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村人たちにまたお世話になってしまう Cuculi


トゥマンの町から出てもあいかわらず田んぼや畑が続く。

ブドウ畑まであったのには驚いた。





まだ山に入ってはいないようで依然として平地がつづく。


    ↑田んぼで田植えをする人たち



申し訳程度にしか効かないブレーキを駆使していたら、またまたまたまたブレーキワイヤーが切れた。

これで何度目だよ!おい!

ひどい・・・



しかし大丈夫。

ピウラでワイヤーが切れたときに、ついでに予備のものを2つ買っておいたのだ。

その先にあったガソリンスタンドに自転車を止め、初めて自分だけでのブレーキ修理。


    ↑ここが切れた



    ↑ほら、この通り


思いのほかちゃんとできたので嬉しくなりながら自転車の荷台に荷物を載せていくと、

なんと今度はタイヤがパンクしているではないか!


    ↑ひえ〜、ぺったんこ


もっと早く言ってくれ。

ちょうど全部荷物載せちゃったところじゃないか。

もう一度荷を降ろしてパンクを修理。

本当にもう。

しょうがないやつだ。



その先も、畑の茶色と奥の深緑のコントラストが素晴らしい。

奥だけ見ると原始時代のようだ。



    ↑奥の原始感、わかりますか?



    ↑アースカラーが色鮮やかに出てる


    ↑なぜかスプーンの絵が描かれた岩盤



川の横を通っていく。

ダムがあったので休憩がてらに見学する。


    ↑すんごい勢い


    ↑泳いでるけど、危なくないのかな


釣りをしている人が何人かいて、本当に釣れるのか見ていると、なんとすぐに釣りあげてしまった。

    ↑糸と針と固形のエサだけでスイスイっと釣り上げる

自分もエクアドルで釣り竿を買ったので釣りができるようになったのだが、今はそんな気がしないのでパス。

まだ知らぬ先の村を目指す。

周りは自然だらけだが、店や食堂がある規模の村は見つかるのだろうか。



夕方が近くなってきた頃、Cuculi(ククリ)という村に入る。

大きいところはないが、今日通りすぎた村のなかでは一番大きい。



キャンプ場所を探していると、ここの村人たちに囲まれる。

「ここは食堂がないから飯を分けてあげるよ」

と言う村人たち。



そのうちの一人の家に自転車と荷物を預かってもらい、バイクタクシーに乗ってみんなで広場へ。

そこでバレーとサッカーのプレイを見たり犬をなでまわしたりして楽しんだ。



ここは血を吸う小さい羽虫が飛んでおり苦しめられた。

こっちの人は平気なのかと思っていたが、みんなパチンパチンと体を叩いている。

やっぱり彼らもガンガン吸われてんのね。



自転車と荷物を返してもらったあと、別の人の家でスープとパンをごちそうになる。

こんなことを言っては悪いかもしれないが見るからにお金がないような家の中だった。

やせ細った犬が敷かれた毛布の上で死んだように倒れている。

なんだか食事をもらうのが申し訳なくなってくるが、せっかく食事をもらったんだから十分味わっていただこう。

彼の気持ちを無下にするわけにはいかない。



とてもおいしいスープを飲みおわり少しゆっくりしていると、今度は別の人が家へと招待してくれた。

さきほどバイクを運転してくれた人だ。

恩義も感じておりここにもう少しいたかったのだが、スープをくれた彼が行けと言うのでバイクタクシーを自転車で追う形で別の家へ移動。



そこでもまた食事をごちそうになってしまった。

そしてスポーツドリンクやクラッカー、グアバというフルーツを取ってきてくれる。



このグアバ、チクラヨのときにも写真を載せたが巨大な空豆のような形をしている。

中に入っている小さな白い実を食べるのだが、ほんのり甘くてかなり青臭い。

すまないがあまり好きじゃないですこれ。。。



    ↑これ。木にぶら下がっている

そこの家族たちと写真を見せたり話をしているうちに夜もふけた。

彼らの家の前にテントを張らせてもらえることになった。

本当は家のソファに寝てもいいと言われたのだが、家の中がかなり暑かったので断ってしまった。



次の日はみんな無言。

昨日はおしゃべりできたが、今は言葉が通じず話すこともないのかもしれない。

それとも早く出発してほしいと思っているのだろうか。

グアバやクラッカーをさらにもらい、自転車をこぎだす。



今思えば、彼らは自分がいなくなることを悲しんでくれていたのかもしれないかった。

もう2度と会えないのだから。


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はげ山の午後一 Tuman




チクラヨのホテルスタッフとは少しずつ仲良くなっていったので、もうちょっとここに泊まっていたかった。

しかしそうも言っていられない。

旅行者には観光ビザの期限と資金という2つの制限が設けられているのだ。

この日初めて見たスタッフに「あなたの自転車はないわ」などと言われて、
まさか盗まれたのか! ドキッとしながら、いつもの女性スタッフに自転車の場所へと案内される、なんていうアクシデントがありつつ、ホテルを出ていく。

