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泊めてくれた家族と別れ、山中の激しい傾斜のなか、自転車を押してすすんでゆく。
途中でちいさな商店が一軒、レストランが一軒あるのを見つけ両方とも入ろうかと思ったが、ちょうど観光バスがきて混みはじめたり店の人が出ていったりと間が悪く、面倒に感じてどちらも通りすぎてしまった。
このあたりになると店は極端に少ないので、今後のために入っておいたほうがよかった。
考えがあまかった。
これは大きな過失だ。反省するべき。
休憩中、ガソリンスタンドの店でサービスしてもらったマンゴーとブドウを草むらで食べていると、今日まで泊めてくれた家族の一人がたまたまバイクで通りかかった。
彼は少し離れた所に住んでいるようで夕方にしか顔を出さない人だったので、今日は顔を見ていなかった。
はつらつとした性格をしており昨日はバナナをくれた男性だ。
↑この人
「もう行くのか」と驚いていたが、こちらも驚いた。
もう会えないだろうと思っていたら、まさかこんなところで会うなんて。
少し立ち話をしたあとに
「気をつけていけよ」
と握手をして、バイクで去る男性。
手を振りながらコーナリング。
って、危ないよ!
それからが大変だった。
とにかくのぼり坂がひたすら続き、そして霧の中。
霧雨まで降ってきたのだ。
霧でよく見えないが、道はクネクネと左右を行ったり来たりしているようだ。
うなぎの串焼きのようにそのクネクネの真ん中を貫くかたちでショートカットの階段が何度も現れる。
この階段を使えば回り道せずにまっすぐ登れるのだが、自転車と一緒じゃ通れそうにない。
うらめしそうになんども横目で階段を見上げては長い道路をひたすら歩く。
家が3軒ほど建っている広い敷地内で雨宿りさせてもらいながら、お腹がすいたのでククリ村の人たちからもらったクラッカーを食べる。
運良く家があってよかったが、ここ以外はほとんど家はなく、あっても柵が閉まっていて中に入れないようになっていた。
服が濡れて寒い。
さすがに標高も高くなってきているようだ。
とりあえずザックカバーをかけて荷物だけでも濡れるのを防ぐ。
そして霧が薄くなったところを見計らってまた路上へ。
変に曲げた状態で固定しているためグリップを握る手首が痛みはじめている。
ザックが重たい。
そして体が濡れて寒い。
景色も見えずになんにもない無人地帯を歩くのはかなりつらかった。
ただ、体自体はそこまで疲れていないのが救いだった。
晴れていたらもう少し元気だっただろう。
つらいのは濡れによる体温低下と重量アップ、先の見えない不安、そして空腹。
そろそろ諦めてどこかにテントでも張ろうか、
そう思いながら往生際わるく前へ上へとすすんでいると、トラックが路肩で止まっており積み荷をなおしているところを発見。
つぎの町までどのくらいか聞いてみる。
すると、意外な答えが返ってきた。
なんと、ここのUターンを越えたらすぐに町があるというのだ。
だしぬけに舞いおりる福音。
一気に明るくなる未来。
200mほどいくと、霧の向こうから売り物小屋の影が見えた。
飲み物やお菓子などを売っているそこの主人に引き止められる。
彼は酔っているようで、こちらに質問をぶつけたりビールを勧めたりしながら大声で笑っている。
町がすぐそこに見えるので早く行きたかったのだがさすがに振り切ってしまうのもかわいそうなので、彼の言うことに一々うんうんとうなずきながらさりげに質問を投げかけてみた。
レストランはこの町にあるか尋ねると、2軒あるという。
ホテルはどうか聞くと、やっぱりあるという。
よかった、これで食事もできるし濡れた服を乾かすこともできる。
酔っぱらいの主人をなんとかおさめてから左折して道を逸れ、Llama(ジャマ)に入る。
レストランが2軒あったのでとりあえず右の店へ。
そこのおばあさんがなかなかユニークな人で、スペイン語のジョークを言って和ませてくれる。
今日はこの町に泊まることを話すと、食後にこの村唯一のホテルまで案内してくれた。
立派な看板がつけられたそのホテルで料金を支払う。
その値段、なんと10ソル(370円)と激安!
