警官だという男にビールを飲めと押しつけられ、それを飲んだり拒否したり去ろうとしたりの攻防を20分ほどつづけたすえ、奥のほうに座っていた人から水のペットボトルを一本を授けられた。

気温の高いところで水をもらえるのは本当に助かる。


すったもんだありながら、笑顔でみんなと別れた。









そこから4時間、走り続ける。
なんの変哲もない道だが、太陽の紫外線と熱のせいで体力が急激に奪われていく。

なにもしていなくても疲れるというのは、体を動かさなくてはいけない者にとって非常につらいところだ。

こちとら背負っているザックでただでさえ消耗が激しいというのに。



少し大きめの村があったので中へ入っていき、店で飲みものを買って休憩する。

その商店で談笑していた村の人達が「食べ物はいらないか」と言ってくれる。
少し前に食べたばかりだったのでそれを断ると、じゃあこれを食べろと言って小さな青いマンゴーを3つくれた。



なぜだかみんなコロンビア並みに良くしてくれるぞ
どうしてこんなに色々くれるんだろう



と考えていたら、
そういえば今日はクリスマスだと気がついた。



この村は静かで居心地がよさそうだったのでここでキャンプしようかと思ったが、「もう少し行くとMotupe(モトゥペ)町があり、ホテルも安い」ということで今日はそこまで走ることにした。


彼らからお土産にマンゴーを3つくれたのだが、さっき食べたマンゴーの中にひとつ固いものがあり、皮をむいている間に右の親指の爪と肉の間が少しはがれてしまった。

ものすごく痛いわけじゃないが、地味ーな痛さがずっと残っている。

オルモスでは自転車修理時に左親指をすこしだけ負傷してしまっていたので、これで両親指にダメージを負ってしまった。




    ↑村のそばにあった看板。モトゥペには「東京」というホテルがあるらしい



20分ほどでモトゥペに到着。





村の中ではどこもビール瓶を片手に友人たちと店や家の前でゆったりしている。
さすがはクリスマスだ。



安宿の情報を聞きまわって探すがどこも休みで閉まっている。
さすがクリスマス。



3つ目でやっと開いているホテルを見つけることができた。
値段は15ソル(約525円)と破格!

ネット環境はないが、この値段ならむしろ泊まるべきだろう。
ここまで安いホテルはあまり出会えない。
これを逃さない手はない。



    ↑こんなホテル。入口と看板が小さくてわかりにくい



    ↑この町は宿がハンパじゃなく多い。奥に小さく「ホテル東京」がみえる


ホテル看板に星☆が書かれているところがある。
値段やランクの指標となるミシュラン的なこのマーク。

値段は、体感的に☆が平均25〜30ソル、☆☆が40〜60ソルといったところだと思う。(2015/12現在)

20ソル以下はかなり安いが、それでwi-fiがある所はそうそうなさそうだ。



この場所を教えてくれた人のところへ行ってみると、そこでまたビールを飲まされてしまった。
ビールはあまり好きではなく、そもそもアルコールに強くないので、ビールを勧められるのは気持ちは嬉しいのだが心から喜べない自分がいる。


飲み方にこの地域のルールがあるようで、ひとつの瓶とコップを飲んでは回し飲んでは回ししながら一杯ずつ順々に飲んでいく。
飲み終えたあとは、なぜかコップについた泡を地面やら別のコップやらに捨てる。