一応ネットでこの先の道を調べていたのだが、これがとてもわかりにくい。

地図を見てみるがチクラヨはすこしばかり入り組んでいて現在地を見つけるのも一苦労だ。

おかげで道を間違え、スラムのなか砂利道を通るはめになってしまったが、目的の道路まで出ることに成功。

念のため酒場のおっさんに道を聞いてみると、どうやらあっているらしい。

これから先、アンデスの山の中に再び入っていく。

ペルーはあまりネット環境がないようだったので、ここからはさらに手に入らなくなっていくかもしれない。

広い畑のなかを自転車で爽快に走る。

奥には、白茶けた亜麻色の地肌をあらわにした背の低い山がのびている。

なにかが燃えるきな臭いがどこかから流れてくる。

刈った雑草を焼いているのか。



    ↑この山肌の模様が実にきれい



    ↑目の前にもはげ山が。


ここでちょっとはげ山について調べたんだけどさ、
ここ → wikipediaはげ山
これに書いてある小見出し

「山頂はハゲやすい」

に少しビクっとしたよね。


…いや自分ハゲてないし!
ちょっとデコが広いだけだし!!
昔からだし!!!



    ↑何か文字が書いてある。道も繋がってるし、ちょっと行ってみよう



    ↑山のふもとへ。何かの瓶などが落ちていて人がたむろした形跡があり、すこし不穏な雰囲気



    ↑自然はきれいだけどゴミが多いな


    ↑家のすぐ裏手がこんなにもゴツゴツしてる。激しいギャップについカメラを向ける



途中の村で昼食タイム。

お気に入りのアヒデガジーナがあるそうなのでそれを頼むと、なんとここのアヒデガジーナは名前の通り辛いではないか!(ajiアヒ=とうがらし)

激辛というわけではなかったので我慢して完食するが、唇がヒリヒリするしお腹の調子もちょっと悪いみたい。
目の前の広場のベンチで休憩。
辛いのは無理です……

Tuman(トゥマン)という町にやってきた。

時間もちょうどいいので今日はここで泊まることにする。

ホテルを探すまえに、まずはこの空腹をなんとかしなければ。

メルカド(市場)の食堂で食事を頼むと、サラダやセビーチェ、大豆煮などなど頼んでいない物までどんどん出てくる。

サービスだから食べていきな、と言われながら計4皿ほどテーブルに並び、お代は4ソル(148円)と激安。

いやーなんか申し訳ないね。

久しぶりの走行で脚が疲れていたので、そんなに動き回らずに就寝。

翌日、町を出るまえに水を買いに商店へと行くと、日本語を話すおじさんに会った。

彼は広島や岡山あたりで5年ほど日本で働いていたらしい。

デジカメのムービーをまわすと、恥ずかしがりながら日本語を話してくれた。


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観光っけがないチクラヨを観光 Chiclayo




家に泊めてもらった家族の人たちにお礼を言い別れてから10分、もう一度あの素晴らしいホテルに再アタック。

だって安くてきれいで風呂場が広くてネットも繋がるなんてそうそうある環境じゃないんですよ。

ペルーでは特に。

もし部屋が開いていればここに一泊し、その分これから行くチクラヨの宿泊日数を減らしてさっさと進んでしまおうと思っていた。

それくらいこのホテルがよかったのだ。

でも結果は惨敗。

昨日と同じ状況らしい。

「せっかく来てくれたから」と45ソル(1665円)の高い部屋を、赤字ギリギリの35ソル(1295円)まで減らしてくれたが、
さすがにそんなに出せないしそれなら先へ進みます、とさびしい後ろ姿を見せつつホテルを後にした。



チクラヨまでけっこう距離があると思って気合いを入れていたのだが、これがかなり近かった。

どれくらい近かったかというと、たとえば

「ひと駅くらいなら歩いてみようか、でもかなり歩くんだろうなー、疲れるかもなー、のちに支障をきたすんじゃないかなー」と思いながら歩いてみたら意外と早くついちゃって拍子ぬけする感じに似ている。

