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遺跡と温泉にいこう Chivay ― Colcaその2


せっかくコルカ谷に来たのだから、谷のほうも観光しようではないか。


ということで、ホテルの人がくれた情報に沿って、近場の遺跡とその近くにある温泉に行ってみることにしました。

荷物を降ろしたいつもより軽い自転車に乗って、いざ出発。


今回は町の裏から出る道を行ってみることに。
途中でアスファルトが切れてしまっているらしいけど、このオンボロ自転車で大丈夫でしょうか。


橋を渡り、高そうなホテルやプラネタリウムの横を通りすぎて空を向く坂をゆきます。
丘を登り切ったところの景色は、














・・・めちゃくちゃきれいじゃないですか?

ここから下り坂。
下へ下へ。
自転車だから爽快です。











段々畑に黄色い花畑。
人の手が加えられてなお美しい自然が、身の回りに流れていきます。

地面が石だらけになり悪路になってきたころ、一つお隣の村であるCoporaque(コポラケ)に着きました。





    ↑黒猫が門の上で見張りをしている。見えるかな?





村の食堂で昼食をとり、店で飲み物を買いながら、この近くにあるはずの遺跡の情報を聞き出します。

広場に入ってきた道を左手側に曲がって道なりに行けばいいという話。
距離としてはそんなに遠くはないということです。

ちょっと天気が崩れてきているのが気になるので、急ぎましょう。


と言いつつ、景色がきれいすぎて写真とムービーを撮りまくる自分。
おかげでここまでずいぶんと時間がかかってしまっています。
10kmを3時間くらいかけ、走っては止まって写真を撮ってを繰り返していました。


※通常、平地なら自転車で1時間12km進む。



    ↑草原に羊と石垣。奥に見える村はYanque(ヤンケ)



    ↑この段々はすべて自然のものなのだろうか。それとも誰かが作ったのかな。人が作ったにしては細かい階段状のところも多いけど



    ↑左は晴れ。右奥は雨が降っているのが目でわかる

 
    ↑雨のカーテン



    ↑中央ちょい右に赤い橋がかかっている。これ渡るの怖そうだな


うーん・・・やはり写真では実際に見たものには遠く及ばないですね。

これは画像サイズを小さくしているので画質の劣化も大いに関係あるのですが、やはり目で見た立体感と質感、色合いが全然違います。
ブログで伝えるのってやっぱり難しいですね。

でももしネットで全部体験できてわかっちゃったら、それはそれで味気ない気がします。
気になった方がいたら、やはり自分で行って自分の目で確かめるべきかもしれませんね。



そして、
ついに完全にガッタガタに変貌した道を進みます。
地図に記載されている通り。

そんな大自然のなか、明らかに不自然な看板が立っているのが見えました。



ここがUyo Uyo遺跡です。

もっと目立たない地味なところだと思っていましたが、入口には小さな駅のような建物が建っていました。
そこで名前などを記入。
そして中へ入ります。
自転車はここで待っていてもらいましょう。


登山道のような登りが5分ほどつづき、途中2か所ほど展望台がありました。
しかしそれどころではない!
天気が悪くなってるし、プラスこの後温泉に行かなくてはいけないのです。

急げー!!


山を登り、ようやくそれっぽいところに到着。
全然遺跡の姿が見えなくて、実際このウヨウヨ遺跡がどんなものなのかも知らない自分は、

「まさかこのまま何もないとか・・・」

そんな予感が頭のなかのサーキットをギュンギュン回っているところでした。
一安心。


    ↑朽ちた石の何かが見え始めたころ



    ↑ほら、ウヨウヨしてきた

しかし、なんだかちょっと変です。
だってこの石壁、石の隙間に詰まっているつなぎが明らかに高水準ですよね。
さっき見た看板には紀元前500年ごろの村だって書いてあったのに。

あれれー、おかしいぞー?



奥へ入っていくと、それとなく見どころっぽい遺跡がありました。
そして「スタッフ」とかかれたジャケットを着た人がひとりポツンと座っています。




その公式ガイドのおじさんはとても嬉しそうにこちらへ近づき、こちらの手に持つアクションカムを見てその小ささに驚いて見せました。

彼はこの遺跡について
「ちょっと説明してもいいかな」
と途切れのないスペイン語で聞いてきました。
とても話したそうです。


大体くみ取れた部分を書き出すと、

ここは紀元前の村であり、あるときスペイン人の侵略により潰れてしまったそうで、それからは崖の向こうのヤンケに移り住んだということです。
つまりここが前ヤンケであり、今のヤンケ村は新ウヨウヨということになります。




上の写真にある窓が並ぶ建物は豊作を祈る場所だったようで、窓ひとつにつきトウモロコシ・じゃがいもなどの作物ひとつの豊穣を祈祷する場所だったようです。
毎日一か所づつずらしてお祈りしていたそうです。
それってどうやってわかったんだろう。