そんな会合に巻き込まれながら、こちらが疲れていることを見抜いたのか黒いジュースとゴロゴロ肉入りエンパナーダをいただいた。


黒いジュースは、名前は忘れたが麦で作られているという。
ということはコロンビアのポニーマルタと同じようなものか。

「これを飲めば元気がつくぞ」とジェスチャーで教えてくれる。
腕をもちあげてモリモリのポーズ
ポニーマルタのときもそう言われたな。


ポニーマルタは正直あまり好きではなかったのだが、これは黒糖の味がしない分あっさりしていて飲みやすい。

これならまだ普通に飲めるかもしれない。
今度探してみようかな。



エンパナーダは砂糖がまぶしてあり生地がサクサクのパイ風で、コロンビアのもとのはこれまたちょっと違う



酔いがまわってきたので帰ろうとすると、みんなが引き止めてくる。
今日はここ店主の誕生日だという。


ケーキにろうそくをつけ、くだんのハッピーバースデーの歌を手拍子とともに皆で歌う。
最後にろうそくを消して終わり。

日本とまったく同じだ。


急いでケーキをカットして渡してくれ、そしてホテルへと返された。






翌日出発する予定だったが、ビールのせいか体がだるいのでもう一泊することにした。
宿代も値段も安いから悪いことはない。



町をブラブラ探索する。


メルカドの近くの食堂で軽く食事をし、お金を払おうとするとお釣りがないと言われる。
会計が2ソルで100ペソ札しか持ち合わせがなかったのでどうしようもなく、とりあえず店内でボーッとしていると、斜め向かいに座っていた黒人の男性が払ってくれた。

非常にありがたい。
お礼をいい握手して退店した。


昨日今日で色々世話になりすぎだな、
と少し反省しながら、コーヒーを飲んだり広場を歩いたりかき氷を食べたりしてのんびりとすごした。


 
    ↑中央広場にこんなデザインの植木があった。サボテンの植木のまわりに本物のサボテンが囲っている


  
    ↑馬の植木も見事



    ↑ペルーで最初に使った銀行とATMはこのbanco de la nacion(バンコ・デ・ラ・ナスィオン)とmultired(ムルティレッド)だった。
スジョ村にあったこの銀行でのドルソル両替はすんなり終わって利率もよく、ムルティレッドのATMは手数料が無料。

ちなみにATMはこちらでは
cajero (automatico)
カヘーロ(・アウトマティコ)
と呼ばれている



   
    ↑これは現在選挙に出馬しているケイコフジモリのこと。
ケイコフジモリは前大統領の日系人アルベルトフジモリの娘で、今のところ一番人気らしい。

この写真のものはプロパガンダというよりここの人達が応援しているのだろう。
他の村でもこのような政治家の名前入りの壁と頭文字をよく見る。



    ↑日本語が書かれていたので撮ってみた。こちらの人からはおそらく中国語と見分けがつかないと思う




一度ホテルへ帰り、休んだり屋上でこっそりオカリナの練習をして充実した時間をすごす。


夕方、なにか食べにホテルを出ようとすると、ここのホテルに住んでいるというロビーにいた医者の男性に気に入られたようで、なんと今日のホテル代を払ってくれた!

家に泊まらせてくれたりしたことは今までに少しあったが、ホテルの代金を払ってくれたのはこれが初めてだったのでびっくりした。

よくわからないが、このホテルの血縁関係者というようなことを言っていたかと思う。



その後はその人と一緒に行動することになった。

食事をごちそうしてくれ、町を歩きながら話す。
が、言葉がわからずほとんどコミュニケーションがとれない。

それでもちょっとしたジョークを交えつつ観光につきあってくれ、最後は友人の警察官の家でビールを例のごとく回し飲み。

酔った医者のフランは、自前の睨み顔をよそに音楽に合わせて陽気に踊る。





こちらも十分酔ったところでホテルへとつきそって帰してくれた。



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クリスマスをすごすのに最適な場所 Olmos






そとの作業音で目を覚まし、テントから這い出る。
ガソリンスタンドの朝。





朝は気温も落ち着いていて気持ちがいい。
この澄んだ空気を吸うために早起きしてもいいくらいなのだけど、やっぱり朝は苦手だ。

この日は眠すぎてその眠気に気づけないくらい眠かった。



オルモスまではあと5kmもなかったので、すぐに着いた。


    ↑オルモス。遠くにみえる茶色い山がきれい


町に着いたらまずは宿さがし。

3軒ほどまわるがどこも一杯か、もしくは高い。
かき氷屋さんに聞いてみると、このへんはあまりホテルがなく値段も高いらしい。

    ↑かき氷屋。実際に聞いたのはこの人ではない



値段が高い。


その言葉にショックを受けながら、ぶらぶらと他のホテルを探す。



別の場所でも満室で、

 あー……これはキャンプかな

そう思って町の出口に向かっていた、そのとき!



