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アマゾン川源流へのルート公開! Nevado Mismi 攻略編 13、ペルー 2017年06月29日 今回はミスミ山のどのようなルートを通ってきたかを記録に残しておきます。主な景色や体験談は前回までの記事をごらんください。さて、はじめは自分もソロで行こうと思っていました。そこでほうぼうに話を聞いてみると、「道が途中で分かれている」「一人は危険だ」と言う人もいれば、「そこまで難しくないよ」「ちゃんと調べていれば一人でも行けると思う」と言う人まで。言ってることがみんな割とバラバラだ!!6月は乾季なので雪は少ないということですが、とにかく遭難が怖かったので、ガイドをつけることにしました。思っていたより安値で付いてくれる人を見つけることができたし。そこで、どんなルートを通ったのか。もし一人で行きたいという人がいた場合のために、なんとなーくなルートを今回写真を中心にして書き出していきたいと思っています。ただし!最初に言っておきますが、本当に途中道がなくなったりしますので、はっきりと断定できませんが 山に慣れている人以外はガイドをつけたほうが無難な気がします。まず始めに、Paintで書いた簡易マップを載せますね。こちら。ドドン。 ↑赤斜線 ・・・草原地帯 青斜線 2つ・・・湿地帯 黄色斜線 ・・・崖エリア 点線 ・・・道がない、もしくは見づらいところ ※谷はミスミ山までつづいていますおそらくわかりにくいと思うので、順に説明していきます。地図を参照しながらご覧ください。まず、今回紹介する道は " Tuti 方面の旧道 " です。こちらは村からミスミ山までの道のりが近いぶん、道がわかりずらいルートとなります。スタート地点。Tuti 村のはじに階段の細い路地があります。そこを数段降りて先へ。するとそこからゴツゴツとした登り階段がつづきます。小さな看板があるので、そこを左。次の看板は右へと曲がります。 ↑一つ目の看板地点。このような階段がつづく階段ゾーンをすぎると、石垣が並ぶ道へと入ります。大体一本道ですが、途中左右に分かれる道も一か所存在します。そこは左へと進んでください。大きな通りを進めば間違いはないはずです。石垣ぞいに進むと、Ñaupallacta(ニャウパジャクタ)という可愛らしい名前の遺跡があります。看板も立っているのでわかりやすいでしょう。 ↑遠くから見たニャウパジャクタ遺跡遺跡の横を通り抜けます。石造りの通路と門があるところで、もしかしたらブリキの板が道がふさいでいるかもしれませんが、それをよけて山のほうに進みます。ちなみにその左手側には朽ちた教会があります。写真は別記事を参照。そこから少しの間、道がなくなります。目の前にそびえ立つ小高い山のほうを目指して歩くと、山の頂上へ延びるくねくねとした道があるはずです。かなりきついですが、そこをてっぺんまで登ります。すると、今度は高原地帯へと入っていきます。 ここは道があってないようなものです。 ↑うっすらと数人の足跡が見えるが、ほとんどわからない状態奥に雪の被った峰が2つ見えると思います。大体その間を目指して歩きます。丘の谷間が見えるはずなので、そこを通り抜けます。 ↑雪山と丘の谷間 ↑丘の谷間の写真ここで見えている草はとても固くジーンズを貫通してチクチクと刺さるので、レインパンツなどがあればはいておくといいでしょう。刺抜きなんかもあると、もしものときに便利です。その先、荒野となります。道が広いので迷うと大変ですが、一応人が歩いた道らしきものがあるのでそれをつたっていきます。所々見えなくなるので、そのときは雪山を目指して歩きましょう。多少道を外れても、方角が合っていれば大丈夫なはずです。 ↑こんな感じで道がつづくいちおう目印らしき画像も載せておきます。 ↑ビクーニャを狩ることを禁止する、と書かれているのだそうな ↑ごく薄く矢印とmismiの文字が書かれている石 ↑矢印の先には雪山。あれがミスミですそのまま歩いていると、途中横に走る大きめの道があります。こちらは Chivay と Cusco につながっているということなので、つられてそちらへと行かないように。 ↑この道は罠です。ミスミへ行くにはここを横切りますこの通りを越えると水が流れ、小川になっているところにぶつかります。ここから先は湿地帯ゾーン。直立の草を踏みながら、水に濡れないように進んでください。道はありません。雪山のほうへ進みます。 ↑水場なので道はない湿地帯をすぎると、あたりはもっと荒れてきます。 奥に小さな岩場があり、そこを乗り越えれば道は復活します。左手側に大きな谷が望める道です。ここから下りになります。 ↑手前が岩場。奥に道ができる崖の上を通ります。狭いところもあるので気を付けて。 ときどき道が途切れますが、谷に沿って歩いてください。 ↑左手に谷、奥に雪山。このあたりでアルパカ飼いに出会ったので、おそらく人は住んでいるはず石が瓦上に変化。カラカラといい音がします。浮石も多いので、足をくじいたりスリップしないように足を運びましょう。 ↑瓦状の石 ↑平べったいのがわかるでしょうかその先2度目の湿地帯があります。ここは植物が沈みやすく、先ほどよりも濡れやすいです。 湿地帯と川が干上がったくぼみをいくつか抜けると、昔家があったであろう四角い仕切りの石が見えます。 ↑通る場所によっては見えないかもしれない右手に茶色い大きめの岩山。 この辺は道がないので、谷に沿って歩きます。ずっと奥へ行くと、谷の終わりに盆地のような土地へと出ます。 ↑奥が雪山この盆地に家があります。石でできた家は見えにくいですが、アルパカがたくさんいるのが確認できるでしょう。 登山者はこのあたりでキャンプする人が多いということです。スペイン語ができる人は、その家で食事をもらえるか交渉することもできるでしょう。ただし、食料がない場合や住人の気分が乗らないときは断られるでしょうし、お金を払う必要があります。もしかしたら仕事を手伝うことになるかもしれません。念のため食料は十分に用意しておいた方がいいと思います。ここから奥へと進み、雪山を越えます。テントを立てた場合は、ここで余計な荷物を置いておきます。 ↑これは登ってから振り返った写真。奥のスタート地点が家(ベースキャンプ地)。行きは赤の線で、緩やかなところを選んで進んでいます。帰りは青で、まっすぐ下りました。連なる山の奥のほうに、ちょっとへこんだ谷間が見えると思います。