その反対側にある大きな建物。
 ↓こちら


ここは太陽の神が祭られた神殿のようなところだそうです。
ここだけは建物がしっかりと残っていました。
壁もセメントではなくちゃんと粘土で作られていました。

  
    ↑触るとポロポロこぼれる

じつはさっきまで見てきたセメントで固めた石壁は、ここを発見した学者が保存のためにやったことなんだそうで、
「よくないよね」
とガイドのおじさんは言っていました。



流れるように一通り話した後、「ここは5ソル(175円)かかるから」とお金を取られました。
看板にはそう書いてあったのですが、入口ではいらないと言われてなんか変だと思っていたんですよね。
ここまで入って来なければ、小さな展望台だけなら無料ということみたいです。


雨が少し収まったところで、今度は崖を渡りヤンケのほうに行きます。
おじさんに道を教えてもらい、先ほど来た未舗装道路をそのままちょっと奥へ。
すると下方にちいさな橋が見えました。




そこまでの道が非常に悪く、道というか若干ケモノ道。
自転車を持ち上げたり落としたりしながら苦労して降ります。

下には温泉がありました。
へえ、こんなところにもあるのか、と値段を聞いてみると、
20ソル(700円)

高ッ!


時刻もすでに5時近く、もうチバイの町へ戻らないといけません。

「入らないの? いつ来る?」

と寂しそうな管理人さんを差し置いて写真だけ撮らせてもらい、急いで橋を渡ります。


    ↑触ったらちゃんと温かかった






    ↑川の向こうに見えた吊り橋と水門


崖を登りヤンケの村をちょっと見て、急いで帰り道へと入ります。
すでに5時。
そろそろ暗くなるころです。
気温も下がり、手袋を持ってこなかったので手が かじかんできました。

めっちゃ寒いんですけども!

早く! 早く町に着いて・・・!!(祈)



    ↑夕焼けに染まるコルカキャニオン↓




震えながらペダルをこいでいると、バイク式軽トラックのようなものに乗ったおじいさんが通りがかりに親切にもチバイまで送ってくれました。

助かりました。




この日、温泉に行けなかったので、別日に再度温泉へ。
リベンジというやつです。

カフェのマスターからの情報では、チバイに一番近い温泉にはランクがあるらしく、受付に言えば安いところに入らせてくれるそうです。

ホテルの人の話では20ソル(700円)ということだったのですが、マスターの話では地元民は1ソル(35円)くらい、そうじゃなくても2.50ソル(85円)で入れるとのこと。

それじゃあそっちに行ってみましょう。
近いし。



    ↑街はずれの景観



    ↑首の長い鳥が止まっていた



    ↑川に沿って進みます


地図では5kmと書かれていました。
あっという間に到着。


    ↑Aguas Termales(アグアステルマレス)はここでの温泉という意味らしい。言い方は地域によって異なる。La Calera(ラカレラ)がここの名称



    ↑スーパー温泉施設っぽい



    ↑通路の横をお湯が流れている


券売の小屋で話を聞きます。
20ソルは観光客向けの大きな温泉。安いほうはというと、早い時間では2.50ソルなのだけど、昼頃から5ソル(175円)に値が上がるということで、なんだか不服ながらも5ソルを支払いました。




5ソルの温泉は↑ここ。
丸いジャグジーの風呂を大きくしたような形の浴槽がひとつありました。

水着に着替えて常に出っ放しの温泉シャワーを浴び、服と荷物はロッカーへ。
鍵はどうすればいいのかわからず、盗られぬようロッカーを見張りながら入浴。

4記事前のユラの温泉に比べると格段に温かく、熱すぎずぬるすぎずいい湯加減でした。
他にも人が入っていたので写真は撮りませんでした。


体の悪いところに利くということだったのでたっぷり時間をかけて湯につかったその翌日、
寒さのせいでしょうか、歩いているときにグキッと首を痛めてしまったのです。



    ↑温泉帰りに見た、崖の下で休んでいる人たち。たぶん危ないのでマネしないように


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アルパカの肉が食べられるらしい。 Chivay, Colca その1




前回、Chivay(チバイ)に入ったところまで話しました。
今回はこの町の紹介をしていきましょう。

町に着いてまず目に入ったのは、この広場。



教会がある所ですね。

ここに面している店はだいたい観光客用の高いレストランです。
インフォメーションセンターやツアーもここにかたまっています。




奥の山が十字架に刈り取られているのが特徴的です。


 

ゴミ箱ですらなんだか趣があります。




噴水もあり。
コンドルの像もあり。

そう、ここチバイはコンドルが見られることで有名なコルカキャニオンの入口なのです。

どおりでこんな、



街中でもきれいな景色が見えるのですね。


たまたま見つけた地図には、



Patapampa 4950mと書かれています。
前回の山頂のところです。
そりゃ雪も積もるわ!!