扉の前に立っていたものすごく腹の大きな男がこちらへにこやかに声をかけてきた。

「ホテルを探してんの? ここは40ソル(1400円)だよ。高いって? じゃあ30ソル(1050円)でいいよ」

と案内されたのがこちら。



すんごい広い!
そしてシャワーが温水!!!

こんな暑い所で温水なんて初めて聞いた。


窓からはプールのある中庭が見える。





これで30ソルなら安いのではないだろうか。
スタッフの人達もいい感じだし。

残念ながら部屋のなかまでwi-fiが通っていないが、部屋の外30歩先のソファーまで行けば接続することができた。


強盗避けにクリスマスまでこの町に滞在することにしていたので、これはいい休暇になりそうだ。

※クリスマス前はプレゼントを買うために犯罪が増える「お父さんがんばっちゃうぞウィーク」でもあるらしい


このホテルで注意すべき点は、ここで変われているチワワや隣の屋根から入ってくる野良猫たちの糞が廊下におちていたりするので足下をよく見ないといけないくらいか。



さて、荷物も降ろしたところでさっそく町のなかを探索探索。



    ↑クリスマスシーズンだけあり広場は子どもたち用の遊具であふれていた




車のアイスクリーム屋を発見。暑いのでつい買ってしまった




って ちっさ!

ウエハースとかいろいろのってるのは嬉しいけどさ、肝心のアイスが小さすぎやしませんか。

これで2.50ソル(87.5円)か。

うーん、なんだか考えさせられるなぁ。人生とか。




町に着いた次の日、起きたのは夕方の5時だった。
知らない間にそれだけ疲れがたまっていたということだ。

そしてテント泊はどうしても寝不足になってしまうのがロングスリーパーの自分にとって辛いところ。
早く起きないと住民や仕事の邪魔になるし、自転車や荷物を盗まれたら大変だからどうしても睡眠時間が減ってしまう。




自転車がパンクしていたので修理する。
2ヶ所あいていて、ひとつは小さな穴だったので気がつかず、2度もひっくりかえさないといけなかった。


    ↑ディスクブレーキが削れてきれいな波紋になっている。これで左親指をかるく削ってしまった。痛い




別の日。

ホテルの近くにおいしくて安めのレストランがあることを知る。
それまでは広場近くの夜天食堂で食べていた。
それはそれでおいしかったし安かったのでいいのだけど、量が少なかった。



    ↑こんなについていて6ソル(210円)。エクアドルに比べると高いけど、飲み物はコップ3杯分もある


ここがそのレストラン↓



ピウラ〜チクラヨまで繋がっている主道路沿いにある。




↑この写真には写っていないが、このすぐみぎ側にそのレストランがある。
奥の hospedaje と書かれた黒い看板があるところが泊まっているホテル。



食べ物と言えば、ペルーはケーキのレベルが高いと思う。

まだピウラとここでしか食べていないが、そのどちらもすごくおいしかった。
日本のものとそこまで変わらないのではないかと思えるほど。


    ↑ここで食べたケーキ。クリスマスイブとその前夜に食べた


特にピウラのスーパーで売っていたイチゴジャムのショートケーキは格別で、甘過ぎないちょうどいい砂糖加減の生クリームは飽きがきにくく、フワフワでボリューミィなスポンジケーキの口当たりは良好。
食べごたえがあるのに値段は約3.50ペソ(122円)とお手頃だった。


たまたま当たりを引き続けているだけかもしれないので、また今度他の町でも食べてみるつもりだ。



無駄遣いなんじゃないかって?

大丈夫。
これらのケーキはその日の夕食として食べているのでむしろ安上がりだ。
レストランで食べると5〜7ソルはするからね。




お菓子関連で言うと、
ここのスーパーで売っていたプリングルスのバーベキュー味は他の町で見るよりかなり安かったので、つい何度も買って食べてしまった。

これがすんごいおいしいの!


これは完全に無駄遣いです。


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砂漠からオアシスへ向けて、Olmosへ





昨日入ったレストランで朝食をとり、そこでおっさんたちがやっていたトランプを見学。

金が行ったり来たりするテーブルを眺めながら、腹が落ち着くまでのんびりすごした。


ペルーのコーヒーの出方はちょっと変わっている。

まずマグカップでお湯だけ出てくる。
これは地域や国によってたまに見る光景。

そこからインスタントコーヒーが出てくるのが定番なのだが、ペルーはひと味ちがう。



なんか黒い液体がでてくるのだ!