一番登りやすいそこを目指して歩きます。道はありません。歩きやすそうな場所を選んで進んでください。 ↑中央に見える山のくぼみ ↑くぼみの頂上はこんな感じになっている山を登り切ったら、反対側へ降ります。800mほど、まっすぐ。 ↑山の反対側の写真。少し歩くと右側に小さな電波塔が見えるずっと降りていくと左手側に岩場、奥から右奥にかけて谷が見えます。その岩場の奥にアマゾン川の源流があります。 ↑このように進む。ザックなどの荷物はここに置いておくといい岩の隙間をぬって進まなくてはなりません。水も流れているので、濡れるし滑るし、かなり厄介です。通る場所によっては、いくつか看板が見えるでしょう。 ↑上の写真の位置からでも見える看板 ↑途中の岩場に打たれた看板。見つからなくても方向が合っていれば問題ない 岩や水場を渡っていると、奥に十字架と岩から吹き出る水が確認できるでしょう。そこが源流地点です。おめでとうございます。帰りは谷の下を通って帰ってきました。アップダウンは少なかったのですが、道はないし歩きにくいしで、あまりオススメはしません。道のりもよく覚えていないので、ここではカット。ちなみに聞いた話によると、新道は下の地図のように行くようです。ミスミ山の裏側まで車で行けるので、それだけ道もわかりやすく広いのだと思います。が、歩きだと往復3日はかかるという話です。ChivayからTutiを抜けて道路をまっすぐ進むと、小屋と看板があります。そこを左へ。Ran Ran(ランラン)という楽しげな名前の村跡があります。その先湖があり、ぐるっと回ってミスミ山頂上付近。人から聞いた話をかけ合わせているので詳しい部分は書くことができませんが、おそらくこのような感じだろうと思います。分かれ道があるかどうかもちょっとわかりません。 ↑新道から車が通った跡があるミスミ山裏側地点 また、そのほかのルートもあるそうですが、その辺の情報はあまり仕入れることができませんでした。大きな谷が目印となるため、とにかく方角があっていれば道を多少外れても辿りつくことはできると思います。ガイドをつけずに行こうという方は、どうかお気をつけて。 [2回]PR http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/mismikouryakuアマゾン川源流へのルート公開! Nevado Mismi 攻略編
その奥に目的のものはあるはずじゃ ― Nevado Mismi アマゾン川源流 後編 13、ペルー 2017年06月26日 翌朝3時30分、起床。外はまだまだ暗いですが、月と星の明かりで薄っすらとあたりが見渡せます。気温はもちろん山のうえですから、ものすごく寒い!テントの内側は気温差で結露していました。キンキンに冷えた懐中電灯を手に取り、必要な荷物だけをザックに詰めこんで、防水のジャケットとパンツを重ね着します。そうして歩き始めました。空気の薄さと気温の低さで体力がうばわれ、思うように動けません。数歩歩くたびに立ち止まっては激しい呼吸を繰り返し、休憩を挟まなくてはいけない状況です。胃が痛くて少し気持ち悪いのは標高のせいでしょうか。それとも気温のせいでしょうか。すこしずつ進む歩みに合わせるように、太陽がゆっくりと昇ってきました。太陽光で体温が上がり、体調もしだいによくなりつつあります。休憩時間も減ってペースが急上昇。 朝日に照らされた岩が赤く色づき、まるで水のある火星を歩いているようでした。 ↑火星みたい ↑ナイフで傷つけたかのようにひび割れた岩時間をかけてじっくり、3時間ほどで今回通る最頂部に辿りつきました。 ↑ほぼてっぺんからの眺め↓ ↑登ってきた方にだけ雪がかぶっていたここから、今度は反対側へ800mほど降りなくてはいけません。せっかく登ったのに・・・・・それでもやっぱり下りは圧倒的に楽。足元には雪が積もっていましたが、そのほとんどは締まっており、沈むことなくスイスイと歩くことができました。懐かしの雪の感覚。自分は日本では雪国に住んでいてさらに冬が好きだったので、ちょっと楽しくなってきました。 ↑山の裏側はこうなっている ↑この時期は乾季で雪が少ないため、雪用の装備はいらない。しかし気温は雨期よりも低い ↑車の跡。新道から入るとここで合流するらしい ↑こんなに長い影は初めてかもガイドが立ち止まった小さな岩陰、そこに荷物をデポ※して左手側にある岩場へと向かいます。※デポdepot。山岳用語では、荷物を道の途中で置いておくこと。もしくは、のちの誰かのためにストックなどの装備を山小屋や登山口他特定の地点に残しておくことなどを言う。 ↑左に見えるゴツゴツした岩場のなかへこの岩場が最後の難関。至る所に水が流れ足元が滑るし靴も濡れます。しかもすぐ後ろは崖。狭い足場をうまく通り抜けなければなりません。ロッククライミングをやっている人なら楽勝でしょうけど、自分は経験がほぼありません。ボルダリングをちょこっとやったことあるだけ。靴も滑りやすいものだったのでなかなか大変でした。そして、とうとう、 辿り着きましたよ。 ↑クリックで拡大可能ここが一番遠いアマゾン川の源流地点です。 この岩場から水が勢いよく噴き出していました。飲めるそうなので、手ですくって口に含んでみると、甘い!喉が渇いていたせいもあるかもしれませんが、後味がとても甘くておいしかったです。まわりの草に付着した不思議な形の氷がここの寒さを物語っています。 岩と岩の間を渡ってデポ地点まで戻ります。ガイドが持ってきた朝食を分けてもらいました。 その後、キャンプ地点の家まで戻りますが、疲労困憊で動けず12時まで休憩。そんな中でもガイドは「早く行こう」と急かしてきます。だから動けないって言ってんでしょうが!!おそらく高山病だと思ったのでしょう。帰る時間も危惧していたのだと思います。しかしこちらのことも考えてほしい。その後の帰り道ではガイドが一人で見えなくなるところまでさっさと行ってしまったり、もう不満は爆発。もしこちらが怪我をしてもきっと気づかないんだろうな、などと不平不満を覚えながら、6時間かけて戻りました。この日歩いた時間は計12時間。最後は疲れてフラフラ、足の指の皮はめくれてベロベロ。夕方5時30分、宿に着いたときはホッとしました。その後すぐに宿のおじいさんが夕食の準備をしてくれ、おいしいご馳走にありつくことができましたとさ。・・・後日、ガイドの分の昼弁当代はこちら持ちという話を聞いて、ガックリしたのでした。山の家の夕食代も出してあげたよね・・・・・そういうのは先にちゃんと言ってといてくれ!!だから出発前にあんだけ色々聞いといたのにー!!! おしまい [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/nevadomismi3その奥に目的のものはあるはずじゃ ― Nevado Mismi アマゾン川源流 後編