数値にすると、20kmもなかったらしい。



そんな感じであっさりとペルーの都市、Chiclayo(チクラヨ)に入った。

すぐに見つけた市街地のなかのホテルをとる。

中心部からは離れているが静かだし、ここに泊まることでいいこともあった。

ある日ロビーでネットをやっていると、スタッフのおかみさんが昼食を用意してくれたのだ。

それはペルーに入って好きになったクリームカレーのような料理だった。

aji de gallina(アヒデガジーナ)という名前だということをここで知る。




前に砂漠の中のレストランで質問したときはプレという名前だと言ってたが、あれは一体なんだったのか。

たしかにpureをネットで調べても画像は全然出てこなかった。

ajiとは唐辛子のことなのだが、今まで食べたアヒデガジーナは辛かったことがなかった。

"カレーの王子様"ですら子どものころ食べられなかった経験をもつ自分にとって、このajiという文字は天敵であり、ずっと避けてきたものだった。

なんだよ驚かせやがって、名前負けかーwwwwww

なんて思っていたら、チクラヨを出た先の村で辛いアヒデガジーナに出会うことになるなんて、このときは誰も知らなかったんだ・・・・・




さて、せっかくこんな都会に来たのだから、ちょっとは観光しなければもったいない。

ということで外を散歩してみた。

カテドラルのある中心部の広場はほかの町よりも狭く、噴水や置き物、看板などがたくさん置いてありちょっぴりゴテゴテしい。





    ↑カテドラル



そのそばの歩行者天国になっていたところを歩いてみる。


小さなフリーマーケットと化したその中をブラブラと通りすぎていこうとすると、一人の男性に声をかけられた。

「おい、君日本人だろ」

振り向きながらそうだというと、名刺を渡された。

彼の工房の名前とfacebookの名前が書かれている。

「ここにくればキャンプ場所があるから泊めてあげるよ。もちろん無料でね。屋根もあるから安心して泊まれるよ。バスで10分ほど行ったところにあるんで」

おじさん、あの、すごくすごくありがたいのですが、この情報量だけじゃ見つけだすのは至難の技ですよ。

Facebookを見ても住所が書かれてなかったし。

せめて住所を。住所……

もっと先、北のほうへ行くとスーパーマーケットが2軒並んでいるところに出た。

ちょうどいいのでちょっと買い物。

このスーパーは品揃えがかなりアメリカナイズされており、アラスカやカナダでよく見た懐かしい商品が並んでいた。

しかし若干高い。

    ↑懐かしのスナックパック。一回しか食べてないけどチョコのやつはおいしかった


値段でいえばホテルから少し歩いたところにあるTOTTUS(トットゥスと読むのだろうか)というところがかなり安かった。

有名なスーパーらしいので、ほかの町にも同じところがあったら立ちよってみることにしよう。




中心部から西方向へ行ってみる。

どこを見てもking kongという名前のお菓子が並んでいるのが目につく。






           ↑これ

なんかこういうの和菓子でなかったっけ。

羊羹とモナカのやつ。

三重の老伴(おいのとも)とかかな。

最初はなんだかおいしくなさそうに見えたこのお菓子も、和菓子と考えるとちょっとおいしそうに見えてくる。

食べてみようか、やめようか

そう迷いながら、結局食べなかった。

なんでもこのking kongはチクラヨ名物らしい。

それなら食べときゃよかったかな。

でもなんでこんな名前になったのだろう。

そして中にはなにが挟まっているのだろう。

一体これはなんなんだろう。

なぜここの銘菓になっているのだろう。

色々わからないことだらけでなんだか宇宙を感じます。



今度は広場から東、メルカド(市場)方面へと行ってみる。

中南米のメルカドといったら薄暗くて汚いイメージがあるのだが、はたしてここもその通り。


まさにメルカド。
どメルカド。



    ↑意外と大容量のザックも売られていた

そんな中で手に入れた情報は、

なにやら"手品"のようなものがこの近くにあるそうで、それが有名になっていて観光客が見に来るのだとか。

手品?

よくわからないが、オシャレなバーのなかで手品を披露するとかそんな感じだろうか。

それなら高そうだなぁ。

ほぼジェスチャーでの会話だったので実際本当に手品かどうかわからない。
せっかく教えてくれてなんなんだが、それを探すことの苦労よりも興味と熱意が上回らなかったので、そのままそこを去ってしまった。



そのほか写真。


    ↑でかい空豆かと思ったらグアバと呼ばれるフルーツらしい。中の空豆みたいな種は食べずにそのまわりの白い実を食べる。後日食べることになる



    ↑おいしかったお菓子。ペルーの田舎にはポテトチップスがあまりないため、甘めのお菓子をよく食べている。とくにこの chokosoda チョコソーダ はおいしくて値段も70センティモ(=0.7ソル、26円くらい)とお安い!



    ↑リアルな顔のいも虫バス



    ↑走っているのは普通の道路です



    ↑ジュース屋で飲んだ大豆のジュース。臭みはあるが豆乳みたいでけっこう好き



    ↑日本語の名前のホテル。高そう…

チクラヨはそこまで観光向けの町というわけではなさそうだが、そのぶん安いレストランが結構あって助かった。

ホテルも中心部にたくさんあったので、探せばとても安いところも見つかるのではないだろうか。

自分は郊外で泊まったが、中心部近くに泊まったほうが断然便利だと思う。

ここに泊まったことに後悔はしていないけど。


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出戻ったら色々食べさせてくれた話 Ferreñafeその2


    ↑関係ないけどおいしかったジュース。マンゴー味が濃くてトロトロしている



バタングランデからフェレニャフェへと戻る。

一度通ってきた道なので体感距離、建物の配置、傾斜や路面状況などすべて把握ずみ。

わかっていれば他に気をとられることもなくペース配分も調整できる。

ハイピッチのスピードにのせ、楽々帰ることができた。

帰り道のとちゅう、

前にバイクタクシーの客が日本語をしゃべったという話をしたが、その人が入っていったレストランの前を通った。

通りすぎようとしたのだがなんだか気になり、喉もかわいていたのでちょっとだけ入ってみることに。

紫トウモロコシのチチャモラーダを注文。

バーを兼ねたレストランだけあって若干高めだ。

最近知ったが、「モラーダ」とは恋人のことらしい。

ペルー方言だろうか。

    ↑ちゃんとしたところのチチャモラーダはレモンがいい具合に効いていてとてもおいしい

店の人のご好意でとうもろこしを揚げたようなおつまみをくれた。

以前にも紹介したことがあったかもしれないが、外は固くて中はポップコーンのようになっている。

ポップコーンがそんなに好きではない自分にはあまり口に合わないのだが、お腹もすいていたしご好意をふいにするわけにもいかない。

ありがたくいただいておこう。

「喉がかわくでしょう?」

とレモネードまでくれるお姉さん。

ちょっ、サービスよすぎですぅ!