これをさきほどの湯にまぜて砂糖を入れてできあがり。
値段は、屋台や安いところだと1ソル(35円くらい)、レストランだと2ソルくらいのようだ。



9時ごろに重い腰をあげ、砂漠へとくりだした。






ものすごい坂が目の前に現れた。

距離は短く1kmほどしかない。
頂上が下からでも見える。


しかし久しぶりの急坂を登る気が起きず、ふもとにあった店で飲み物休憩。
嫌なことはあと回し!

だがしかし、結局このあと登らないといけないのでこの行動はまったくの無意味だ。


    ↑店には子どもの鳥たちが大量に固まっていた。犬やネコがウトウトしていた。動物がたくさん




    ↑工事の人たちに挨拶しながら登りました。思ってたほどしんどくなかった



    ↑登ったさきでは地平線が丸見え。遠くまで砂と枯れ草がつづいていく


登ったらおりる。
それが輪廻。
世界の理。


登った距離よりもなぜか長いくだり道の前で立ちつくした。

だからブレーキが利かないんだってば!


車がいないときを見計らって道路の中央を陣取り、なけなしのブレーキでスピードをおさえつつ駆け下りた。
駆け下りたというより、駆け落ちた。




嬉しいことに無人ゾーンは昨日までだったらしく、ここから村がぞくぞくと現れるので食料や水に困ることはなかった。




小さい村が出てくるたびに休憩してしまう自分。
ちょっとしたタイムロスを積み重ねていく。



    ↑村の家屋は柵が木の枝でできていたりちょっとネイティブ感あふれている



    ↑緑がちょっとずつ増えてくる



    ↑隙を見て家のなかに入る泥棒鳥。家のなかの虫を捕っているらしい



足が疲れてきたが、できれば今日中にここの県の県庁だというOlmos(オルモス)まで着きたい。

今日こそシャワーを浴びてベッドで寝たい!


疲れを振り切り、コンスタントに走りつづける。



    ↑目の前で突然出現したつむじ風


    ↑砂を巻くうずうずが横切っていく



    ↑畑が見えた。オルモスが近いのかもしれない



ひたすらまっすぐな道を走っていると、すぐ横の草地から緑鮮やかな数十の小鳥がバタバタっと木の枝に飛び立った。

視界に一瞬緑の波がうつる。



その一瞬は、ムービーに残しておきたかったほど美しい光景だった。



辺りは水にあふれてくる。
川や池、水田のような畑も見られる。

オルモスは一種のオアシスのようなところなのかもしれない。



ある村ではあと2時間でオルモスにつくと言われ、
2時間後に立ちよった店ではあと20分でオルモスにつくと言われ、
20分後に辿りついたガソリンスタンドではあと5kmでオルモスにつくと言われる。


もうフラフラだ。
疲れた。
もうすこしだけどもう日が暮れるし、今日はここまででいいや。

ガソリンスタンドの店員に許可をもらい、テントを張らせてもらった。



そこには水道があったので体に水をかけ、濡らしたタオルで体中を拭く。
3日間着つづけた服類をこっそり洗った。

すっきりさっぱり。

このへんは危険はないとガソリンスタンドのおじさんは言ってるし、安心して眠りについた。



深夜に目が覚める。
体中がかゆく、いたるところが小さく腫れている。

テントの扉を開けっ放しにしていたので、どうやらノミかダニかなにかが入り込んだようだ。

そこで蚊取り線香攻めを決行。
テントを密閉しあちこちを線香の煙であぶりまわす。

眠い目にこの充満する煙はつらく、涙を目にためながら目に見えぬ虫と対峙しあぶり殺していったのだった。


・・・眠い。


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2年ぶりの無人ロード、Virrey





朝7時すぎに起き、8時ごろに家主にお礼を言ってそこから抜け出した。


昨日の情報ではここから9km先に町があるということなので、今日はそこで泊まろうかと考えていた。

さきに進むと料金所があり、そこには15km先にも町があると書かれている。

    ↑Huancabamba(ウアンカバンバ)まで15kmと書かれている。頭に書かれているDV.という文字が気になるが、まあそんなに意味は変わらないだろう


9kmなのですぐに町に着いた。

小さなところだが露店での食堂や魚売り、レストランとカフェが並び賑わっている。

レストランで簡単な朝食を食べ、ホテルを探す。


    ↑簡単な朝食。コーヒーとハムのみはさんだサンドイッチ2個で2ソル(約70円)