その道は厳しいものとなるじゃろう ― Nevado Mismi アマゾン川源流 中編 13、ペルー 2017年06月23日 トゥッティ村へ来て3日目。約束通り※朝の8時に老年のガイドが来ました。年齢は57歳。朝食を食べて2人分の弁当をもらい、ザックに詰め込みます。なぜガイドの分も自分がもたないといけないのか、疑問に持ちながら。※約束通りこれは個人的な体感の話なのだが、ペルー人は約束を守らない人が多い。今までのべ9回ほどペルー各地・各人々と待ち合わせをしたことがあるが、ちゃんと来てくれたのは2人だけ。しかもその2人もその後の約束は破り、待たせたまま来なかった。おそらく山の向こうはすごく寒いので、装備はがっちり。・綿のインナー・コロンビア人にもらったサッカーコロンビアチームの長袖レプリカ・ボロボロになっているユニクロのホワイトグレーパーカー・自転車用スパッツ(本当はタイツか何かがよかったのですが、持ってなかった)・ジーンズ・靴下×2・若干切れ目の入ったスニーカー・腹巻・グレーのワークキャップ・エクアドルで買った厚手のbuffのようなバンダナほかにもあったかセーターや耳付き帽、レインジャケット & パンツなども持参しています。暖かな日差しの中、足並みをそろえて出発。ガイドが家から荷物を持ってくるのを待ち、それから村のすぐ向かいにある階段を登っていきます。事前にカフェやインフォメーションセンターでもらっていた情報によると、ミスミ山を登る道は2つあるそうで、今回行く道は旧道になります。もう一つの新道は道が広く車で頂上付近まで行けるのですが、ぐるっと遠回りをするので歩きでは時間が余計にかかるそうです。今回通るところは昔からあるため近所でなじみの道らしく、登山道入口では荷物や家畜用わらを担いだ村人が行きかっていました。いくらか登っていくと、石垣がつづく通りへ。その奥に昔の村の跡地があります。 Ñaupallacta(ニャウパジャクタ)というところのようです。 ↑朽ちた家が並んでいましたブリキで出来た板をよけて奥へ入ります。「ここは昔の教会だよ。見て行ったらいい」と中へ入っていくガイド。 ↑祭壇のようなもの。下に書かれているのはスペイン語なので、めちゃくちゃ古いわけでもないようですね ↑模様をかたどった石ここを通りすぎると、小高い山を登ることになります。すでに標高は高く、いつもよりずいぶん軽いとはいえ背中には荷物を背負っているので、息が切れて長くは歩き続けることができません。休憩を多めにとってゆっくり登ります。 ↑上から撮った写真。先ほど下から見た村跡の全景が見える登り終わると一変、高原地帯へと変わります。道はほとんどないと言ってよく、とがった草が脚に刺さって痛いです。足元に気をつけながら進みます。 ↑この日本にもある雑草のような長い葉が、実は硬くジーンズを貫通してチクチク刺さるこんな大自然をひたすら歩いていれば、様々な動物とぶつかります。 ↑アルパカ ↑トカゲそのうち横に水が流れているところに出て、辺りは湿地帯のようになります。気温が低いため水は一部凍っていました。 ↑直立した緑の草は固いので上に乗れば濡れないが、時々沈むという罠があるので油断できない奥まで進むと大きな崖があり、そのサイドを走る細道を渡ることに。そろそろヘロヘロだしお腹もすきました。スニッカーズやチョコピーナッツを食べて元気回復。お菓子を持ってきておいてよかったー。ガイドにもチョコピーナッツを分けてあげると、ポイポイパクパク食べていました。このあたりからガイドの態度が少し柔らかくなった気がします。 ↑岩に苔のような植物がくっついています ↑このような谷の横を通りました途中、牧羊犬がけたたましく吠えながら岩崖を駆け上ってきました。チバイの観光インフォメーションで聞いた、「アルパカを守っている見張りの犬は危険だね」という言葉が頭によぎります。 仲良くなりました。足元の石は瓦状になり、踏みしめるたびにカラカラと乾いた音が響きます。石が浮きやすいのでちょっと歩きにくいです。 気づくと靴の先が濡れていました。湿地帯のところで水に浸かってしまったようです。 つらい。靴が濡れると乾きにくいし、足も冷たくなるし、怪我もしやすくなるし、なによりにおいがものすごく臭くなるのがつらい。我慢して歩き続けます。崖の上をずっと歩くと、ついに奥に雪山の連なりが見えてきました。奥は盆地になっています。そろそろでしょうか。 と、ここで昼食。弁当の内容は肉と温野菜でした。 荷物が軽くなり、腹もふくれてホッと一息。崖を下りると、ガイドからちょっと待てコール。どうやらこの近くに家があるらしく、その住人にキャンプの許可と食事の有無を確認するようです。 ↑奥に家畜の群れが見える許可が取れたようです。ちなみに食事は一回5ソル(175円)丸く石垣にかこまれたところにテントを張ります。地面にはアルパカとリャマの糞が一面に転がっていますが、乾燥しているので大丈夫らしい・・・・・約6時間歩き、やっとゆっくり休めます。まだ昼の2時過ぎですが、今から登るとここに戻るころには夜遅くなるので、今日はここで休んで明日の深夜3時からスタートするらしいです。空気が薄く、じゃっかん頭が痛い気がします。息が切れるのであまり激しくは動けません。夕方。ガイドが「アルパカ追いに行ってくる」と言うので、自分もついていくことにしました。 ↑子アルパカを捕まえて見せてくれた少しだけですができる限り自分も手伝います。 ↑アルパカの群れ。モッコモコ ↑この大きくて首の長いのがリャマなのだそうで夕食にスープとお茶をもらい、今日はこれでおしまい。明日の夜中3時ごろガイドが起こしてくれるらしいので、ゆっくり寝て体力を回復させましょう。―メモ―今回はちょっと文字を大きくしてみました。どのくらいの大きさがいいんだろう。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/nevadomismi2その道は厳しいものとなるじゃろう ― Nevado Mismi アマゾン川源流 中編