さて、まずはホテル探し。


安くて部屋の広いホテルをさっそく見つけて泊まったのですが、そこのwi-fiがうまくつながらなかったため、数泊して他のホテルを探すことに。


目星をつけていたホテルへ向かう途中、道で客引きに会いました。
話を聞いてみると、朝食付きで30ソル(1050円)だそうで。

ちょっと高めだけどまあ見るだけならタダだし、ということでとりあえずついて行ってみることにしました。

メルカド(市場)の目の前にあるColca River Hostalと書かれたホテルへ。



ホテル内はとても清潔にしてあります。






部屋もなかなかいい感じ。

wi-fiも事前にチェックさせてもらいました。
かなり重いですが、ちゃんとつながります。
ここは山の中でどこもネット回線が遅いようなので、速度はしょうがありません。

 少なくても3泊以上はするからチョットだけまけて?

とお願いし、25ソル(875円)にしてもらいました。



部屋の中はこんな感じ。
ネットがつながらない別の部屋だと、窓から光が直接入ってきてもっときれいなところもあるのですが、このブログを更新しないといけないので一番wi-fiが近い部屋に決定。


目の前に沸き立つメルカドの様子はこちら。









ビニールシートのタープの下で果物や衣類なんかが販売されています。
別のコーナーでは軽食が売られ、写真3枚目の右側に見える建物のなかは食堂や雑貨屋があります。




メルカドの建物のあいだにある通路。
ここにはきらびやかな民族衣装が売られていました。






この町の高齢女性のうち半分くらいはこの衣装に身を包んでいます。
男性はフェドラハットが主流のよう。
帽子屋でよさげなハットがあったので買おうかものすごく迷っています。

ただ旅行向けじゃないだろうしなぁ・・・ 被っても風で飛ばされるし、しまうにしても場所がないし・・・
と考えるとなかなか手が出ません。

ペルーのその他各町に比べてレザージャケット着用率は低い模様。



ここで行きつけのカフェをご紹介しましょう。




広場の角にあるカフェ。
フラぺチーノを提供しているのを発見し、到着当日からお世話になっています。


    ↑そのフラぺチーノ。チョコソースはかかってないことのほうが多い

ここのオーナーのおじさんが色々と話しかけてくれて情報もくれるので結構通っています。

全体的な値段は、ペルーの物価で考えると若干高め。
味は、標高の関係で水からなかなか染み出ないのか薄めですが、ホットならそこまで気にならないです。



    ↑ここの住所や店名など。



    ↑感想が書かれているっぽい



昼ご飯はチバイの人が通うような食堂なら5~6ソル(175~210円)で食べられます。
スープとジュースもしくはお茶付き。

ペルーはマスがおいしいと聞いたので、頼んでみました。


    ↑trucha(川マス)

感想は、シシャモ焼きに似た癖のある香ばしさのある味。
シシャモよりの香りを薄くしてちょっとたんぱくにしたような感じでした。

うーん、まあマズくはないかな。
高いレストランで頼んだらおいしいのかもしれない。
揚げているので骨まで食べられました。



メルカドの壁に自由に使える掲示板があったので少し覗いてみました。





casa... 家を売ってると書かれています。
いったいいくらくらいなんだろう。

こんな景色のいいところに家が持てるのは憧れますね。
別荘でもいいかもしれない。
割と不便だけど。


ホテルの近くには小さいながら自転車屋もあります。
また故障しても安心。





最初に泊まったホテルの隣に安めのレストランがあり、そこは見た目は高そうなんですが実は他と変わらない値段という穴場なのです。
料理もおいしい。
人もあまり来ないので、ホテルを移ったあとも夕食はほぼ毎日ここで食べています。


    ↑スープに英数字の形をしたマカロニが入っていました。なんだかアメリカン


食事と言えば、この辺はカクテルを取り扱っている店が多いです。
ビールばかりが並ぶペルーでは珍しいのではないでしょうか。

先ほど紹介したカフェでもいくつかのアルコール類が用意されていました。



    ↑Baileys(ベイリーズ)とホットサンド

Kahlua(カルーア)と同じコーヒーリキュールかと思っていたのですが、アイリッシュのウィスキークリームなんだそうで。
ずっと勘違いしていました。

アイリッシュバーもあったりするので、アイルランドとこの土地はなにか関連があるのでしょうか。



たまにはいいものを食べようと、観光向けのちょっとリッチなレストランに潜入。
すると、どうでしょう。


    ↑ALPACA!!

メニューには“アルパカのグリル”と書かれているではありませんか!?

アルパカって食べれるの?

そんな疑問を持ちながら注文してみました。


    ↑値段はいつも食べてる料理の3~4倍


もぐもぐ。
うん。


普通のおいしいステーキといった感じ。
癖はなく食べやすいです。

日本のステーキに比べれば安いかもしれませんが、量はそんなにないです。

全然食い足りない!