人に尋ねると、ホテルはすぐに見つかった。
おそらくここにひとつしかないのだろう。

値段はテレビ付きで25ソル(875円)、なしで20ソル(700円)だがどちらもトイレバスつき。

個室でバスルームがあってこの値段は安いほうだが、しかし部屋はあまりよくないように見える。

壁には隙間があり外へ通じる穴が空いているし、扇風機はない。
床にはカラカラに乾燥して転がったゴキブリが一匹。


もしかしたらさっき看板で見た町へ行ったほうがいいホテルがあるのではないか。

あと15kmならもうすぐ着くだろう。


そう思いホテルを出た。
が、人生そううまくはいかないものだ。



    ↑朝食が足りなかったのでその後に出てきたレストランで食べた醤油味のレバー。久しぶりに日本風の醤油を堪能。おいしかった


途中バスの影でマンゴーを食べている団体と遭遇。

マンゴーを食べたくなったのでどこでそれを買ったのか聞いてみたところ、その場でひとつくれた。

そしておみやげに小ぶりのマンゴーを6個ほど。


太っ腹!


ありがたく受けとる。
入れるところがなく自転車のかばんを開けっ放しにして詰んでおく。
砂や虫が入ってきそうだが、こうするしか方法がない。


しばらく走って15km先の地点。
そこは今日スタートした場所よりももっと小さい村だった。


想像と…違う……?

ここにつく少し前に会った、目の前で突然止まり一緒に写真を撮ってくれるよう頼まれたバイク乗り2人(一瞬強盗かと思ってあせった)に話を聞くと、
ここを左に曲がって80km進むとウアンカバンバに着くと言う。

つまりあの看板は
「ウアンカバンバの曲がり角まで15km」
ということだったのだ。

町の名前の手前になにか2文字ついている DV. はおそらく英語のdivided(分かれた)のスペイン語読みだろう。

英語とスペイン語は似ている部分も多々あるので、似ている英語にあてはめるとスペイン語の意味がおのずと見えてくる場合がある。



そうか・・・

期待していたぶんガッカリ。

「この先はしばらく家がなくなるから水を十分持ってここで休んでから行ったほうがいいよ」

とバイクの人。


警察署でトイレを借り、警官にこの先のことを聞いてみる。

ビレイという町があるが、かなり遠いらしい。

大きな町は車で2時間くらい、次の村までは車で1時間ほどかかるという。

1時間ということは60km~80kmくらいだろうか。

今日中に着くのは無理そうだ。


今日もタイヤがパンクしていて、警察署の影で修理に明け暮れる。
今回は後輪がパンク。

今度はトゲではなく針金が何本もタイヤに刺さっていた。

それをピンセットで抜くのに時間がかかり、修理が終わるまでにかなりの時間を要した。

そんなことをチマチマやっていると、パトカーに乗ってきた警官の一人がクッキーを6袋ほどどっさりくれた。


太っ腹!!