まずは北にあるTuti村をめざすのじゃ ― Nevado Mismi アマゾン川源流 前編 13、ペルー 2017年06月21日 最近、アマゾン川の源流のなかでも一番遠いと言われるところ※に行ってみたので、そのことを書きたいと思います。ルートについては後日書くとして、ここでは景色や出来事を中心に追っていくことにします。※アマゾン川源流のなかでも一番遠いと言われるところ ナショナルジオグラフィック調べまずはミスミ山のふもとにある村、Tuti(トゥッティ)へ向かいます。ここで荷物や自転車を置いておいて、登山開始の予定です。チバイに荷物を残してもいいのですが、ホテル代を2か所分払わないといけないのはちょっといただけないので、今回はすべて荷物を持って行くことにしました。トゥッティには以前、仲良くなったホテルスタッフと自転車で行ったことがあるので、どのような道を走るか、勝手はわかっています。それでも上り坂に照り付ける太陽、そしてのしかかる荷物。かなりきついです。ぜえはあ 言いながら進んでいると、追い抜かしていった軽トラックが目の前で止まりました。あ、この展開は・・・「乗ってくかい」乗せてもらいました。ペルーなど南米の田舎、特に山岳地帯ではこのように人の車に乗せてもらうというのが交通手段のひとつみたいで、みんな結構軽いノリで乗せてくれることが多いです。ちょうど今日、この先にある町で祭りを行っているらしく、運転手のおじいさんはそこに向かっている最中だったのだそう。村の付近で降ろしてもらい、横にしたせいでずれたり外れたりした自転車の荷台周辺を直していると、今度は別の軽トラックがやってきて、「今日はトゥッティに泊まるのかい。いいホテルがあるから連れてってやるよ」と、またまた車に乗せてもらいました。この距離なら自転車で行ったほうが楽なんですが、断り切れずに自転車を持ち上げて後ろに乗せます。そして着いたのが、ここ"Casa Vivencial Mismi"というホテル。 きれいで部屋も大きくて、とてもいい宿でした。こんな小さな村で観光客も滅多に来ないというのに。ほら、室内に楽器が。 窓もこのようにあるし、 天井からもこのように光が入るので、昼はとても明るいです。シャワールームには電気ノズルシャワーが!! この辺はどこもソーラーで沸かしているため、夜や曇りの日は冷たいシャワーしか出ないんですよ。これはよかった。しかもノズル式なので取り外し可能!!・・・と思ってたら、このシャワー25℃程度しか温度が上がらないようです。なので、ここでシャワーを浴びるとしたら、暖かい時間を選んでガガガっと水を浴び、すぐに体を拭いて外に出て太陽を浴びなくてはなりません。それくらい寒いの! ココ!このホテルは朝食と夕食も頼むことができます。一食7ソル(245円)。村の食堂は6ソル(210円)なので若干高いですが、ここのお母さんの料理は素朴ながらめちゃくちゃおいしかったのでオススメです。 ↑夕食のtrucha(トゥルーチャ ― 川マス) ↑ここだけじゃないけど、フリードリンクのところでは大抵あるコカの葉(中央上)話によると、ミスミ山はルートがいくつか枝分かれしているそうです。一人だと心配なので話を伺おうと、チバイのインフォメーションセンターで聞いてきたガイドの名前をホテルのおじいさんに尋ねます。するとなんと、その人を知っているそうで電話をかけてくれました。翌日に話をしに来てくれるということです。道だけ聞こうと思っていましたが、せっかくなのでガイドをつけることに。次の日、こちらへ来てくれたのはいいのですが、この人何を聞いてもちゃんと答えてくれません。「彼が全部知ってるから大丈夫だよ」と宿のおじいさんは言ってますが、どの辺りで泊まるかとか何が必要かとかご飯はどうするかとか、聞いておきたいことをちゃんと教えてくれないのはひどい。何度も質問した結果、ある程度まで情報を聞き出すことに成功。昼ごはんはこのホテルが弁当を作ってくれるらしく、夕食と朝食は山の山頂ふきんに住んでいる人がいるのでそこでお金を払って食べさせてもらうらしいです。水や食料はサーモス※一つだけで十分だということでしたが、ちょっと信用できなかったので久しぶりに活躍するサーモスのほかにも水とスポーツドリンクとエナジードリンクを1個ずつ持っていき、お菓子もザックのなかへ詰めこみました。ガイド料は一日50ソル(1650円)、2日かけて行くので100ソル(3500円)だそうです。他のツアーだと人があまり行かないところなので個人ツアーになり、最低でも400ソル(14000円)くらいかかってしまうので、安いほうでしょう。もしかしたらちょっと値引きしてくれているのかもしれません。※サーモステルモス、魔法瓶ともいう。お湯の温かさが持続するステンレス製の水筒。重いのが難点。ちなみにサーモス/テルモスは商標名。ちょっと長くなってしまったので、登山編は次回にしましょう。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/tutinevadomismi120170619まずは北にあるTuti村をめざすのじゃ ― Nevado Mismi アマゾン川源流 前編
人生のアップダウン、Chivayの人々 13、ペルー 2017年06月08日 ――結局、仲良くなったカフェ店主のフレディとはうまくいかなくなっていった。いつものことだ。そろそろ出発すると言うと向こうから投げかけた「週末にまたバイクで旅行しよう」とか「最後だから皆で昼飯食べよう」という約束をことごとく破られ、こちらが怒ったのだ。普段ならここでお別れとなるのだが、今回はちゃんと仲直りできた。その後、何度かカフェに足を運んだのだけど、彼の顔を見るたびに喧嘩のことを思い出してつらくなってしまう。どうしても明るく振る舞うことができない。その人はとてもいい人だけれど、もう全然信用できなくなってしまっていて、そのことが余計悲しくさせる。彼も、入口に立った自分を迎えてくれ、いつものように口元に にやっとした作り笑いを浮かべてくれるのだが、前のようではなくなった。言葉も態度も、すべてがなんとなくぎこちない。お互い顔を見なくなった。もうダメなんだと思った。失ってしまった。もうこれまでのように楽しく話をすることはできないのだ。元に戻すには、自然に湧き出る嫌な記憶を消すしかない。だがそんなことはできない。そのカフェに足を運ぶ機会も減っていった。・・・・・と、一時期なっていたのですが、他の常連さんのおかげもあって再度仲良くなることができました。やっぱり前みたいにはいかないけど、なんとかほぼ元通りという感じです。