帰りにお菓子やミルクがゆを買って帰りました。



そんな感じでここチバイに滞在しています。


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この山越えはズルいのだろうか Chivay




今回はテストも兼ねて写真多めでお送りします。




キャンプ時はいつもそう。
朝起きてダラダラ顔を洗い、グダグダ荷物をしまい、タラタラとテントをたたむ。

キャンプの一番の弊害は、片づけ だと思う。


昨日お世話になった店でパンとコーヒーを頼み、見張りの警察に挨拶して出発。
雲は出ているが、なかなかのいい天気である。










次の村まで家はないというから、今日は頑張って進まなくては。




っていきなり店あるし!!
軽食屋みたいだけど、オープンにはまだ早いみたい。

そして坂を下ったところにこんな文字が。



インティライミレストラン、と書かれているね。

やっているなら、さっき食べたばかりだけど早めの昼食を食べておこう。
この先こそは本当に何もないかもしれないし。




あった。
例のナオト風レストラン。


スープとロモサルタード(肉トマト玉ねぎフライドポテトなどを混ぜた醤油炒め)にコーヒーがついて8ソル(280円)。
ちょっと高いけど、こんな何もないところでちゃんとした料理を食べられるんだから打倒なのかもしれない。


    ↑猫が2匹と犬が1匹いた


    ↑ひびの入っていたデジカメがついに壊れた! 防水から防滴仕様になった瞬間である



    ↑スープは先に飲んだ。コーヒーはインスタント


店のおばちゃんにお別れを言い、上り坂のトップを目指し進む。

雲が広がってきている。
これは雨が降るかもしれない。


それから30分くらいだろうか、しばらく歩いていると、トラックが一台停まった。
どこへ行くのか尋ねられたので、Chivay(チバイ)へ行くんだ と答える。


一言。
「乗ってけ」


チバイまでの目算は、早くて4日。
山の傾斜がきつく道のりが長ければ1週間はかかるだろうと踏んでいた。
それを1日で行けるのなら、こんな絶好の機会は逃せない。

乗せてもらいました。



    ↑この空を見てわかる通り、その後一時的な大雨が降った。雨宿りする場所がなかったのでずぶ濡れになるところだった。ラッキー



    ↑事故


天気はすぐに回復。
そして世界はなんとも美しい高原地帯に早変わりする。



ここがめちゃくちゃきれいだった。
この場所を走れないのは正直すごくもったいない気がしたが、


・・・まあいいか! 楽だし!



    ↑貨物列車も通ります



    ↑どんどん景色が過ぎていき、カメラを構える手が忙しい。ちょっと酔ってきた



    ↑ビクーニャだかリャマだかがのんびり草をはんでいるところを猛スピードで通過



    ↑天気は完全に回復。奥の山並みがめっちゃきれいなんですけど、見えますか?



    ↑めっちゃきれいなんですけど、わかりますか?








ついに雪山が見えた。




そしてビクーニャの群れが!



構わず通過!!





雪山が迫ってきてますよー。


    ↑なんだか絵になる藁ぶき屋根の黄色いおうち



    ↑なぜか唐突の砂漠



    ↑砂漠と雪山


車酔いで辛いなか、ほら、雪がすぐそこに。



このあたりは標高5000m近いらしい。
さすがに寒い。
息も若干苦しいような気もする。


    ↑雪山の正体



    ↑手に届く距離に雪が!



    ↑ここへ来た証にみんな石を積んでます。ケルンと言います



                 ↑バランス!



    ↑この辺が頂上付近みたい。展望台の近くに小さなお土産屋も合ったけど、絶対寒いぞあれ


そして、道は下りへ。

ここからの景色がね、もうホント、絶景。
車からなのでうまく写真に写せなかったのが悔しかったんですが、多分今後また通ることになるかもしれないから、まあ今はいいや。


とりあえず早く車から出して!

具合悪いの!!




    ↑揺れて気持ち悪いながらも撮った写真↓





    ↑この町がチバイ









    ↑かなりくだりました



    ↑門


無事について荷物を降ろし、車に乗せてくれた2人にお礼を言う。

いやー助かった。
だって車窓から見てる分だと、かなり距離があったし上の方は寒そうだし家も少ないし。
自分の足だけで走っていたらピンチに陥っていたかもしれない。


    ↑乗せてくれた2人


という感じで、思いがけず一気にチバイまで来ることができた。
昨日に引きつづき車に乗せてもらって、ちょっとズルいと思われるかもしれない。

でもいいのです。
別にこの旅行、自転車で縛っている訳ではないのですから。
自転車はただの移動道具なので。
元々は徒歩で巡ろうとしてたくらいだし。


というところで、
この町の風景などはまた次回。


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山の朽ちた建物と壊れかけたテント ~ Chivayへ向けて




さすがに今日は出て行かないとね。
天気も快晴だし。

宿のおばちゃんたちに「もうここに住んじゃいなよ」って言われたり、
「この先家はないよ」とか、
「強盗が出ることもあるから気を付けて」とか、
そんなことを言われると出ていく気が失せるんだけど、それでも先へと進まなきゃいけない。

それがチャリダーの宿命だから。





・・・ちょっと言い過ぎました。



でも、とにかくそろそろペルーを出て行かないといけない時期なのだ。



前回チェーンが壊れたところも通り過ぎ、ひたすら上り坂を進んでいく。

途中何度か休憩をはさみながら、何ヵ月かぶりのオカリナを取り出して吹いた。
ものすごく下手になっていて自分でも驚いたが、眼下の自然と奥に見えるユラ村を眺めながら楽器を吹くのはとても気持ちのいいものだった。



    ↑線路がカーブを描いているのが見える



    ↑白い山の谷間に畑が流れる


そこで上のような写真を撮ったのだが、

なんと、
カメラを置き忘れてしまった!