フェレニャフェへ到着。

前にも泊まったお気に入りのホテルは満室で高いランクの部屋しか開いていないらしい。

がっかりしながら安くてwi-fiのあるホテルを探しまわっていると、道路でアイスを売っていた家族にたまたま声をかけられた。

いつものように少し話をしていつものように別れるところ、今回は違った。

後ろから彼女たちが追いかけてきて、

「うちに泊まりなさい」

というのだ。

ちょっと迷った。

なんだか怪しくないだろうか。

ベリーズで一度家に泊まらせてもらい金目の物をどっさり盗まれた経験があるので、こういうときに素直に人を信用できない。

とくに彼らはお金がないらしく、ホテルが安くて25ソル(925円)だと言うと、

「ものすごく高いわねぇ」

とびっくりしていたくらいだ。

いやこれはペルーの多くの人の感想なのかもしれないし、全体的にみんなお金を使わない生活をしているのかもしれないし、なんともいえないのだけど。

彼らは家賃ってどうしているのだろう。

断るかどうか考えながらとりあえずついていくと、小さな個人商店へ。

商店といっても、家の玄関口に商品棚をひとつ置いただけ。

なかは薄暗く、言っては悪いがちょっとボロい。

まさにベリーズのドロボウ一家の内装とよく似ていた。

……本当に大丈夫だろうか。

そう思いながらも、現在経済状況がものすごく苦しいおり、無償で泊まれるのはとんでもなくありがたい。

一か八か彼女たちを信じよう。

自転車をベッドの近くに置かせてもらった。

今日こそはここフェレニャフェいちの名物であるMuseo de Sicanシカン博物館へ行くつもりだったので外へ出ようとすると、

「このへんは強盗がたくさん出るからついていくわ」

えっ、そんなにですか…?

それほど危なそうじゃなかったんですが。

すぐ近くだし。

「あなたは来たばかりだからわからないと思うけど、すごく危ないのよ」

やっぱり大きな町であるチクラヨが近いから、治安も悪いのだろうか。

ということで、お母さんとその子どもたちがついてきてくれることになった。

博物館の入口で待っていてくれる彼女たち。

入場料7ソルだったか、そのくらいを払っていざ参る。

ランバジェケのシパン博物館より小さく、展示物も少なかった。




金の装飾物や杯がいくつか飾られていた。





    ↑発掘と調査に日本人が何人か関わっているらしい

  

最後に解説ビデオを上映しており、そこで発掘に携わった考古学者の島田泉博士がインタビューされているのを眺める。

インタビューといっても数秒の映像を2回流されただけだが、日本語だったのでそこだけきちんと理解することができた。

「発掘はギャンブルですよね」「もっと勉強しなきゃなって」

という博士の見た目は若かった。

そりゃそうか、年を取ってからだと体力的にキツいもんね。

スペイン語でアフレコされてないことに感謝。

バタングランデのホテルでお世話になった夫婦の息子がここで働いているという話を聞いていたので、帰り際に館内スタッフに聞いてみると、すでに帰ってしまったらしい。

待っていてくれた親子と一緒に帰宅。


夜はお腹いっぱい食べさせてくれた。

食後は、子どもたちが最近はやっているらしくペルーに入ってから何度も耳にしているという歌に乗せて踊りを見せてくれたり、

おばあちゃんと一緒に墓地へと散歩したりしてすごした。





totoとはお尻のことらしい。

サビになるとお尻をふるダンスをするのが定番のようだ。

なんともラテンアメリカっぽい。

この曲はちょっとリズムが重くて自分はあまり好みではない。



    ↑飼われていたネコたち。すぐ逃げてしまう


    ↑近所の墓地。大きい

朝もこれまたお腹いっぱい食べさせてくれ、水も補給してくれた。

なにも盗まれていない。

優しい人たちでよかった。

おばあちゃんは寂しそうに

「どうして行っちゃうの? ここはあなたの家だからもっといたらいいのに」

と言ってくれたのだった。


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泉を見にいこう…ってだれがハゲやねん! Jagueyes




今日フェレニャフェへもどって翌日チクラヨに行く予定だったが、昨日ここのホテルのお母さんにすすめられた場所が気になり、そこへ訪れてからフェレニャフェへともどることにした。