これは自分にしては珍しい事例。その後、店の改装を見学したり時々手伝ったり、一緒に携帯ゲームのキャンディクラッシュの攻略に励んだりしました。 ↑3層に分かれたカフェモカ。ここAromas Caffee(アロマスカフェ)では毎度ウエハースがついてくる ↑団体客が頼んでいたコーヒーたち ↑酒も扱ってます。これはpiña colada(ピニャコラーダ)というカクテル。イマイチだった。個人的にはCaipirinha(カイピリーニャ)がおすすめ ↑この人がフレディさん ↑改装の様子。全部自分たちでやっていたまた、仲がこじれていたときに代わりに立ちよっていた他のカフェの夫婦とも仲良くなりました。こちらはメニューにクレープがあるのでそれ目当てなのと、wi-fiがここのほうがよかったので、向こうのカフェで仲直りできた後もたびたびお邪魔していました。 ↑One Coffee(ワンコーヒー)という店 ↑旦那と一緒にちょっとしたお出かけ。この人がとにかくいい人だった ↑飼い犬のロッキー、あだ名はチョコラテ ↑ここではラテアートを練習中らしい ↑クレープと一緒に ↑フェニックス ↑インディアン。名前があったが忘れてしまったそのカフェの主人の両親が観光客向けのレストランを経営していて、無料でビュッフェをごちそうになる機会がありました。そのときの会話のなかで、2週間前にできたというホテルにもプロモーションで安値で泊まらせてくれるという話を持ち掛けてくれ、現在のところより安くて良さそうだったので早速そちらに宿を移しました。ビュッフェも余って捨ててしまうから、閉店後3時すぎまで待てるなら毎日タダで食べていいよ とお母さんが言ってくれたのだそうで、数日間ごちそうになりました。普段は1~2食しか食べてなかったのですが、久しぶりにおいしいものを腹いっぱい食べられました。 ↑サラダ取り放題 ↑おかずもスープも取り放題 ↑なんだかよくわからないデザートたち ↑初日は控えめに取ったら、残りは他のスタッフたちが全部持っていった。捨てるものなんてあるのかな ↑チョコプリンとヨーグルトがおいしかった。これだけ食べてタダ! ↑久しぶりに満腹になるまで食べたので、腹がはち切れそうでちょっと気持ち悪くなったりもしたしかし、そんな日々もそう長くは続かなかったのです。部屋がものすごく寒い以外はいいホテルだったのですが、そこのスタッフのサービスがよくなかった!ちょっと愚痴になってしまうのですが・・・夜の10時半まで上記のフレディさんと話してから帰ってくると、入口には鍵がかかっていました。ここまではOK。しかし何度呼び鈴を鳴らしても誰も来てくれず、この日唯一の長ズボンであるジーンズを洗っていたため短パン着用。そしてここの夜は相当冷えるのです。カフェのオーナー家族宅に行ってみるも、この日は外出していたようで誰もいません。昔のアニメやドラマで見たのを思い出し、ホテルで電気のついている部屋(顔見知りのレストラン従業員の部屋)に小石をぶつける作戦に出るが、失敗。財布にたまたまレストランのカードが入っていたので、中心部へ行って閉まりかけた店に頼み、電話をかけてもらいました。そうして鍵がかかっていることが発覚してから一時間後、ようやくホテルに入ることができました。翌日、そのことを紹介してくれたカフェの主人に言うと彼は丁寧に謝ってくれましたが、ホテルの従業員はまったく悪びれもせず笑っていました。また、同日の朝、部屋のドアのノックで起こされて、いきなり別の部屋に移動してと言われました。その部屋はトイレバス別で小さく、別室のシャワーは水しか出ません。何度も言いますが、ここはかなり寒いです。なぜ最初からこの部屋と言わなかったのか。なぜ数泊してから突然部屋を変えだしたのか。ここになるとわかっていたなら、最初からこのホテルに泊まろうとは思いませんでした。そんなこんなで不満が溜まり、すぐさまホテルを変えることにしました。おいしい昼ご飯は無料で食べられなくなるけど、そんなのは構いません。何よりそこのサービスの悪さに辟易していました。ChivayにあるUrinsayaというホテル、絶対に誰にも行ってほしくないです。最低なので。ビュッフェレストランはおいしいです。高いらしいけど。そのほかにも、 ↑行きつけになったインターネット屋にもらった帽子 ↑前回紹介したホテル・コルカリバーのバイトと仲良くなり、一緒にTuti(トゥッティ)へ自転車で出かけた ↑トゥッティのよくわからない像 ↑ちょっとお高いレストランでおまけしてくれたホットチョコレート。嬉しいなんてこともありました。予定よりずっと滞在してしまったので、この時期雪が少なくなっているはずのMismi山へ行くかもしれません。なにせこの町に来た理由が「ミスミ山のアマゾン川源流を見に行く」だったので。ただ、話を聞くと一人で行くのはちょっと難しいのかもしれません。ここに行く観光客は少ないのだそうで人も少なく、道も少し枝分かれしているらしいのです。行く人がいないので、ガイドを雇うのにもお金がたくさんかかります。もしかしたら行かずに終わるかもしれませんが、もし成功したらアマゾン川源流の一番遠い場所と言われているところを撮ってきてここに報告したいと思っています。もしブログの更新がなければ、遭難して土に還ったということで。それでは、また。 メモ ― いつも文字の大きさを13ptに設定していましたが、今回16pxにしてみました。数値は大きくなったのに実寸は縮みましたね。細くなった分見やすくなったのかな。見比べてどちらがいいかそのうち決めようと思います。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/lifecyclechivay人生のアップダウン、Chivayの人々