ちなみに昨日の夕食はこのお菓子が一袋だったので、これだけで昨日の6食分ある計算。


 
    ↑同じ人にセバーダもいただく(写真右)。左上はバスの人からもらったマンゴー

水を少し買い足し、無人の道へと出発。


言われていた通り、
本当になにもない。


時々1~2軒家を見かけるが、滅多にない。

こんなになにもないのはカナダ中部以来だ。


カナダではクマが出そうだったが、ここではライオンが出そうな景色が流れていく。

それより強盗が出るんじゃないかと怯えながらペダルを必死にこいだ。


    ↑奥に行くほど起伏が多くなり、地平線しか見えなかった地上にやっとごつごつした山が現れた。あそこが砂漠のはじっことなりえるのだろうか


    ↑ものっそい緑の木を発見。"ドリアードの木"と勝手に命名

もうすぐ日が暮れる。

まわりに散らばるゴミの状況からもうすぐ町がありそうだと予想するが、一向に見えない。

次に家を見かけたら思いきってキャンプさせてもらうよう頼んでみよう。

長い時間走り、大きな敷地内に住所の看板と家がやっと見えたので、門の前に立った。

奥に人影が見える。

が、小さい。

呼ぼうとした矢先、相手はこちらに気づかずに去ってしまった。

少しの間そこで立ちすくんでいると、後ろからきたバイクが「もっと向こう」というジェスチャーをする。

どういうことだろうと思いながらもう少し先へ進み、坂を登りきったところで





町が見えた。


よかった。

助かった。




ここが警察が話していたVirrey(ビレイ)だというとは明白だ。
看板に書いてあったから。

とりあえず寝床はあとでいい。
レストランで食事を頼む。

以前にも食べたがプレというクリームのような料理がとてもおいしかった。


    ↑こちらは前にも載せたラスロマスで食べたプレ。ニンニクの香りがしてしっとりおいしい

※追記:本当はこれ、aji de gallina アヒデガジーナという名前だそうです。地域によって違うのかな?


中央の公園に行き、そこでなにかの準備をしているおじさんにキャンプ場所を聞いてみると、
「localと呼ばれる広場だったらいいんじゃないか」と言う。



…localってなに?

おじさんについていってみると、教会の隣に壁と扉があり、その向こうはものすごく広いスペースがあった。

ステージがあるのでおそらくイベント用の場所が local ローカルという意味なのだろう。
当たってるかな?


こんなところで一人キャンプできるなんてなんて贅沢な。


屋根のあるところにテントを張らせてもらい、疲れていたようですぐに寝てしまった。



ここがどのくらい広いかというと、



このくらい。
これを独り占め!