    ↑忘れた場所の目印

カメラ放置地点から1時間30分後の路上で気づき、慌てて来た道を駆け降りる。
誰かに取られていないか心配にかられながら自転車を飛ばして約20分、無事にコンパクトデジタルカメラを回収。

そしてまた1時間30分、通った道を登らなくてはいけない。

そんな状況にメンタルがやられそうになりながら、それでも先へと進むしかない。



    ↑真ん中に何か見えるが、何かはわからない



    ↑こんなに時間をかけても村がまだあんな近くに見える・・・



    ↑紫と黄色の花とサボテンと高原



カメラ紛失発覚地点を抜けて幾時間かすぎたころ、崖のわきに停まっている車があった。
親子風の男性二人がこちらを呼んでいる。



素直に近づいてみると、いつものようにこちらのことを色々と聞いてきた。
負けじとこちらも相手のことを聞き返したり、この先の情報をもらったり。
言葉の応酬を繰り返す。

バナナを一本貰い、お礼を行って和やかに去ろうとしたとき、それに気がついた。


崖の下に、軽トラックが一台落ちて無残にも潰れていたのだ。

それを見ていると、若いほうが言った。
「それ僕のなんだよ」


こんなになって、よく彼は無事だったなと思いながら、
oh... lo siento.(残念だったね)
と声をかけてあげる。

そうすると彼は車内の親父さんの元へ行って何か話し、そして笑顔でこちらに振り向く。
この先、人がいるところまで送って行ってくれるのだという。


無理矢理自転車を車の後ろに乗せ、走ること3kmほど。
警官が通る車をチェックしているセキュリティコントロールエリアへと連れてきてくれた。

正直そこまで下りも多かったので車で移動するほどのものでもなかったのだが、それでもありがたい。
かなり疲れてたし、天気も曇ってきていたから。


もう一度お礼を言って別れ、そこにあった小さな売店でコーヒーとパンを注文。
そこのおじいさんがとても感じのいい人だった。


    ↑右奥のあたりが売店になっている

おじいさんと警察にこの先の情報をもらう。
村はおろか家や店も20km先までないそうなので、今日はここで休むことに。

前はレストランだったらしい朽ちた建物の前にテントを張っていると、先ほどのおじいさんがやってきて

「あれぁ、こんなところで寝るのかい。この建物の2階が空いているからそこで寝てもいいよ。誰も怒らないから」

と案内してくれたそこはとても居心地がよく、テントを張って寝るのに最適の場所だった。
ちょうど雨が降ってきたので、屋根のあるところに泊まれて助かった。




テントのなかに入る。
入口を閉めるのに2時間ほどかかった。
そう、チャックがもう駄目になってしまっているのだ。

ここは壁と屋根があるし虫も少ないからいいが、もっと寒い地域や虫の多いところだと、このテントを使ってのキャンプはかなり厳しいかもしれない。


そろそろテントの替え時ということか。
こっちの品ぞろえではあまりいいテントがなさそうな気がする。
チリやアルゼンチンには上等なアウトドアショップがあると聞いたことがあるのでそこで探したいが、それまでこの子がもつかどうか。

それにしてもこのテント、かなり長持ちしたほうなのではないだろうか。
自分が大学生のころに買ったはずなので、すでに8年近く経過している計算。


頑張ったね。
でももっと頑張ってほしかった。
この人里離れた寒い山の中で、もしテントが使えなくなってしまったら。
そりゃあもう、大変なことですよ。


いつの間にか小雨はやみ、窓から薄い夕焼けが見えていた。









※余談ですが、写真を選んでリサイズ、貼り付けをしているときにドラクエ8のフィールド曲を聴いていたら今回の山の写真と合っていていい気分でした。


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ぬるいと噂の田舎町温泉、さて湯加減は? Yura


次の日はどんより曇り。
途中で雨が降ってきたら最悪だし、そんな天気で出発したくなかった。

という言い訳を用意してもう一泊頼み、噂の温泉に行ってみることにした。
道案内役としてレストランで働いている青年、ヘンリーを誘う。

始めはチップを欲しがっていたが、話をしているうちに"ここで食事をしてくれればいい"ということになった。
それまで他の安いところで食事したりパンだけですましていたことも多く、ここはそれほど活用していなかったので、それをずっと気にしていたのかもしれない。