コンドルが見えるかもしれない要塞 Fortaleza Chimpa 攻略編 13、ペルー 2017年04月25日 前回の投稿にて攻略に失敗したMadrigal(マドリガル)にあるFortaleza Chimpa(フォルタレサチンパ)ですが、馴染みのカフェでそのことを愚痴っていたところ、昔行ったことがあるというオーナーのフレディさんがバイクで入口まで連れて行ってくれるという話になりました。でね、また行ってきましたよ。結果を先に言うと、ちゃんと登頂できたんですけど、今回もこれまた悔しい結果に終わってしまいました。行かなきゃよかったんじゃないかってくらいにもうホント。なにがそんなに悔しかったのか。ちょっと長くなりますが、まあ聞いてやってください。 ↑クリックで少し拡大可。コンパスの左上に現在地Chivay(チバイ)、中央あたりにマドリガル、そのちょい左に見える黒いコンドルの絵のところがCruz del condor(クルースデルコンドル、コンドルの谷)朝5時に待ち合わせ。外は非常に寒く、しかもバイク移動なので頭に首に手にと着こまなくてはなりません。エンジンを温めて出発。外は暗いながらも、顔を横に向けるとはっきりとした山の輪郭や谷の影が流れていきます。空は次第に明るくなり、山の向こうから一本の太陽光線が、ミルク色・紫・オレンジ・薄い水色に濃い空色とグラデーションを作りながら天上へ向かって射しています。・・・実を言うと、これが一番きれいでしたし、楽しかったです。このバイク移動のときが。マドリガルに到着したころには2人とも凍えてしまっていました。とくに膝が冷たくなって、脚がガクガクと大きく震えます。まだ6時30分で食事ができなかったので、コーヒーだけ注文。ホテルからもらってきたパン一つを半分、運転手フレディさんに分けてあげました。コーヒーはフレディさんがおごってくれ、それからもう一度バイクにまたがりフォルタレサの入口へと進み出ます。前回とは全く違う道へ・・・・・下に地図を用意しました。赤い線が前に行った道。ここからでも行けはしますが、かなり険しい道だったようです。前に写真を載せた川のなかを渡るか、崖の上から降りてこないといけないという意味なく危険が伴う道でした。今回は広場の横を通り、途中軽い十字路っぽいところを右方面へ抜けて砂利道をずっとずっと進む道。川があるところまでバイクで送ってくれたフレディさんとはここでお別れ。ちょうど同じタイミングで他の観光客3人も車でやってきました。うわ。マジか。自分一人しかいないと思ってたのに。このあたりでテンションは下がり始めています。 ↑川のところにある看板が目印空はだいぶ明るくなってきていますが、それでも寒い。どのくらい寒いかというと、 ↑朝露が凍ってしまうくらい寒いのです!2つ目の川の場所。上の手書き地図参照。 休む場所があったり駐車場があったり。ここでキャンプもできそうです。 こんな細い橋を渡ったら、ここから登山が始まります。 ↑寒いのにサボテンだらけ。影になってますが右下にもウチワサボテンがあります高所なのでちょっと登るだけで息が切れます。動画用にしゃべりながらカメラを向けて歩いていたので、さらに苦しいです。 ↑15分くらい登るとこんな景色椅子やゴミ箱など休憩場所が各所たくさん設置されている模様。 道が時々わかれていますが、毎度看板が設置されています。これで迷わないね!(下にも付けておけよ!) 遺跡のようなものも。 かまどとツボが置かれています。 昔の人がここに住んでいたのでしょうか。説明などはありませんでした。柵もないので、いつか誰かに壊されそう・・・そろそろ太陽が昇ってきて暑くなってきました。ここは非常に光が強いです。日焼け止めクリームとサングラスを持ってきた方がよかったと後悔しましたが、時すでに遅し。まあ天気がよくてよかったということにしておきましょう。汗をかくと体が冷えて大変なので、防寒のために着ていたレインジャケットなどを脱いで体温調整します。なにかちょっとカッコいい岩の隙間を発見。 道を外れて近づいてみます。 そこからの眺めは、 おおー。晴れているおかげでよりきれいに見えますね。まだ太陽が昇り切っていないので、影ができてまだはっきりとは写らないです。そうして写真や動画を撮りながら登り始めて約2時間、ようやく頂上へ。 ↑眩しすぎるせいで少し白っぽくなってしまってます何やら城壁のようなものがあります。まったく事前情報なしで来たのですが、フォルタレサというのは「要塞」という意味だそうです。今調べました。攻めてきたスペイン人が建てたものでしょうか。 1年ほど前に大きな地震があってこの辺は通行止めになっていたと聞きましたが、それでも崩れずに残っているというのはすごいことです。だってこれ、石積んだだけでしょ? 向こう側にある見晴らし場へ行くため、中をくぐります。すると、すごく小さな狭い階段がありました。 わーすごーい、RPGみたーい。気になるのでちょっと上ってみますね。ええ、ええ。すると、なにやら石のかまくらのようなものが見えます。 中は狭く、居心地は悪そう。 天井はどのようにしているのでしょう。 なんと、石を積んでいるだけ!崩れないのか不思議ですが、草が生えているところを見ると石の間に土をかぶせているのでしょうか。そのまま石垣を越え、大きな岩を越えながら岩場の隙間の階段を通ります。横は崖。そちらに目を向けると、 奥の山がきれいですね。そうして見晴らし場に到着。 下には、 川が流れていますね。たしかにコンドルが飛んでいそう・・・ が、いない!まあ期待はしていませんでしたけどね。それよりめっちゃ怖いんですけど!!この地面が崩れたらどうしようとか、カメラ落としたらどうしようとか、いろいろ不吉なことが頭をよぎります。へっぴり腰でささっと撮影。ここに焚き火跡があったので、だれかキャンプしたようです。たしかにここに泊まれば朝焼けも見られるしコンドルが見える可能性も高いし景色もきれいだし、良さそうですね。ただめちゃくちゃ寒いと思いますが。反対側へも行ってみます。小さな小屋があったはずですが。 ↑骸骨みたいな模様ぐるっと回ってマドリガル側の崖へ。ありました。小屋です。近くで見るとボロボロで公衆トイレみたいですが、中はどうなっているのか。 汚い!!落書きとゴミで散らかっていました。しかし雨風は防げるので、キャンプするならここのほうがいいかもしれません。キャンプ道具と食料を持ってくればよかったかな。奥の崖に近寄り写真撮影。 ふむ。なかなかいいんじゃないですか。左手側には謎の建物群が。 軍の基地かなにかかと思ったら、後で聞いた話では捨てられた村なんだそうです。大きめな団地のような建物もありました。 青くかすんだ山の重なり。その後、もう一度石の要塞の屋上へと戻り、オカリナを吹いて30分ほどすごしました。 ↑この陰にウサギのような生き物がいたのですが、写っていませんね ↑要塞上からの眺め気のすむまでこの眺めを堪能して、そろそろ降りましょうか。登りのときよりも日が昇り明るくなったので、再度軽く写真を撮りながら。 歌なぞ歌いつつ下の方まで来ると、このフォルタレサで働いているという男性が立っていて、ノートに名前と国名を書かされました。彼に、ここには本当にコンドルがいるのか聞いてみました。すると「うんいるよ。