朝にもう一度そのくわしい情報をたずね、聞きとれた名前をメモする。

聞いた話によると、
「いくつかの村を通りぬけ、Mayascon(マジャスコン)という村の広場を右に曲がって山道を登る」
らしい。

岩がきれいだとか、川かなにかがあって水浴びできるとか、そのようなことを言っていたようだが、完璧に理解はできなかった。

一番肝心なその場所の名前はうまく聞きとれず、
「ロハワジェス」とかなんとか・・・ よくわからないがそんな風に聞こえたのでそのままメモした。

そのままホテルの家族にお別れを言ってバタングランデの奥を目指す。

google mapではその先しばらく行くと行き止まりになっていたのだが、本当に道はあるのだろうか。


路面の傾斜はほとんどなく、緑あふれるきれいな景色がつづいていく。



    ↑こんな道路を走っていく


    ↑景色がめっちゃきれい。人に荒らされてないから自然が残っているのね。だって普通来ないもんこんなとこ



2~3さきの村で軽食とジュースを注文して休憩。

マジャスコンはどこかと店員に聞いてみると、この先もっと行ったところだと教えてくれる。

ちょうどその店で右に曲がらないといけないらしかったので、聞いておいてよかった。

道に迷わずにすんだ。

まだ遠いという感じの話し振りだったので、ちょっと飛ばしめで走ることにする。

できれば今日フェレニャフェまでもどりたいからだ。


いくらか走ると道路がなくなり砂利道に入る。

かなりゴツゴツとした石が転がっており、さっきとは打って変わって非常に走りづらい。

    ↑実家の裏道を思い出した

ハリウッドのセットのようなみごとな岩壁。

反対には崖下に川が見える。

まさに大自然のまっただなかだ。




起伏がはげしすぎて荷物が満載の自転車では乗ることもままならず、おしながらゆっくりと進んでいると、男の子がおなじく自転車をおしたり乗ったりしながら、こちらのほうをチラチラと見やりペースを合わせて進んでくる。

まるで道案内してくれているかのように。


ガタガタボコボコのダート道に入ってから1時間ちかくがたち、ようやくちゃんとした村が見えた。

男の子はこの村の子どもだったようだ。

商店で飲み物を買い休憩。

そこでマジャスコン村の場所を聞いてみると、

なんと、今まで歩いてきた道を指さすではないか!

…通りすぎていたようだ。

ショック。

またこの道をもどらないといけない。

マジャスコンはちょうど道路が途切れるその境の村だったらしい。

こんな大変な道を走る必要はなかったのだ。

まったくのくたびれ儲け。


マジャスコンにはおもいっきり村の名前が書かれていた。

しかもあちこちに。



    ↑看板まで立ってる

これを気づけなかったとは。

店員の話を聞いてもっと遠いと思っていたからスルーしてしまったんだな。

思い込みっておそろしい。

時刻も3時をすぎている。

いい時間だ。

戻ろうか、それとも今からでも探ってみようか。


村にいた人に話を聞くと、家が並ぶその裏手をまっすぐ行くと30分ぐらいでうわさのJagueyes(ハゲジェス)に着くと言う。

道もあるから迷わないだろうということだ。

30分でつくなら行ってみようと思い、商店に自転車と荷物を置かせてもらって村の裏側、山へとつづく道へ。

看板がいくつも立っているのを見ると、観光客が結構くるのかもしれない。




ここの石が紫がかっていてほかとは違う色をしていた。

アメジストの成分が混じっていたりして。

とても軽かくて脆かったのでそれはないか。




    ↑右の岩、猿の横顔に見えませんか?


    ↑ロジャーさんが名前を書いてるこの岩、すっぱり切れててなんかすごいね


ここで大変なことに気づく。

ポケットにバタングランデのホテルのルームキーが入っていたのだ。

…返すのを忘れていた。

完全に。

これは今日中にもう一度ホテルへ行って鍵を返さなくてはいけない。

ついでに今日もそこで泊まってしまおうか。

もう遅いしね。

フェレニャフェへ行くにはちょっと遅れをとりすぎている。




    ↑いきなり安っぽくなる看板



    ↑山のなかに突然これがポツンと出てくるからものすごく違和感がある


    ↑大岩のテーブル


しばらく進み、元は川が流れていたであろう岩場まで来た。




そこを登っていくと、ハゲジェスの池へ到着する。



岩場に水がたまっている。

緑色をして透きとおった池。

静かだ。

風の音と時おり少し変わった鳥の声が聞こえる。

秘密の水場という雰囲気だった。


特になにをするとも決めていなかったのでとりあえずオカリナを吹いてみると、音が反響してきれいに聞こえた。

天然のリバーブ装置。





バタングランデへ戻ったのは暗くなる直前だった。

鍵を返すのを忘れてしまったと言うと、ホテルの家族は歓迎してくれた。

「アナタが行ってしまってから、日本語を学ぼうかと話していたのよ」とお母さん。

そんな歓迎ムードのなか申し訳ないが、とても疲れていたのでそんなに話もせずにすぐ寝てしまった。

次の日はホテルには誰もいなかったので、なにも言わずにそこを去ることになってしまった。

鍵は扉につけたままにして。




    ↑帰りに食べた夕食は4食のソースがかかっていた


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教授の知り合いの家族がパネトンを食べさせてくれた話、Santa Clara 〜 Batangrande