安さはこの旅で一位タイだ。
共同トイレはきたなかったりトイレットペーパーがなかったり古かったり値段相応だったが、部屋が広めで満足。
このホテルはちょっと変わった造りをしており、おそらく読者のみなさんが今想像しているホテルの形とは違っているだろう。
ここは横長のアパートを四角くくっつけたような形になっている。
□ ←こういう状態。
空いた真ん中は広いスペースがあり、上を見上げると空と山が、地面には洗濯場のような石の台が並んでいるのが見える。
ホテルの部屋は2階にあり、下の階は小さな商店や事務所になっているようだ。
もしかしたらイベントホールとして作られた場所なのかもしれない。
夜は下の階の門を閉めるから安全だということで、自転車はその囲われた広場のすみっこに置かせてもらった。
この時期、ここは雲によく包まれるようで、基本的に深い霧がかかっている。
そして雨が降り続ける。
その天気につられてか村人たちの多くも愛想がよくなく、村の雰囲気は霧に沈んでしまったかのように静かでもの悲しげだった。
「山のほうは危険なヘビが出るから自然のなかでキャンプしちゃダメだよ」
という助言とともにククリ村を出て、まず真っ先に遭遇した出来事がこちら。
小川が氾濫している。
サラサラゆきすぎた結果。
完全に道路を封鎖していて迂回もできないので、渋々水の中へ突っ込んだ。
下に苔がはえているようですべりやすい。
一度足をとられて転けそうになったが踏ん張ってこらえる。
ここで転けたら大惨事だ。
なんとか渡りきったがそれでも靴のなかはぐっちょぐちょ。
とくに左の靴の裏はゴムがけずれてクッション部分が露出しているので、そこから水がしみ込んでとても冷たい。
が、どうにもできないので気にせずそのまま進むことにする。
ひきつづき原始時代な景色を走る。
煙がたなびいているところもとても原始チックだ。
このあたりから山道になってきて、くだりが激しくなっていく。
山を登るはずなのになぜくだりなのか疑問に思いながらも、脇を走る崖下の景色に見とれながら進んでいった。
↑こんなところを通ることになるのか…。少し気が重い
↑道を作るために切り崩した山の断面は石だらけ
↑なんがーい道をクネクネと走る
レストランがあったのでスープだけ注文する。
セットだと高かったからだ。
昨日のキャンプのせいか、この日はものすごく眠い。
食後にウトウトして眠りそうになっていたら、店の人が休んでいきなと言ってくれた。
しかし今日はもっと先へ行きたかったので、ここは我慢して申し出を断り、店を出ることにした。
その先にあった分かれ道。
右の道は小さかったのでおそらく左の大きな道だろうと予想し、そっちへ進んだ。
が、これが大失敗。
実は右の道が正解で、近道であり大きな町も途中にあったのだった。
一応事前に地図で調べていたのだがこのときはそのことを覚えていなかった。
現在地もあやふやな状態だったのでしょうがないといえばしょうがない。
間違えた道は険しく、のぼりがひたすらずっとつづいていく。
村はいっさいなく、道だけがのびている。
昨日もらったクラッカーやフルーツを途中で食べながら元気をつける。
↑しかし景色はよい。さすが山の中
↑奥の雲に隠れている山のてっぺんがものすごく高いところにある。なんかすごい所に来てしまったな
昼下がり、こんなところに人が一人で歩いている。
これは近くに村があるのかもしれない。
まわりに落ちているゴミの種類や量からもそう推測できる。
道は谷から逸れグルッと山の半径を回る。
そこで小さな集落に到着。
レストランが一軒あったので食事をもらう。
ちょっとばかり高いが、ここはしょうがない。
そこの人に話を聞くと、この先20分ほどで次の村がまたあるという。
それを信じ、もうちょっと歩くことにした。
彼女の言う通り、20分で次のMaychil(マイチル)という村に入ることができた。
ここまで正確な話、というか、自分にぴったりの情報が手に入るのは珍しい。
いつもなら自転車で30分と言われても2時間くらいは進まなくてはならないのだ。