今日もさっき一匹飛んでるのが見えたよ。他の観光客たちも見たって言ってた」な、なんだってー!!その時間はたしか、オカリナを吹いていたころ。腰かけていたのは谷間のほうで、コンドルが飛んでいたのは村側だったのだそうで。これを聞いて、ものすごくショックを受けました。見れるチャンスがあったのに、他の人たちはみんな見れたのに、自分だけ見れなかった。まあ、そこまでコンドルに興味があったわけではなかったのですが。現にコンドルとはどういう鳥かも知らずに来ましたから。それでも、残念でならない。本当に悔しい。怒りとやるせなさでいっぱいでした。たとえて言うなら、宝くじで10万円当たったけどその券をなくしてしまったような気分です。別に1億なんていう大金が当たったわけではないのであきらめはつきますが、それでもものすごくがっかりするしとても不幸でしょ?そんな感じ。一時間その場でコンドル待ちしてみましたが、この日はもう来ないだろうとその男性。あーあ。あーあ。打ちひしがれながら、早朝にバイクで通った道を歩いて帰りました。 その後、バスがなくて三度乗り継ぎし※、疲れと眠気のなか帰ったのが夜7時になっていたのだそうな。そういえば、マドリガルで警察の人たちが心配して何度もこちらに話しかけてくれました。「また来たら俺がバイクで上まで連れてってやるよ。今度はいつ来る?」と聞かれましたが、ショックから立ち直れていない自分はまた来るなんてことは考えられず、「いや、もう無理」と答えるしかありませんでした。バナナを一本貰いました。※三度乗り継ぎしかもそのうちの一回はバスではなく一般の軽トラ。バスが少ないここでは人に乗せてもらうのが一般的らしい。ちなみに、みんなの話ぶりからするにここチンバでは朝に割とよくコンドルが見られるようです。それでも確実にコンドルが見たい! というかたは、有名なコンドルの谷へ行きましょう。お金はかかりますがいつも飛んでいるということでした。自分は行きません。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/fortalezachimpakouryakuコンドルが見えるかもしれない要塞 Fortaleza Chimpa 攻略編
コンドルどころじゃなかった Madrigal その2 13、ペルー 2017年04月18日 翌日、朝の9時くらいに起きてマドリガルを目指します。とは言ってもそこまでの距離およそ6km。30分ほどで着くことでしょう。 ↑前回も載せたけどラリの村。ちゃんと電灯が設置されているおそらくこちらだろう という方向へと進みます。看板もなければ人に聞いたわけでもありませんが、前方に数人行き交う人も見えるし、間違っていないはず。しかしこの道、なんだか少し変な気がします。小川を乗り越えなければなりませんし、ゴツゴツしてて自転車ではなかなか大変です。もしかしたらマドリガルはかなり山奥の村なのかもしれない。そう考えれば、こんな道になるのも無理はないかもしれません。 ↑道、合ってるよね・・・ ↑奥の山に見える横線はコンドルの谷に続く道路だんだん細くなっていく道を心細くなりながら歩いているうちに、ついに大きな道路に出ました。右と左に分かれています。とりあえず右へ。 ↑大きな道。とりあえず上りのほうへと行ってみるすると、見えた!あれがマドリガルですね。 ↑崖の下に見える村そしてその先には、あれ? 門が。 どうやらやはり道は間違えていたようです。この門に辿りつく道が本道であり、今さっき通ってきたのは村の牛飼いたちが使う裏道でした。おかげで道が荒い分、ずいぶんと時間がかかってしまいました。 ↑マドリガル到着村に入ってすぐ、陽気なおじさんに声をかけられました。食堂を案内してもらい、食事をしてから今度はホテル探し。役場内に宿泊施設があり、本当は夕方から受付らしいのですが、自転車やら荷物やらがあったので先に入らせてもらいました。 ↑Fortaleza de Chimpa(フォルタレサ デ チンパ)の看板村人数人に聞きました。陽気なおじさん「フォルタレサに行くのかい? 歩いて3時間かかるね。道はまっすぐだから簡単さ」食堂のおばさん「自転車で来たの。じゃあフォルタレサまでは30分で行けるよ」宿泊場所を教えてくれた学生「ガイド付けたほうがいいんじゃないの? あの道いくつも分かれてるしちょっと危ないから・・・」ねえ、言ってること皆バラバラなんですけど!?共通してるのは、コンドルが見える午前5時に出発しなさいということだけ。一体だれを信じればいいんだ・・・・・とりあえず明日の朝に山に行くことにして、村を歩き回ってみようと部屋を出ると、さっきの陽気なおじさんがたまたま通りかかりました。牛の乳しぼりをするというのでついていくことに。階段状になっている丘を登って、そこにいた牛の足元へ。 ↑結構美人だった準備を整え、おもむろに絞り始めるおじさん。 ↑一度にぎると手を放しても止まらなくなるくらいジョバジョバ出る ↑ざる越しにバケツに入れるこの後、薄黄色い水溶液(レンネット?)を入れてかき混ぜていました。チーズを作っているようです。そこでおじさんとは別れ、少し寝ることに。今日は睡眠時間が極端に少なかったもんね。夜に起きて食事をしたりまた寝たり、なんやかんやあって翌日。 朝5時に教会のスピーカーから流れる声で目が覚め、少し遅れた5時30分に出発。 ↑若干明るくなってきてるけどまだ6時前道なりに歩くと、なんと分かれ道が。あの学生の言い分が正しかった!!!一番人生経験の浅い若い人が一番正しいってどうなってんの?と思いながら、いくつかある分岐路を適当に歩いてみます。どんどん下がっていく道に不安が隠せません。途中、橋がかかっていたので、 これは正解ルートだろと、高を括っていました。 ↑橋がかけられてあるのでよく使われてる道なのだな、と30分後。 行き止まりなんですけど。この川を渡って向こうへ行くのかな、とも考えましたが、流れが急なうえに深い。そして川中の足場になりそうな岩もなかったので、数十分悩んだあげくあきらめて帰りました。途中の分岐点まで戻ると牛飼いのおじさんが元気に「おお、フォルタレサまで行くのかい。いやいや、こっちの道だよ。ここから3時間かかるし道が険しいけど歩けるのかい。ははは」とナチュラルに煽ってきました。こちらとしてはすでに意気消沈していて行く気もなく、適当な村人たちに嫌気もさしていたのですが、ちょっと悔しいのでためしに言われた方向へと行ってみることにしました。獣道。どう考えても自転車では通れない道。