ポマックの森でのキャンプをやめ、先へと進む。


現在時刻は17:15。
バタングランデまでの距離は20km少々。

町まで全部平地だったとして、19時前に到着する計算だ。

18時ごろになると暗くなってくるので、できればそんな時間まで走りたくない。
とすると近くの町でキャンプということになる。



しばらく走ると大きめの公園がある村にやってきた。
まわりには発掘物を表した像や人形が飾られており、白黒斑点模様のホロホロ鳥が親子で散歩している。

キャンプ地はここがよさそうだ。
食事できるところはないか、あたりを探る。


200mほど離れたところに青空食堂があった。


・・・ちなみに、この青空食堂っていうのは天井や壁のない屋外でやっている食堂のことを言っているのだけど、調べてみると同名の店名しか出てこない。

みんな、そう呼ばないの?
正式名称はなんと言うのだろう。
知っている人がいたら教えて下さい。


で、なにが売っていたかという、こちら。



この飲み物はチャンプースというらしい。
フルーツとナッツが入っていて、なんだかドロドロしている。
まずくはないがうまくもない、なんだか複雑な味がしていた。

左のものはチャチャンガという薄い揚げパン。

2つあわせて1ソル(35円くらい)。
揚げパンはちっちゃいので、これでこの値段は安いのかどうかちょっと判断に困る。



チャンプースを飲んでいると、店の人から
「Santa Clara サンタクララに行くの?」
と聞かれた。

サンタクララという町があるのは知らなかったが、わざわざそんなことを聞くということは有名なところなのだろうか。

そこは大きな町なの? と聞いてみる。
答えは Si. イエスだった。


ここから近いとのことだった。
行ってみようか、どうしようか。

近くにいる人にも聞いてみると、
「サンタクララならここからすぐよ。ええ、大きな町ね」

大きな町ならホテルもあるんでしょ?

「え・・・ええ、あるんじゃないかしら」



あーこれはないときの反応だわ。
今までの経験上わかる。

きっと町も小さいのだろう。



でもそんな誰も行かないような場所なら行ってみてもいいかもしれない。

なにかあるかもしれないし。
なにか起きるかもしれないし。


それにどうせキャンプするなら奥地のほうが安全かもしれないとも思い、サンタクララへ行ってみることにした。



そしたらどうよ、



この道!

前回も言ったけど、最近ひどい砂利道入りすぎじゃないですかね?
自転車が壊れちゃうー。



15分ほど進んだのち、サンタクララへついた。

そこを見た最初の感想は、



さびれてんなー。



予想通り小さく、ホテルなどひとつもない。
食堂すらほとんど見あたらない村だった。


広場の近くにあった店へ入り、3ソル(105円)のサルチポジョ(フライドポテトとフライドチキンのファーストフード的な料理)を注文。

そしてザックを降ろしたときに悲劇は起こった。




背中でビリビリとなにかが破ける音。


そして見覚えのあるナイフが一本、カランと地面に落ちた。





腰につけていた護身用ナイフ(対犬用)のシースが破れてしまったのだ!

しかもかなりお気に入りのやつ。


これにはショックを隠しきれない。


・・・が、疲れていたため落ち込みモードから5秒で復帰。
席について料理を待った。



サルチポジョを食べ終えたころ、向こうの席からお呼びがかかる。

そこには酔っぱらいの村人たちがくだを巻いていた。



ビールや透明なウィスキーを勧められてしまい、そのまま一緒に飲むことになる。


そして、酔った状態で広場で寝ると警察に連行されるということで、この店の主人が2階の一部屋を貸してくれることになった。






翌日。


泊めてくれた主人にお礼を言い、最初に声をかけてくれた男もいたのでその人にも挨拶する。
昨日ひどく酔っていたにもかかわらず今日も酒をグイグイ口に運んでいる。




そこから1、2時間ほどでバタングランデについた。

もっと大きな町かと思っていたが、かなり小さめだ。
広場にはまだクリスマスの飾りが飾られていた。





    ↑夜はこんな感じ



宿を探しまわる。

ウロウロしてみるが見つからない。
人に聞いてみると、何軒かあるそうだが大々的に看板は出ていないようだ。


何人かが、

「一番奥のホテルは危険だ。働いている人もよくないしベッドには虫が多いし、泊まるなら他のところにしたほうがいい」

と口々に言っていた。


いったい何があったんだろう。



一泊10ソル(350円)で泊めてもいいと言ってくれたところがあったのだが、ちょっとうさんくさい雰囲気があったのとイタズラ好きの子どもたちがうるさそうだったので他を探す。


メルカド(市場)の目の前に20ソル(700円)のところがあったのでそこにした。


    ↑一軒ホテルとは思えない見事なカモフラージュ



    ↑しかも入口は裏にあるという2重トラップ



夜になにか食べられるところを探そうと外へ出ると、突然女性に話しかけられる。

何かと思ったら、なんとこの女性はホテルのオーナーの一人、つまりそこに住みながらホテルを営んでいる一家の奥さんだった。


今初めて会ったのになぜこちらのことをわかったんだろう
と疑問が残るなか、彼女は「今は年始だから店があまりやっていない」と言う。

「よかったら家で料理作るけど?」

言われるままにホテルへと戻った。



彼女と彼女の夫と話をしながら5ソル(175円)でおいしい料理を作ってくれ、コーヒーもくれた。

久しぶりに飲むコーヒー。
フェレニャフェではどこへ行っても、コーヒーはない! と突っぱねられていた。


食後に panetón パネトンと呼ばれるケーキをごちそうしてくれた。




そうこれ!
ペルーに来てからスーパーやポスターでよく見ていたので気になっていたのだ。

夫の話によると、クリスマスや祝い事のときによく食べられるらしい。
中にドライフルーツが入った甘めのパンだった。

すごくおいしい。


    