バスで50センティモ(15円)、隣町のYura Viejo(ユラビエホ)へ。
そこは観光地化されていて、高そうなホテルが並んでいた。



そんなホテルの一軒へと入っていくヘンリー。
この敷地内に温泉があるらしい。





チップ替わりにヘンリーの分も出してあげることにして、彼のレンタル水着を借りる。
ついでにここのホテルの値段を聞いてもらうと、なんと朝食付きで一泊150ソル(4500円)だそうで。
うゎぁ、こりゃあ高すぎですわ。


    ↑高級感が漂うホテルのロビー


受付で5ソル(175円)払う。
意外と高いのね。

温泉というよりも小さなプールと言った方が近い。
冷たいシャワーを浴びて着替え、いざ入浴。


    ↑温泉のひとつがこちら。ここは冷たかったのでもっと一般的で小さな方に入浴したが、人が結構いたので写真は撮らなかった


お湯で満ちたところが6か所くらいあり、階段を下りながら入ると、ぬるい。
30℃くらいだろうか。
水深は胸から首元あたりまであり、かなり深い。
下にはツルツルした石が敷いてある。
うん、匂いはあの温泉特融の卵のような硫黄臭だ。

しばらく浸かっていると体に気泡がついてくる。
たしかに温泉らしい。
が、まわりは水着でキャップを被ったおじいさんおばあさんだらけ。
外から見ればどう見てもプールにしか見えない。

久しぶりの湯船だが、その見た目から風呂にひたっているという気分ではない。
気持ちいいといえば気持ちいいが、温度的にも物足りなさを感じる。


30分ほど浸かり、震えながら外へ出て着替える。
ぬるすぎて、芯まで温まるのは無理なようだ。

ヘンリーは満足してくれたようでよかった。
実は彼ではなくこちらがホスト役だったというわけだ。
最初からそのつもりで誘ったのだ。



    ↑案内看板があった。色々書いてあるけど、結局は何もない山の中である


距離は遠くないので。村や景色を見学しながら歩いて帰る。
ヘンリーは学業を終えた21歳で、クスコから出稼ぎと手伝いでこちらの叔母のレストランを手伝っているらしい。
いつかクスコへ帰りたいが、今はお金がないから無理だと言う。
大変なんだなぁ。


夜になり、仕事から帰ってきたレストランの長男と一緒に草サッカーを見に行った。
彼も参加するつもりだったのだが、人数が集まらずに即解散。

そしてコカ・コーラと、この近くに生産工場があるという炭酸ジュースをごちそうしてくれた。
ルートビアのような、かすかにハーブのような味がするものだった。
好き嫌いがわかれるかもしれないが、ルートビアもおいしく飲める自分的には合っている味だった。



    ↑そのコーラ。Kola Escocesa(コーラエスコセサ)と書かれている



    ↑ここの次男がパズルで遊んでいるところ


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チェーンが切れて逆戻りした話と ヌーハラの思ったこと




空は空前の快晴。

荷物をまとめて自転車のロックを解除。
宿の人たちはまだいて欲しそうだったが、この天気を逃したくない。


    ↑村からの景色。晴れてるおかげもありめっちゃきれいに見える


と、走行約20分でチェーンが切れた。
これまで引っかかったり空回りしたりしていて様子がおかしかったので、寿命なのかもしれない。

ここで戻るのは悔しいが、いったんバスでアレキパに帰って修理をしよう。
なんならルートも変えようか・・・


などと考えていたが、この荷物量では地元の小さなバスに乗れないので宿に自転車以外のすべてのものを置かせてもらった。


1時間に一本走るバスのお値段2.50ソル(75円)。
その安さを見ると、これまでの行程が馬鹿らしく思えてくる。

自転車のスペース分で2倍の料金を取られそうになったが、混んでいなかったので交渉してノーカウントにしてもらった。



ユラに比べると空気が汚れて埃っぽいアレキパ。

そんな都会に戻ってきたのち、以前行った自転車屋に行ってチェーンを取り換えてもらい、ついでに銀行でお金を下ろして、それからおいしい中華屋でpollo tamarindo(ポジョタマリンド)を食べてきた。

このポジョタマリンド、ここアレキパで存在を知ったのだが、これがめちゃくちゃおいしくて一度食べたときからハマってしまっている。
鶏肉のから揚げにオレンジ色の甘いソースがかかったもので、ジューシーな肉と衣にトロっとしたソースが絡み合い非常に美味。
写真を撮り忘れたのが悔やまれる。
7ソル~9ソルと若干お高いものだが、アレキパに滞在しているときは頻繁に食べていたのだった。


チェーンは直ったが、空回りする癖は残ってしまっているようだ。
ギアが悪いのだろうか。
全部取り換えてしまいたかったが、荷物をすべてユラに置いてあるので今日中に戻ってしまいたい。