というか、もうどこが道なのかわからず、朝露でズボンと靴が濡れます。行けそうな方角は石壁がつづくほうと水路がつづくほうに分かれ、水路は崖にはばまれ、石壁は行き止まり。どうなっとんじゃい!!!!!!!!ムッキー!!道もわからないしもうどうなってんのこれ。ってか自転車で行けるって言ってた人たちは何をもってそう言っていたのか。一本道って言ってた人たちは旅行者をはめるのが趣味なんじゃなかろうか。遠くの山にくねくねした道とそのトップに小屋らしきものが見えるものの、そこまでの道のりがまったくわかりません。迷っても嫌なので、もう帰ります。苛立っているのですぐに。即刻。それでも一応写真は撮っとく↓ なにより、荷物を置くためにチバイに部屋を取っていること、予定より一日遅れたことにより余計に料金が発生していることに焦りを感じていました。やっぱりダメですね。荷物を全部持って行くか、それともひたすら金をかけて大盤振る舞いしていくか。そのどちらかを選ぶべきでした。帰っている途中、心の中のバーのマスターみたいな人にこのことを愚痴ったら、顔をぐっしゃぐしゃにして笑い飛ばしてくれたのでちょっとスッキリ。・・・えっと、変なことを言っているかもしれませんが、まあ妄想みたいなもんです。で、自転車で帰り道を走りながら大声で歌を歌っていたらもう完全にスッキリしまして。天気もいいし、とにかく早くチバイについてホットシャワーを浴びることだけを考えていました。 ↑帰りは上のIchupampa経由、赤い線の道をたどってきた ↑帰りの光景 ↑黄色い大岩向こうへ行って気がついたことがあります。それは、チバイ周辺が一番きれいだったってこと! ↑この辺の景色が一番好き前々回にチラッと紹介した崖下の温泉のすぐ隣に、もっと高そうな温泉があったので橋の上から撮ってみました。こんな感じです。 入ってる人みんなアメリカ人かヨーロッパ人っぽかったです。高いんだろうなぁ。結果、目的を達成することはなく無事にチバイのホテルまで帰ってくることができました。でもやっぱり時々、辿り着けなかったことを思い出し無性に悔しくなって腹が立つんですよね。だから、もしかしたらリベンジするかもしれません。しないかもしれません。そんなところで。 [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/20170418コンドルどころじゃなかった Madrigal その2
コンドルが見えるらしい地へ行こうとしたのだが・・・ Madrigal その1 13、ペルー 2017年04月16日 ↑Madrigalせっかくコルカキャニオンに来たのだから、もっと谷の深いところを見てみよう。そう思っていた時期もありました。行ってみたんですよ。一番有名なコンドルの谷は通行料がすごく高いから、行きつけのカフェで教えてもらった無料で行けるところ、そこでも運がよければコンドルが見られるかもってことでそっちに行こうと決めたんです。なによりあまり観光する人がいないというのが決め手になりました。ただね、もうホント酷かった。景色がとかじゃなくってね、もうね、悔しいったらありゃしない。生放送で愚痴ろうと思ったらwi-fiが弱くてできなくてなおさら悔しい!だからね、この話は書こうかどうしようか悩んだんですけど、書くことにします。なにがそんなに悔しいかを。目的地はMadrigal(マドリガル)という村。その奥にあるという見晴らし小屋に向かいます。 ↑写真が切れてしまったがMadrigalの左上にあるFortaleza de Chimpaに行きたい。ルートはYanque方面の黒い線に沿って行き、Maca辺りの橋から向こうへ渡るホテルを出て30分ほどで天気は一気に悪くなり、向こうの山では雨が降っているのが見えます。そのうえ雷も鳴っていて危険極まりありません。初っ端からこんなかよ!! って。 ↑雲が落ちているみたいに見えるのは雨が降っているのです 工事現場のおじさんたちに、「雷鳴っているけど危険?」と、80%ジェスチャーを使って聞いてみました。「うん。危険だけど大丈夫。携帯とかラジオ持ってなかったら平気だよ」とおじさん。よかったー。携帯もってなくてー。スマホがないっていいこともあるのねー。・・・あれ?そういえば、ラジオ持ってきてたんだった!!!!やばいやばいと伏せがちな姿勢になりながら、しかし幸運にもすぐ先に村があったのでそこで昼食をとりつつ非難。雷が落ち着いたところで先へ進みます。基本下りなので早いし楽だし、素晴らしいですね。帰りのことは考えないようにしましょう。途中、展望地っぽいところがあったので、曇ってるけどせっかくだから撮影。 ↑こんなとこ ↑見栄えはこんな。晴れてたらきれいだったかもしれないそれからも村をいくつか越え、谷向こうへと渡る橋が現れるのを待ちます。待ちますっていうか、走ってるのですけど。 ↑ある村で子どものアルパカ?に気に入られた模様。ついてくる ↑この尻尾見て! ぽよっとしててかわいい!!そしてトンネル。 このトンネルが、灯りがまったくなくものすごく暗いんですよ!真の闇って感じでした。一応デジカメのライトで照らしていたのですが、1m先しか光が届かなくてめちゃくちゃ怖かったです。幽霊が出そうだったので、動画を撮っているような体(てい)で大声でしゃべりながら進みました。 本当の真っ暗を経験してみたい方にはオススメかも。トンネルを抜けると、ありました。橋が。 雨が降ったりやんだりを繰り返しながらの進行。レインジャケットが蒸れて暑いです。この谷間で出会った牛飼いと長話※をしていたせいで予定よりも大きな遅れが出てしまいました。※約1時間橋を渡った先にあるLari(ラリ)に着いた頃にはもう辺りは暗くなってしまいました。本当はこの日にマドリガルまで行くつもりだったのですが、ベチャベチャだし暗いしお腹空いたしでもうダメです。今日はここで泊まろうと思います。 ↑翌朝撮った写真この日、疲れていたので夜7時には眠気がやってきました。荷物のなかには暇つぶしの本が入っています。 せっかくなのでちょっとくらい読もう、と思ったのが間違いでした。その本は約400ページ。その日のうちに全部読んでしまったのです。気づけば深夜4時。ああぁぁあぁ。本・・・・・なんて恐ろしい子! つづく [1回] http://yumenosukoshiato.ichi-matsu.net/per%C3%BA/20170415コンドルが見えるらしい地へ行こうとしたのだが・・・ Madrigal その1