彼らの子どもがシパンの発掘に携わったことがあり、そのつながりで発掘のリーダーをしていた島田教授と知り合いなのだという。




ここの2階に住んでいたのよ

と教えてくれた。


とてもよくしてくれた家族で、昨日の酒場の人たちにひきつづき彼らに会えたのは幸運だったといえよう。



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村人D「ここから北へ行くとポマックの森があるぞ」 Bosque de Pomac






今日のご予定:ポマックの森に行って発掘現場を見学
       その後 Batangrande バタングランデにて宿泊




フェレニャフェを出て北へ。


ガタガタの道路を通り抜け、町を出る直前で "Museo Sican シカン博物館" があった。

昨日行ってみようか迷ったのだが面倒になって行かなかったところだ。
こんなところにあったのか。


博物館の姿を目にしてしまうとなんだかちょっと行きたくなってくる。
もったいない気持ちになる。


バタングランデからもう一度ここフェレニャフェへ戻るので、博物館はそのときに見学することにしようか。



    ↑今はポマックの森へ急ぐのだ



木々がそれなりに生い茂る道を走っていると、ペルー国民の足であるバイクタクシーがブルリンブルリンと音を立ててやってきた。


そして中から、

 こんにちはー

という叫び声が聞こえた。
日本語で。


目の前で止まるバイクタクシー。

その乗客はすこし日本語が話せるようで、自己紹介をしてくれた。



なぜ日本人だとわかったのだろう。
もしかして、今大声で歌っていた日本語の歌を聞かれてしまったのだろうか。

は、はずかしい。






そんなこともありながら、
小さな村を抜けた先は砂漠、そしてまた木々生い茂る道に入って、
やってきました「ポマックの森」。

RPGとかで使われてそうな名前の森である。


フェレニャフェからはそう遠くなく、2時間もかからずに着くことができた。



    ↑ポマックの森攻略マップ。そこは広かった


まずは入口にある小屋へ行って10ソル(350円ちょっと)を払い、隣の資料館へ。

「たくさんの生き物たちが棲息しています」

というようなことが写真とともに書かれている。
鳥だけでもざっと1200種はいるらしい。
すごいね。




昔から息づいているおじいちゃん巨木や楽しげな鳥たちを見ながら、ガタガタの道を自転車で走る。

最近ダート走りすぎじゃない?
けっこうつらいんですけど。


ただ今回はザックを入口に置かせてもらったので、かなり身軽だ。

そうか、ザックがないだけでこんなに走りやすいものなのか。
普通のチャリダーはこんなに快適に走っているのだな。




Rio la leche(リオラレチェ、牛乳川)というところを発見。
噂はかねがね。

普段は川のあとしか見えないのだけど、12月から水が流れるらしいですよ、この川。


現時点で1月。
川はどうなってるかな〜。








ってカラッカラやないかい!






もうパッサパサ!!

でも川の跡地の砂が白くなっててちょっときれいだったりする。
ミルキーウェイ。




地図によると、目指す遺跡までは5km以上離れているそうで結構な時間を自転車で走らなくてはいけない。
さっきも言ったが穴ぼこや石だらけの未舗装地である。


ひーん。


でもコンクリートで固めたら自然が壊れてしまうのでよろしくない。
ここは我慢だ。




    ↑下についてる看板の重り部分がちゃんとデザインされていて細部にこだわりが見える



Huaca del oroとかかれた案内看板にしたがいながら進んでいくこと30分弱。



さきほど見た牛乳川を横切る。
若干地面が濡れているのがわかるだろうか。

水は、水はあったんだ!




そこを越えると





こんな遺跡が目の前にあらわれてくる。
なんだかボコボコしていてすごい形だ。
要塞みたい。


ちょうどついたときに他の観光客とそのガイドも同時にご到着。
どさくさにまぎれてついていくことにした。



    ↑ここ、登れるの? …マジ?



足場の悪い中を登り、見えたのがこちら。


地球いっぱいの森!


 


地平線の奥までつづく木々。

ビビッドな緑色。



    ↑中央に見えるのは別のピラミッドらしい








写真では伝わりづらいが、この大迫力にすこしばかり感動を覚えた。



…あれ? そういえばなんでここに来ようと思ったんだったっけ?