馴染みのチェーン店カフェに行ってフラペチーノを買い、持ってきたビニール袋に納める。
そのそばでユラ行きのバスは捕まえられるはずなのだが、アレキパからだとものすごく混むみたいで、バス内には人がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
自転車を乗せるのはどう見ても無理だ。


しょうがなくタクシーを探して乗って帰った。

自転車を乗せられるタクシーを探すのも一苦労でなんだか疲れてしまったが、その運転手がいい人だったので楽しい帰り道になった。
賃金は高かったが、奮発してチップを渡してあげた。

宿の下のレストランで働いている青年が笑いながら直った自転車を乗りまわし、やっとしゃべれるくらいのまだ小さな店の次男が「遠くに行っちゃいけない」と彼をたしなめる。
ここはそんな場所。



―――――――


ここからは日記じゃないのですが、思ったことを少しだけ。



ちょっと前にネットニュースで ヌーハラヌードルハラスメント というのが載っていて、ラーメンをすする音が外国人観光客や日本に滞在している人にとって不快だというのが書かれていました。

くちゃくちゃ音を食べるクチャラーみたいな感覚なんでしょう。
他の国でもすするときはありますが、ズルッくらいです。
日本は ズルッズルルルッズルズルルルルッ くらい鳴っちゃってますからね。


で、その詳しい意見を見てみると、

  食事中に音を立てるのはマナー違反だから

というように、その国の文化のなかで禁止されているものだからという意見がほとんどだったんですよ。

これって、ある土地の文化や慣習が人の嫌だと思う気持ちを作っているってことじゃないですか。
その国ならみんな嫌がってるということですよね。

つまり、その好き嫌いっていうのは個人のものではなく国のものってことでありまして、
それってどうなの? って思ったのであります。

家で注意されてたからとかそれくらいの小さな規模ならまだわかりますけど、都市とか国とか民族とか、そういうのが作った「嫌い」がその人のアイデンティティになってるっていうのは、いいことなのだろうかと思いまして。

環境が人格を作り上げるっていうけど、操作されたりしそうでちょっと怖いです。


もちろん、みんながみんな嫌だと言っていた訳ではなく、平気だと答えていた人も中にはいたみたいです。
ただね、そのコメントが全部“慣れた”と書かれていたんです。

最初から平気な人はいなかったのか、と。

そういう人もいるのかもしれませんが、そのニュース内では見当たりませんでした。
やっぱり最初は受け付けられなかったということでしょうか。

たしかに自分の文化に反するものを受け入れるというのは、難しいことかと思います。
でも本当にそれでいいのかな。


音だけじゃなく、好みのタイプ(鼻は低いほうがかわいい、肌が白いほうが好き、背が高いほうがいい等)や食べ物への偏見(タコは気持ち悪くて食べれない、蜘蛛を食べるなんてどうかしてる等)他色々な部分で国別の好き嫌いがあると思います。

そういうのを見ると、国や種族でいがみ合ったりひいきしたりするのって当然なのかもしれないと思えてきます。
違いをおもしろいと思えるならいいのかもしれませんが、すべての違いを、またはすべての人がそれらを許容できるわけはありません。
多様性のあるものって難しい、悲しい部分も多いもんですね。


「生理的に無理」という言葉がありますが、その正体は自分の周りに押し付けられたものなのかもしれませんね。


そういえば、海外のyoutuberが日本に旅行にきて紹介する動画があったんですよ。
で、ラーメンを口に運んだあと毎回毎回口元を丁寧に拭いていてなんとなく煩わしく思いましたが、これも文化の違いでしょうか。
それともネタでわざとやっていたのかな。


と、こんなところで、この記事は終わります。


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パスポートを忘れてった話と 工場の町Yura


次の日には出発したものの、パスポートなどが入ったシークレットポーチをホテルの部屋に忘れたことに気がつき、急いで戻るとホテルは鉄の扉で封をされ閉ざされていた。
無事かどうかひどく不安になった。


もしかしたら、盗っていったから閉めたのかもしれない。
しばらく足がつかないようにして、どこかおいしいものでも食べに行ったのかも・・・

そうでなくても今日中に戻って来なかったらどうしよう。はしごを借りて窓から侵入し回収しようか。


そんなことを考えながら数時間待つ。
風が肌寒い。
アレキパからそこまで離れていないのに、そんなに標高が上がったのだろうか。
上着を着て、地面に座り込んだ。


周りの人たちの助けもあり、車の修理工が電話をしてくれたのが功をそうしたのかそうでもないのか、学生ほどの年齢のホテル従業員がこちらの事情を何も知らずにやってきて扉を開けた。
スペイン語で事情をうまく説明できないので、デタラメに話しかけながら部屋へと入り、ポーチ入手。
それを見せると、中身は無事かと心配してくれた。