家のまえで座っていたおじいさんに村のなかでキャンプできるか聞いてみると、通りすがりのおばさんが何か言ってくる。
「向こうになにかの家があるからそっちのほうがいいんじゃないか」
というようなことらしいが、ほとんど聞き取れない。
とりあえず言われた通りそちらへ行ってみることにした。
もっと奥、もっと奥
と村から離れてしまったが、いいのだろうか。
すぐにIzco(イスコ)という地域に入るが、ほとんど家はない。
その崖の上にガソリンスタンドが建っていた。
おばさんが言っていたのはここのことだったのだろうか。
話しかけてみるが、話がまったく通じない。
ジェスチャーもうまく機能していないみたいだ。
「キャンプ」というスペイン語自体を知らないようだが、それをもっと遠回しに言う方法を自分は知らない。
するとなぜか隣の家に案内され、そこで空き家の修理をしている男がこちらの状況を察してくれたようでテントを張らせてもらうことができたのだった。
↑トタン屋根を張っている最中
↑テントを張らせてもらった
仮設のシャワールームもあり、体も洗うことができた。
何か変な臭いがすると思ったら、はいていた靴がものすごく臭い。
そういえば朝に濡れたんだった。
これ、乾かさなきゃいけないな・・・・・
翌日、家の家族に「今日も泊まって」と頼まれ、もう一泊することになった。
洗濯物も乾かしたいし、ちょうどいいや。
ありがたく泊まらせてもらおう。
昼寝をしたり子どもたちと遊んだり高校生くらいの男子学生たちと話をしたり、空き家修理の仕事をほんのちょっとだけ手伝ったり。
そんな風にしてすごした。
ご飯は3食作って食べさせてくれる。
鶏の料理を出すときにはそこで飼っている鶏を捕まえ、屠殺して出してくれる。
なるほどこういう風にして暮らしているのか。
現地の人の暮らしを見ることができて、貴重な体験だった。
さっき首をナイフでゴリゴリ切られていた鶏は、少し固かったけどおいしかったです。
↑粘土のようなものでいろんな動物を作ってあげたら喜んでくれた
↑左の人が最初に泊めてくれると言ってくれた人。右の子もこちらの意図をよく汲み取ってくれ、スペイン語の発音もきれいで聞き取りやすい
↑クイ売りが来た
↑話しているのを横で聞いていたが、そんなに高くなさそう
坂を降りて村へ行ってみると、変なばあさんがこちらを呼び「自転車と金はどこにある?」と猫なで声で何度も聞いてきた。
しつこいのでカメラを取り出しムービーを撮ると、その態度はコロッと変わり、天を指差しながら何かブツブツ言っている。
泊めてもらっている人たちからは「ここは盗む人もいないし安全だ」と言われていたのにこれか。
自分の荷物が心配になり戻りこのことを話すと、「ここにそんなことする人はいない」と信じてくれなかった。
不信感も感じて警戒する自分。
それでも好意的に接してくれる彼らとはうまく付き合えたと思う。
とりあえず今はCajamarca(カハマルカ)を目指していることを伝えると、2月の初めに祭りがあるそうで、その流れで「もう一週間ここにいてよ」と言われる。
彼らのことだからきっと食事は用意してくれる。
こちらの面倒を見てくれるので、お金はほとんど使わなくてすむだろう。
現に今日はほぼ使うことはなかった。
自分はここで子どもたちと遊んだり、英語や(一生のうちで使うことはないであろう)日本語を教えたり、オカリナを吹いて聞かせたり、修理仕事を手伝ったりするだけでいいのだ。
居場所がここにある。
迷ったが、やっぱり次の日に出発することにした。
ここにいるのもいいが、先へ進まなくては。
ペルーの滞在日数は183日もあるとはいえ、この調子ではさすがにタイムリミットが来てしまう。
次の日、テントを片付けて荷物をすべてしまいこむ。
みんな悲しそうな目をしていた。
仲良くなった高校生の男の子と母親は彼らの父親のところへご飯を食べにいったらしく不在。
「あと1時間待ってて」
と言われたが、もう昼になるので出発することにした。
ここにいるみんなに握手する。
おばあちゃんは泣きながら見送りをしてくれた。