たしか金細工が発掘されたから興味を持ったはず…景色を楽しみにきたわけじゃ……



まあいっか。



地面には貝や土器の破片のようなものもたくさん埋まっていたが、誰一人としてそれを気にとめるものはいなかった。



もっと見ていたかったが、ところがどっこい時間がない。
入口のスタッフには5時で閉まることを告げられていたのだ。

早くいかないと荷物がしまわれてしまう。



    ↑帰り道。ものっそい急なんですけど…



急いで帰ってギリギリ15分前に戻ることができ、無事ザックを救出。

ここでキャンプができるらしいので聞いていると、キャンプするにはもう10ソルプラスしないといけないそうだ。


んー、それならいいや。
さきへいってどっかの町に泊まりましょ。

と、水だけ買ってポマックの森を出たのだった。



時間がなくてあまりゆっくりできなかったが、ここはかなりのお気に入り。
もう一度行きたいくらいだ。



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出先で年末進行、Ferreñafe




ランバジェケもそこそこ堪能したところで、次いってみよう。

普通のルートを考えるならここから都市チクラヨに行くと思うのだが、ここでちょっと寄り道することにした。


目標地点はFerreñafe(フェレニャフェ)とBatangrande(バタングランデ)の間にある 「Bosque de Pomac」ポマックの森 である。



    ↑ランバジェケからちょい北、白くて細い通りを抜けてフェレニャフェへ向かう



まずは中継地点である"フェレニャフェ"という気の抜ける名前の町を目指すために、10kmほど来た道をもどる。

もどったあたりで腹が減った。


そこは集落のようになっていたので食堂を探してみるが、どこも定休日らしい。
今日は年末。

扉は開いているのに、入ってみると料理はないと言われ続ける。


唯一あったバーの料理は値段が高めだったので、結局なにも食べずに進むことにした。



道を曲がり細い通りに入る。


路面状況はガタガタで大変よろしくない。
転がっている大きな石を踏むたびに自転車が悲鳴をあげる。

今の自転車の状況だと壊れるかもしれない。
特に荷台とバッグがもうヤバい。
すぐにでも死にそう。

なので、ひどいところは押して歩かざるをえなかった。



    ↑自転車を押していると、奥から土ぼこりを上げてやってくる怒濤のヤギ



それにしても腹が減った。


どうせないだろうとあきらめ半分で民家の人に
「この近くに食堂ってありますか?」
と聞いてみる。

返事はもちろん「ない」。
そりゃそうだ、こんな田舎道だもの。


しかし聞いて正解。
ここの人たちが残り物で食事を作ってくれたのだ。


みんなこちらの話を聞きたがっている様子。

食べている間中色々と質問されたのだが全然聞き取れず、ほとんどちゃんとした会話はできなかった。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


食べ終えた食器を片付けようとすると「これ以上はもうないよ」と言われる。
まったく噛み合ない。



その先の小さな店で飲み物を買うと、今度はそのおばあちゃんが家のなかに招待してくれ、招待といっても入口のすぐそばのイスにこしかけただけなのだが、
「ここに座って休みなさい」
と休憩させてくれた。


これからフェレニャフェへ行くと言うとおばあちゃんは

「フェレニャフェならあと20分くらいだよ。そこに娘が住んでいるんだ。へえ日本から来たのかい。日本にも家族がいてねえ。あとスペインにもいるんだよ。仕事でね」

という本当か嘘かわからない話を延々としてくれる。



そろそろ行かなくちゃと席を立つとちょっと寂しそうな顔をするおばあちゃん。

彼女の言う通り、その先20分くらいでフェレニャフェにつくことができた。



    ↑大きな給水塔は各町にある



道が安定してきて一安心。

まずは中心部の広場を目指しつつ、安くてwi-fiの繋がっているホテルを探そう。
人に聞きながら目についたところをいくつか探ってみる。



広場のすぐ近くのホテルにwi-fiがあることがわかった。

そのホテルの店員たちは愛想がよく、値段も25ソル(約875円)と安い。
そんな安値なのに中はとてもきれいで室内も毎日掃除してくれるし、バスルームがかなり広かったのもうれしい。

ここはかなりオススメだ。
wi-fiが繋がるホテルはどうやらこの町にはここだけのようだった。


    ↑Hospedaje Arcangel(オスペダへ・アルカンヘル)というこのホテル。混んでいる日もあるため注意


 
    ↑すぐ隣の静かな広場。人が多く、みんなベンチや芝生に座ってゆったりしている



この町の人たちは表情が穏やかで優しい感じがする。
旅行者はあまり見ないが、ここはなかなかいいところなのではないか。
そしてなによりホテルの居心地のよさもあり、ここが気に入った。

年末はここですごし、年初めにポマックの森へと出発することにしよう。




広場にはわたあめの屋台があって、その制作行程を眺めているうちに日本の縁日を思い出した。





懐かしくなってひとつ購入。
値段はたしか1ソル(35円ちょっと)だった。

日本の祭りで買うと400円以上するのだから、この値段は破格といってもいい。

というか日本がぼったくりすぎなんだけどね。
ザラメ砂糖しか使ってないのに400円はねーよ ってね。
子ども向けなのにね。


食べてみると、なんのことはない普通のわたあめ。
日本のものと同じだった。
すこし香料が入っていて人工的なフルーツの味がする。

食べ終わったら手がベトベトするのもおんなじ。




あー、日本時間では今日が元旦か。
今頃日本では神社で屋台が並んでいたり、そこでは人がごった返していたりするんだろうなぁ








なんてことはまったく考えず、ただ純粋にここの生活を堪能したのだった。


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