「忘れ物には気づいてたが、一切手をつけんかったぞ」
と、夜から朝までの番をしているホテルのおじさんがのちに語った。


遅くなってしまったのでもう一泊。
水はいまだに止まったままだ。




翌日。
今度こそ出発。
忘れ物はもうないはずである。


    ↑完全なる山中に突入


   
    ↑線路の奥に何か見えてきた


いくつかの町を通りすぎ、Yura(ユラ)まで来ることができた。
大きなセメント工場がシンボルマークの、小さな村だ。


    ↑入口にはオレンジレンガの洒落た門がある



    ↑大きなセメント工場。むしろこれしかない


ホテルの看板がある家を回ってみたがどこも閉ざされていたので、それは一度あきらめてレストランを探す。
道路沿いに建つレストランの前まで来ると、そこから若い男女が出てきて、

「泊まるとこ探してる? ここなら安いよ」

と、案内されるままレストラン内へ入っていった。
ホテルの看板はたっていなかったが、この建物の2階を宿として貸し出しているようだ。
中を見せてもらったが、見るからに安宿! といった風の汚いところだった。

寝る場所はここに決定。
他に見つからなかったし、何よりも15ソル(450円)と抜群に安い。
鍵はないが、ここは安全で盗難などは起こりえないらしい。


曇り空の寒いなか水シャワーを浴び、村中を見て回ったり部屋でゆっくりしてその日はすごした。



    ↑多角形の教会


    ↑噴水風の池のなかには鯉が飼われていた


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自転車旅行再会しました Arequipa ~ Yuraへ向けて




やっと、

やっとアレキパのホテルから抜け出すことができた。



長かったアレキパの町。

ゲームのプレイを見せてもらいああだこうだ言い合いながら勝ったり負けたりを眺めた行きつけのネット屋。
頻繁に通っていたモール内にあるカフェのおいしいフラぺチーノは、1つでも2つでも同じ値段だということを最近知った。


離れるのは少しさみしい気もするが、やっと新天地へと踏み込めるのだと思うと晴れ晴れしくもある。

最後に、ずっと会えなかったジムトレーナーのFernandoにもう一度会えたことが救いだ。
彼はずっと別の町へ仕事と学校に行っていたらしい。
夏休みなどの大きな休暇中、ここへ帰ってきているかもしれない。
他のトレーナーは大雑把にしか教えてくれなくてやる気がなかったから、フェルナンドのスパルタな指導が恋しかった。



昨日のうちにタイヤの空気を入れておいた自転車は、あまり調子がよろしくないようだ。
チェーンがうまくかみ合っておらず、時々ガタンガタンとペダルが空回りする。

そして自分の体調も、大変よろしくない。

風邪の咳がいまだに取れず苦しい。
さらにずっと休んでいたために、体力がものすごく落ちてしまっている。
それまでのmaxの体力が1000あったとして、今は一番元気でも150くらいにまで低下している。
ちょっと歩いただけで息が切れるし、ザックを背負っている肩と腰がスタート15分で悲鳴を上げた。



街はどこまでも続いていて、ホテルが何度も目の前に現れては去っていく。

そのたびに、
 今日はもうここで休んでしまおうか
と悩むのだが、雨期でのこの快晴を逃すとおそらく後悔することだろう。
我慢して弱っている体を奮い立たせた。


親に手をひかれた通りがかりの子どもに"hola turista"(こんちは旅行者さん)と声をかけられたり、クリームのデザートを買ってみたら変にすっぱくてお腹が心配になったり。こういうのも久しぶりだ。
そんなことを思いながら先へと進む。

おそらくこの先にYura(ユラ)という小さな町があるはずである。





    ↑途中の景色。この先山岳地帯へ入っていくことになる


店の看板に yura と書かれていたのでここがその町かもしれない。
体もすでにガタが来ていたのでさっそくホテルを探し、一泊頼んだ。

今現在水が止まっているらしいが、それはアレキパでもよくあること。
驚きはしないが、埃と排気ガスと太陽光のなかを走ってきたのでシャワーは浴びたかった。


「ユラはここじゃないよ。もう30km先だね」

と言うのは、ホテルが閉まっていたときに手助けしてくれた人たちの中の一人。
地図で見たところアレキパから20kmほどしか離れていないと思ったのに。
ガッカリ。
このおじさんから、ユラには温泉があるらしいという情報をゲット。

見ず知らずの旅行者を、ニコニコ顔で暖かく受け入れてくれた。


「ここは親切な人ばかりだから」
と宿のおばさん。

確かに、見て回った他のホテルの人たちも丁寧に対応してくれたし、ホテルの扉の鍵が閉まっているときに手伝ってくれた人たちもとても優しくしてくれた。
街からちょっと離れるだけでこうも違うのか。

おしゃべりしながら笑顔で道ばたでピザを焼いてくれる女性たち、丁寧にコーヒーを作ってくれるカフェの兄弟。
やっぱり都会すぎないところはいいな。


泊まったところは、ネットはないが清潔で広い部屋。
久々の走行だったので、今日はゆっくりと休むことにしよう。


 
    ↑町を外れてもやっぱりDota2は人気みたいだね


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