    ↑案内してくれたおじさんがいた中央の公園



夜に目が覚める。

壁の外から音楽が聞こえてくる。

鉄のドアを開けてそちらへ目を向けると、さきほどの公園で祭りをしているようだった。

村の人や子どもたちが衣装を着て踊っていた。


それをしばらく眺め、そしてまた眠りについた。


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クリスチャンたちの町





ピウラに滞在して一週間以上がたち、ようやく出発する決心がついた。



おそらくこれから村が少なくなるはずなので、水を確保しなくてはならない。


久しぶりにこの4リットルウォーターホルダーを使った。
実にカナダぶりだ。

メキシコから南は町が密集しているので、水などという重いものをわざわざ大量に持たなくても生活できてしまう。

日本を出るときはそんなこととはつゆ知らず、この巨大な入れ物を4つも用意してきてしまった。

まあそのときは歩きで進むつもりだったので、アラスカやカナダ北部を通る場合はそれくらいは必要だったかもしれないが。



ホテルを出ていくというときに、オーナーさんからなぜかカレンダーをもらった。

しかも大小合わせて4つも。



気持ちは嬉しいけど、なぜカレンダーなのか。

よく見てみると、それにはこのホテルの名前「リチャードホテル」が堂々と書かれていたので、おそらく自分で作ったのだろう。

つまりオリジナル商品をプレゼントしてくれたのだ。
そんなノベルティグッズを丸めて自転車のかばんに入れ、ありがたく頂戴した。



出発はいつも通り遅刻し、午後12時半。

ホテルを出て町はずれで昼食を食べ、以前来た道を戻りだしたときには1時になっていた。



    ↑この道を行くと近いのだが、強盗が頻出して危険らしいので遠回りしていく


ゆるやかな上り坂をゆき、2時間後には前に会ったジュース売りと再開。

輪切りパインとジュースを購入し、それを食べながらまたここで休憩する。




    ↑タンボグランデは前に行った町


    ↑息子と一緒に頑張って働いていた


ここでまた寝泊まりしようかとも思ったが、ジュース売りは

「この先には家もいっぱい並んでいるし心配することない」


と言っていたのでそれを信じ、まだ先へ進むことにした。

たしかに一定の間隔幅で家が並んでいて、どこでも安全にキャンプさせてもらえそうだ。



    ↑奥に町が見える。砂が舞い見え方がうっすらすぎて蜃気楼を疑った



さらに20kmほど進んで村に到着。

小さな商店で飲み物を買う。

店員さんの話では、ここからはピウラかどこかからの距離が住所になっているらしく、現在41km地点だそうだ。

そしてあと9km行けば町があり、ホテルもレストランもあるらしい。



    ↑商店のとなりにはこんな看板が立っていた。Forestales(フォレスタレス)がこの村の名前だろうか



それじゃあもう一踏んばり行こうかと思った矢先、前輪がパンクしていることに気づいた。

前輪がつぶれるとは珍しい。

しぶしぶ店の前でパンク修理開始。

面倒くさい。

タイヤを見てみると無数のトゲが刺さっている。

黄色い色をしているので、犯人はおそらくトゲトゲの植物だろう。



    ↑こんなの。これはまだ小さいほうで、もっと大きいのも刺さっていた


それがとてもきれいなトゲ型をしており、見事な三角錐なのだ。

ロックマンに出てくる当たると一撃でやられる障害物のような形をしているそのトゲが、タイヤにたくさん刺さっている。

これは今後気をつけねばなるまい。

そう考えながら、結局チューブに穴をあけた真犯人はいつもの針金だったのだが。

とにかく! この道はこういうゴミがたくさん路面に散らばっているということがわかったので、この先注意しよう。



どうやって注意するのか。

それはわかりません。





修理が終わったときには夕方6時をすぎていた。

さすがにこれから出発するには遅すぎる。

今日はこの小さな村に泊まることにした。

さきほどサッカー場を見つけたのでそこでテントを張ろうかと思っていたのだが、目の前に教会があったので急遽予定変更。
そこで泊まらせてくれるか聞くことにする。

教会の周辺をうろついていると隣人夫婦がやってきて、

「ここの神父は後1時間くらいでピウラから帰ってくるからここで待つといいよ」

と優しく教えてくれ、にこやかに話をしながらここで座ってなさいと指示してくれた。



待つこと30分。

今度は教会に用事があるらしい男が話しかけてくれ、神父を待つのに付き合ってくれる。

彼と話をしていると、次はさっきと逆側の隣人がこちらへ来て、その人の家にテントを張らせてもらえることになった。

みんなやさしい。

彼らの話によると、ここは敬虔なキリスト教徒たちがすんでいるらしい。

だから窃盗もなく安全だという。

村人はみな穏やかな雰囲気を醸し出していた。

隣人の敷地へ入れてもらい、まずは急いでトイレを貸してもらう。

腹の調子が悪かったのだ。

そのトイレというのが、放牧をしているものすごく広い庭の真ん中にある。
その砂地にかなり深目の穴があいており、そこで用を足すものだった。

使用方法は和式便所のようなものだが、まわりには壁がない。

開け放たれた空間。

ありがたいことにこのときはあたりが真っ暗だったので、砂漠の真ん中で遠慮なくズボンを降ろす。

まだ熱気の残る渇いた風が火照った下半身をなで、とても開放的で気持ちがいい。


わあ、こんなのはじめて。

くせになりそう。

終わったら穴の中に砂を蹴飛ばして入れて終了。

外で用を足すというと汚いイメージがあるが、これなら衛生的かもしれない。



屋根のある場所にテントを張らせてもらったあと、さっきの教会でミサをやっているから来ないかと誘いを受ける。

自分はクリスチャンではないが、せっかくなので途中参加することになった。

教会では神父が説教をしているところだった。

熱心な教徒たちはそれぞれ各自のタイミングで
「Amen! Gloria Dios!!」
と大声で叫び、拍手をして盛り上がっている。

ミサが終わると全員で握手をしあい、それから神父と軽く話をすることになった。

彼はこちらの頭上に手を掲げ、神に祈ってこの旅を祝福してくれた。

それを見るまわりの人たちも両手を掲げて目をつむって祈る。

彼らの優しさを感じながら、

ああ、もう少しいい子にしてなきゃな、と思った。

そんな、日本では滅多にないちょっと不思議な体験をしたのでした。





    ↑泊めてもらったところで飼われていたうさぎ。4匹くらいいた


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